嫌いな人を空の思想で対処するには被害者にならないこと
あけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
ということで、個人的に正月から理不尽なことを経験して腹がたった訳ですが、そもそも理不尽なことを見たり聞いたり被害者になったりするのは過去に自分の因縁があるからです。いわば「自業自得」なので仏陀のいうとおり「悪因悪果に遭遇したら悪因がひとつ消えたと考えて感謝する」ということである。じつは「被害者意識」こそ不幸の循環の種なのだ。
怒るとか憎むというのは被害者の意識であり、善き未来を作るには被害者になってはいけないのである。
つまり、空の思想では、悪い奴や嫌な奴が理不尽なことを私にしたのでは無く、悪い奴も嫌な奴も存在せず、自分の因縁でそのような「場面」に遭遇したのである。
空の思想では、嫌いな人を次のように見ることを奨めています。
①好きな人と嫌いな人とどちらでもない人を想像する。
②好きな人が過去に敵であったり、嫌いな人が過去に親友や恩人であったり、好悪や行為は時間枠の中で固定されていないことを観想し認知する。
③嫌いな人が実は過去に大好きな人であった。もしくは将来の恩人になると観想する。
④以上のワークで嫌いな人に怒りを表すことの無意味さを知り、優しさの心が出てきたら将来は善きものとなる。
そもそも、理不尽なことに遭遇した時、
空の思想から考察するとは「これは自分のパワーが足りないから神仏に加護を祈る」とか「意識の中にマイナス感情があって引き寄せた」と考えるのは、実は根本的に「被害者意識」なので良くないのです。
とにかく「空の思想」では、運命を良き方向に変化させるには、被害者意識を持たないことである。
① 身近な他人が理不尽仕打ちを受けているのをリアルで見たら、それを他人事にせず、その事件が自分が解決するミッションがあるから身近で発生したと考えることです。利他の奨励である。
② 自分が理不尽な仕打ちを受けたと感じたら、まず自分が過去に同じような仕打ちを他者にしたと考え「被害者意識」を持たないこと。
③ 攻撃をしてくる者に対しては「忍辱」を教えてくれる者として捉えること。ダライ・ラマは「忍辱することを教えてくれる為に敵が存在する」と言っています。仏陀の境地を「六波羅蜜」といいますが、「忍辱」は利他行や布施行の根本行になるそうであるが、「忍辱」はもっとも修養するのが困難な行であるらしい。
このように、社会の悪行や個人的な理不尽な事件に対してはすべて善き因縁や必要な事と捉え、「被害者意識」にならないことが悪循環を止め良き未来の循環に至る根本の方法なのである。
腹が立つとどうしても「被害者意識」を抱いてしまうが、意識的に自分を被害者と考えず、現象を良き未来の種として捉える習慣が必要である。これは意識の生活習慣で得られるのです。
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Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
ということで、個人的に正月から理不尽なことを経験して腹がたった訳ですが、そもそも理不尽なことを見たり聞いたり被害者になったりするのは過去に自分の因縁があるからです。いわば「自業自得」なので仏陀のいうとおり「悪因悪果に遭遇したら悪因がひとつ消えたと考えて感謝する」ということである。じつは「被害者意識」こそ不幸の循環の種なのだ。
怒るとか憎むというのは被害者の意識であり、善き未来を作るには被害者になってはいけないのである。
つまり、空の思想では、悪い奴や嫌な奴が理不尽なことを私にしたのでは無く、悪い奴も嫌な奴も存在せず、自分の因縁でそのような「場面」に遭遇したのである。
空の思想では、嫌いな人を次のように見ることを奨めています。
①好きな人と嫌いな人とどちらでもない人を想像する。
②好きな人が過去に敵であったり、嫌いな人が過去に親友や恩人であったり、好悪や行為は時間枠の中で固定されていないことを観想し認知する。
③嫌いな人が実は過去に大好きな人であった。もしくは将来の恩人になると観想する。
④以上のワークで嫌いな人に怒りを表すことの無意味さを知り、優しさの心が出てきたら将来は善きものとなる。
そもそも、理不尽なことに遭遇した時、
空の思想から考察するとは「これは自分のパワーが足りないから神仏に加護を祈る」とか「意識の中にマイナス感情があって引き寄せた」と考えるのは、実は根本的に「被害者意識」なので良くないのです。
とにかく「空の思想」では、運命を良き方向に変化させるには、被害者意識を持たないことである。
① 身近な他人が理不尽仕打ちを受けているのをリアルで見たら、それを他人事にせず、その事件が自分が解決するミッションがあるから身近で発生したと考えることです。利他の奨励である。
② 自分が理不尽な仕打ちを受けたと感じたら、まず自分が過去に同じような仕打ちを他者にしたと考え「被害者意識」を持たないこと。
③ 攻撃をしてくる者に対しては「忍辱」を教えてくれる者として捉えること。ダライ・ラマは「忍辱することを教えてくれる為に敵が存在する」と言っています。仏陀の境地を「六波羅蜜」といいますが、「忍辱」は利他行や布施行の根本行になるそうであるが、「忍辱」はもっとも修養するのが困難な行であるらしい。
このように、社会の悪行や個人的な理不尽な事件に対してはすべて善き因縁や必要な事と捉え、「被害者意識」にならないことが悪循環を止め良き未来の循環に至る根本の方法なのである。
腹が立つとどうしても「被害者意識」を抱いてしまうが、意識的に自分を被害者と考えず、現象を良き未来の種として捉える習慣が必要である。これは意識の生活習慣で得られるのです。
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