わき起こる願望は「進めのサイン」と考え否定しないこと

願望について人は己の状態を鑑み否定する場合が多い。「もう年だからダメだわ」とか「時間が無いからダメ」とか「お金がないからダメ」とか「背が低いからダメ」とか「学歴ないからダメ」とかです。

しかしながら、「願望」或いは「欲望」というのは「その方向を目指せというシグナル」なのです。
つまり、願望や欲望は神からのシグナルであり、欲望の示すベクトルの先に「到達点」があるということなのです。
よって、心から沸き起こる願望や欲求に対し、条件や環境から「無理」と否定することはしてはいけないのです。
逆に願望や欲求があったら、己の置かれた状態から如何にすれば達成できるのかを真剣に考えることが人生を発展させるギフトと考えるべきであり、願望や欲求があるのに頑張らずに諦めたり何もしないということは運が悪くなるものです。

例えば、私が恋人と旅行中にひとりで散歩していたら山賊に誘拐され身ぐるみ剥され外国の見知らぬ森で道に迷ったとしましょう。私は暗闇で絶望的になり「宿に恋人」を待たせているので深く落胆していますと、なんと幸いにも懐中電灯が道に落ちていたとしましょう。

私は懐中電灯を手にすると唐突に懐中電灯を照らして前に進む「希望欲求」が出てきました。そして懐中電灯の明かりを頼りに前に進むことを考えます。

しかしながら方向も距離も判りません。ただ3メートルの灯りが見えるだけだとしましょう。
森の中でオオカミ(いないけどよ)や怪獣(絶対にいないけれども)に会う危険があるかもしれませんが、私は恐怖に負ける訳にはいかない「どうしても戻らねばならない欲求」があるので、見える3メートルだけを頼りに進むと、そこは宿泊も食事も出来るホテルがあり、なおかつ山賊を発見し警察に通報し盗品も返却され無事恋人と再会できるのです。

その懐中電灯こそ「欲求」であり「3メートルのライト」がベクトルなのです。
そして、願望や欲求を示して、その方向に漕ぎ出せば「最善の到達点」に達成できるのであります。願望や欲求に対し、諦めたり何もしないとジリ貧になって沼にハマるか或いはますます困難な状況が訪れるのです。
とにかく、欲求があれば「欲求を追及する方向」に「解決・救い」があると考え欲求肯定し欲求を満たすことを追及することが人生を開くことなのです。

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