遺伝子から考察した天皇の祖先

世間的には桑名で40度を越えるような異常な暑さおよび株価の暴落や南海トラフ地震の恐怖や台風が3個も近海で発生している異常状態なので今回の考察は「どうでも良い話」であるが、天皇家の万世一系を考えるには非常に重要な話である。

天皇家のY遺伝子は男系で現皇室につながっているのだがこの系統はオックスフォード大学の遺伝子研究チームの発表によると天皇のY染色体はハプログループのD1b1a2b1a1(D-CTS8093)に属する系統で縄文時代に変異した日本固有の遺伝子らしい。

さて、文献からハプログループのD1b1a2b1a1(D-CTS8093)に属する系統を考察しよう。

一般的にアフリカから出たD1系統は6万年前にDE系統から分かれ、D1系統は中央アジアのチベットに移動し、D1a系統となった。D2系統はどこにも存在しないのでアフリカで絶滅したと言われている。
5万年ほど前にD1a2の系統がチベットから南に移動した者と東に移動した者の二系統に別れ、南に移動した者がアンダマン諸島でD1a2bとなった。そして東に移動した者が、約3万年ほど前に朝鮮半島から日本列島に上陸したという説が言われる。
しかしながら、実際には日本の南部に遺伝子が多いので上陸の経緯は良く判らないのが実情である。

さて、日本列島上陸後変異をしてD1a2aの系統となった。従ってこの系統は日本列島のみにしか存在せず、現代日本人の39%を占めており、皇室につながっている。つまり、天皇は朝鮮でも中国でも西アジアでも無く日本固有の遺伝子を持っているということである。

ちなみに、DE系統の遺伝子はYAP遺伝子(神の遺伝子)とも呼ばれ、勤勉、虫の音を綺麗だと思う感性および他人のために尽くさねばならないという神経症的性質はこの遺伝子によるものと言われている。

問題は、日本国内で変異してD1a2aになり、「日本唯一無二の遺伝子」になったという点であり、しかも変異の時期が4万年前とチベットから移動した年代よりも古い点である。

ちなみにDタイプの遺伝子は東アジアのみに見られアフリカではほぼ無いので、実はアジアで発生したという説があり、私はそちらを支持しする。

つまり、スンダランド等のアジアの大陸で発生した神の遺伝子D遺伝子を持つ人類が日本に上陸し、日本国内で更に神の遺伝子が入って変異してD1a2aになったと思われる。

以上から推察すると、天皇家は約4万年前に日本で発生した特殊な遺伝子を万世一系繋がっている唯一無二の王朝であるということだ。

すると古文書や神社の伝承が語るように、外国から日本に文明が入って来たのではなく、逆に日本国から中華文明やメソポタミアやシュメール文明が移動したと考えることもできる。
古代ヘブライのイザヤの東方に神の国があるという預言を信じ実際に10支族が東の理想郷を目指しただけでなく、中国では東方の蓬莱山で神農帝が産まれ息子の5人が中国に渡り中華文明を作ったという伝承がある。徐福が日本に来たのも始皇帝が徐福の話を信じたのも中国や中東に伝わる「東の島の蓬莱伝承」を信じていたからである。
メソポタミアでも皇室でも菊の御門を使用しているのは偶然ではない。出自が同じなのだ。

縄文時代から弥生時代になり、他国から多くの外国人が日本国に来たが「蓬莱山の伝説」があるため「縄文時代からの大王」が日本を神代統治し存在することは日本に来た渡来人は知っていて「別格視」していたようである。

弥生時代には、BC500年頃、呉王夫差の子「忌」が現熊本地方に流れ着き後の狗奴国を作った。これが伊弉諾尊一族と言われている。
さらにBC200年頃秦徐福が有明海沿岸に上陸し、吉野ヶ里遺跡を作ったと思われる。
徐福は日本に来ていないと言われているが確実に日本に来ている。徐福が指導したとされる有明海沿岸の農耕遺跡から出土した炭化米は徐福の国の長粒米である。又 徐福がお礼に植えたとされる「樹齢2200年のビャクシン」は国内では佐賀県と伊豆半島の大瀬崎一帯にしかなく、共に徐福伝説を持っている故に徐福伝説が真実であることを証明している。
しかしながら遺伝子によれば、中国で本気で信じられている「天皇は徐福の子孫」では無く、現在の皇室は徐福の子孫ではないようである。

BC40年頃、素戔嗚の一族の祖(布都御魂)が高句麗との戦いに敗れ日本の出雲の亡命してきた。素戔嗚は高句麗の王の血を引いて日本で生まれた。素戔嗚は北九州を統一し「倭国」を作った。
息子の大歳こと饒速日は大和を統一し「三輪王朝」を作り、日本統一を試みたが縄文人の抵抗があり果たせないでいた。
徐福の子孫の助言によって縄文人の長である「飛騨王朝の天皇」に協力を求め、和睦に成功し、大和朝廷が成立した。

伊弉諾一族の卑弥呼(日向津姫)は素戔嗚と結婚し子供を産んだが、後に飛騨王朝の天皇(高皇産霊神)と再婚し瓊瓊杵尊を産む。
瓊瓊杵尊の子供が鵜茅草葺不合尊であり孫が佐野命(神武天皇)となる。
なぜ飛騨王朝の王子が卑弥呼と再婚したのかというと、先に説明のように天孫の力を借りて日本統一を為し天孫中心(皇道)の日本国成立を目指す素戔嗚の子孫の饒速日に協力して九州に移動していた為である。
つまり神武天皇は素戔嗚の子では無く、天皇の祖先である日本唯一のYAP遺伝子を引き継いでいる飛騨王朝の帝の子孫になる。

後に記紀では、持統天皇によって縄文時代から日本のみに伝わる天照大神の正式の遺伝子を後世に伝えるために徐福や饒速日と皇室の関係は歴史から消されたということである。もしかしたら徐福や素戔嗚の血を引く皇子がいたかもしれないが万世一系を守る者達によって徐福や国津神の男系子孫は天皇にはなれなかったと思われる。

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