伯兪杖に泣く
伯兪という男が居て、若い頃からやんちゃ坊主で、母親がいつも叱るのです。
折檻で棒で叩くのです。「悪いことをしたらダメでしょ!」という叩きです。体罰ですね。
しかし、伯兪はいつも「へへへ」と笑って全く反省しないのです。そして悪事をするのです。
ところが、伯兪が成人に為って、いつものように悪事をしたらしく、
年老いた母が杖で叩いたら、今まで一度も泣かなかった伯兪が慟哭して泣いた。
今まで決して反省しなかった伯兪が泣いた。
なぜ泣いたのか?
痛くて泣いたのでも、悪事を悔いて泣いたのでも無いのです。
それは母が年老いて伯兪を叩いた杖がまったく力が無かったから泣けてきたのです。
哀しい話だと思いませんか?
今まで親に甘えていたのですね。反発もあったのかも知れません。だから叩かれても親不孝を止めなかったのです。
でも、ある日今まで親を悲しませていたばかりの自分に泣けてきたのです。
気づくのが遅かったので申し訳なくて泣けてきたのです。
なぜこんな話を書いたかというと、この話を最近知って、昔の話を思い出したからです。
町民運動会というものがあり、そこに幼い頃から足が不自由になって、成人して同じように足が悪い女性とめでたく結婚し、そして子供が出来て、子供は健康に産まれて育った夫婦が参加していました。
子供が幼稚園児になり町民運動会で子供が走る姿を見ていたら、最初応援していた彼が急にポロポロ泣いているので
「自分が走れなかったから嬉しくて泣いているのだな」と思っていました。
たぶん私以外の皆もそう思ってとめどなく涙を流す彼をそっと見守っていました。
一人だけ泣いている姿を他人に見せて気まずかったのか、彼は私にこう言いました。
「自分は子供が元気に走る姿を見て嬉しくて夢中で応援していたのですが、ふと「私の親には自分が走る姿を見せられなかった」ことに気づき、自分は走る子供を見てこんなに幸せなのに、私の親には走る姿を見せられなかった。
私の親は子供の運動会の度に悲しかっただろうかと思うと、最後まで自慢の息子になれないままで申し訳なくて泣けてきた。
恥ずかしい姿を見せて申し訳ありません」
彼は嬉しくて泣いていたのでは無くて「自慢の息子に成れなくて泣いていた」のです。
親は子供の成長を見て喜ぶものです。そして本当は子供は親を悲しませることが嫌なのです。子供は誰でも本当は親が大好きなのです。
だから親に褒めてもらおうと頑張る。いつか褒めてもらおうと誰でも思っているのです。
しかし、ある日、どうしても親に喜んでもらえないと悟った時、伯兪のように後悔で泣くのでしょう。
親は子供の幸せのために努力し、子供は親の期待に応えようと努力する。
人類が「子孫のために未来の人類の為にやらねばならない」という気持ちとは、「ちいさな親子愛」が原動力なのです。
まさに人間の社会の基本は「親子関係」であり、社会が良き方向へ発展の「原動力」とはこの「親子関係の延長・拡大」なのです。
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エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
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しかし、伯兪はいつも「へへへ」と笑って全く反省しないのです。そして悪事をするのです。
ところが、伯兪が成人に為って、いつものように悪事をしたらしく、
年老いた母が杖で叩いたら、今まで一度も泣かなかった伯兪が慟哭して泣いた。
今まで決して反省しなかった伯兪が泣いた。
なぜ泣いたのか?
痛くて泣いたのでも、悪事を悔いて泣いたのでも無いのです。
それは母が年老いて伯兪を叩いた杖がまったく力が無かったから泣けてきたのです。
哀しい話だと思いませんか?
今まで親に甘えていたのですね。反発もあったのかも知れません。だから叩かれても親不孝を止めなかったのです。
でも、ある日今まで親を悲しませていたばかりの自分に泣けてきたのです。
気づくのが遅かったので申し訳なくて泣けてきたのです。
なぜこんな話を書いたかというと、この話を最近知って、昔の話を思い出したからです。
町民運動会というものがあり、そこに幼い頃から足が不自由になって、成人して同じように足が悪い女性とめでたく結婚し、そして子供が出来て、子供は健康に産まれて育った夫婦が参加していました。
子供が幼稚園児になり町民運動会で子供が走る姿を見ていたら、最初応援していた彼が急にポロポロ泣いているので
「自分が走れなかったから嬉しくて泣いているのだな」と思っていました。
たぶん私以外の皆もそう思ってとめどなく涙を流す彼をそっと見守っていました。
一人だけ泣いている姿を他人に見せて気まずかったのか、彼は私にこう言いました。
「自分は子供が元気に走る姿を見て嬉しくて夢中で応援していたのですが、ふと「私の親には自分が走る姿を見せられなかった」ことに気づき、自分は走る子供を見てこんなに幸せなのに、私の親には走る姿を見せられなかった。
私の親は子供の運動会の度に悲しかっただろうかと思うと、最後まで自慢の息子になれないままで申し訳なくて泣けてきた。
恥ずかしい姿を見せて申し訳ありません」
彼は嬉しくて泣いていたのでは無くて「自慢の息子に成れなくて泣いていた」のです。
親は子供の成長を見て喜ぶものです。そして本当は子供は親を悲しませることが嫌なのです。子供は誰でも本当は親が大好きなのです。
だから親に褒めてもらおうと頑張る。いつか褒めてもらおうと誰でも思っているのです。
しかし、ある日、どうしても親に喜んでもらえないと悟った時、伯兪のように後悔で泣くのでしょう。
親は子供の幸せのために努力し、子供は親の期待に応えようと努力する。
人類が「子孫のために未来の人類の為にやらねばならない」という気持ちとは、「ちいさな親子愛」が原動力なのです。
まさに人間の社会の基本は「親子関係」であり、社会が良き方向へ発展の「原動力」とはこの「親子関係の延長・拡大」なのです。
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