養老山脈の片目の黒龍についての考察

「養老」「片目の龍」で調査している人の為に私の考察を書いておこうと思う。
というのは昔はまったく話題にもなっていなかったのであるが最近、どうも「岐阜」が一部のスピリチュアル系人達の話題になっているように思うからである。

人生で不思議な体験というものがありますが、その特殊な体験から新しい考察が生まれるものである。
私にとってそれは養老山脈の龍神であります。養老に奈良の三輪神社と等しい龍神が存在することを知ってもらいたいのである。

私が夢の中でなんども養老の飯盛山に呼ばれて、実際に行ったら三枝の笹百合と白蛇と遭遇したのはまさかの不思議な体験でありました。実際に三枝の笹百合は写真に撮りました。
その後、帰りに寄った喫茶店の女店主に写真を見せたら三枝の笹百合は「天然自生はあり得ない」と感嘆し、実際に目撃したいと彼女がすぐに店を出て私が遭遇した場所に見に行ったら無かったそうである。
また詳しい方から「三枝の笹百合は三輪山のご神体として大物主に捧げられる神花」と教えてもらい驚いたわけであります。

そもそも奈良時代に養老の滝の水がお酒になったという親孝行の伝説「養老孝子伝説」故事があり、実際に44代天皇の元正天皇が養老に来て真偽を確かめ「これは真実なり吉祥である」と仰せになり年号を「養老」と改めた位ですから養老は古代から奇跡の聖地なのである。

そこで養老山は奈良の三輪山と同種の龍神が棲む霊山であると考え2009年に記事にしました。

片目の龍と養老山脈

さて、三枝の笹百合が奈良と養老の共通点として考察している訳であるが、この三枝の笹百合がほとんど自生は不可能といわれる理由は、種から発芽まで1年、地上に初めて葉を出すまでにさらに半年、4枚の葉をつけるまでに約2年、2回目の地上発芽は2年半後であり、笹百合は花の特性として、数年生育して初めて三個の花をつけるそうなので、種から初めて三個の開花まで5~10年かかるのだ。そして10年で咲いた花は10日で枯れるらしい。

しかも笹百合は病気に弱く途中で枯れたりや動物に食べられてしまうのでほとんど自生で咲くことは無く、又、栽培も難しく通常は保護された場所で栽培されているそうである。三輪の祭りで奉納される笹百合も自生では無く特区の中での栽培である。
私が山道で初めて開花した三枝の白い笹百合を見つけたことはほぼ奇跡に近い。まして通常は薄いピンク色で白い花はアルビノで更に希少ということらしい。

その後、養老の龍神について調査して他にも実体験もありますがネット公開するには私の他の記事すべての真偽が疑われるだけでなく私も「この人正気か?」と思われるレベルの信じられない実話なのでこれは記事にしていない。

しかしながら養老の滝水が酒になった(実際に話が奈良まで伝わったので真偽を確かめに元正天皇が来た)も同様に龍神の行為はおおよそ常識では考えられないことをリアルに引き起こすようである。

そこでまさかの実体験によって養老山脈については、黒龍と白龍達が実際に生息してると私は知っており、重ねて実際に天然の三枝の笹百合と遭遇したので一目連の神は白龍であると考え記事にしましたが、最近、多度大社に祀られる「一目連の神」が「片目の龍神」であるが、この片目の龍神は白龍では無く黒龍であることが判ったので記事にしたい。

因みに私が見た白龍は多度大社で一目連の神の傍で祀られる美御前社の市杵島姫命の分霊の白龍である。
なぜ今回白龍が市杵島姫命の分霊だと判ったかというと、市杵島姫命の祭礼日が6月17日で私が三枝の笹百合を目撃したのが6月15日だからです。
しかも市杵島姫命は白龍に例えられるらしいからこれはもう決定だと判断しました。(これはほぼ自己判断である)

さて、片目の龍神がどうして黒龍だと判ったのかというと、毎年6月17日に奈良の率川神社で行われる三枝祭(笹百合祭り)は、黒酒、白酒の神酒を「罇(そん)」「缶(ほとぎ)」と称する酒罇に盛りその酒罇の周囲を三輪山に咲く三枝の笹百合の花で豊かに飾り、優雅な楽の音につれて神前にお供えするという話を知ったからである。
つまり、黒酒というのは父親で大物主(狭井大神)黒龍であり、白酒というのは玉櫛姫命の白龍を示し、白龍と黒龍は一対で祀られるのである。それを三輪山で咲く神花である三枝の笹百合で囲むのである。

故に多度大社で摂社で祀られる「美御前社」の市杵島姫命が白龍で本殿で祀られる別宮の「片目の龍神」である一目連の神は黒龍ということになる。養老に咲く笹百合は三輪山の笹百合と同じなのである。

それで 片目の黒龍であるがなぜ多度で片目の龍神として祀られているかというと、多くは「天目一個が台風の目」であり「北伊勢の暴風の神」となっているが、私は違うと思う。
養老に伝承があり次のような伝承である。(桑名の伝承)

むかし、養老山脈の中にある田沢池の近くに、五助という貧しい木こりが住んでおり、三人の娘がいた。末娘のさわは美人であったので色んな男から求婚されたがなぜか首を縦に振らなかった。
そんな、ある秋の日の事。五助が仕事の手を休めて山の下の林の方を見ると、このあたりでは見知らぬ立派な格好の若者と娘のさわが、楽しげに話しながら登って来るのが見えた。五助はさわが立派な若者と交際しているから他の求婚を受けないのだと思いました。

こうして五助もさわも、その事にはふれずに暮して、次の年の夏になりました。
その夏は、ひどい日照り続きで、百姓たちは雨ごいをしましたが、雨は全く降りませんでした。
五助も一心に、水神さまにお祈りをした。
そんなある夜、水神さまにお祈りしようと、五助が祠の前にくとさわと楽しげに語っていた、あの立派な風情の若者が現れた。
そして若者はこう言ったのです。
「願うならば、雨を降らせてやろう。だが、見事に雨が降らせたら、我の望みをかなえてもらうぞ」
そういうと若者の姿は、五助の前から消えてしまいました。
その明け方、池から黒雲がわき上がると、突然、どしゃぶりの雨が降り始めました。
そして五助の枕元に、片目が傷つき疲れた若者が姿を現しました。
「我は、片目をつぶして雨を降らせた。よって我の望みの、さわをもらうぞ」
やがて若者は、さわの手を取って表に出ると、闇の中を龍となって天へと登っていったのです。

という同じく岐阜県の揖斐川の伝承である「夜叉が池」と等しい話が養老にもある。
また三輪大社の大物主にも人間の女に恋し結婚したという類似した話がある。
三輪山の伝説と夜叉が池と合わせて考察すると、片目の龍はこの若者で、連れ去ら得た末娘(市杵島姫命も三娘の末娘 日本書紀)が白龍になったと私は推察する。

多度大社 別宮で祀られる片目の龍神は「暴風の神」では無く、片目を犠牲にして民の為に雨を降らせ、片目と引き換えに人間の娘を連れ去った黒龍神である。
因みに養老の滝水が酒になったのも三輪山の神である黒龍神が酒を造るのと同じように養老の龍神の奇蹟である。

twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック

プロフィール

QRコード