なぜ記紀から出雲系の歴史が消されたのか?

神社には歴史的な伝承が残っていて、神社の成立から日本歴史は非常に良く判ります。
しかしながら、伝承による日本の歴史と記紀(日本書紀と古事記)の記述が違うことが判っています。
それは、日本全国に出雲系の素戔嗚や饒速日、大国主(大穴牟遅神)の神社が圧倒的に多いのに関わらず、少数の神社しかない日向系の天照大神が記紀(古事記・日本書紀)においては、もっとも偉大になっている点である。否、出雲の神々の業績が消されているのです。

つまり、皇族の祖先でもある出雲族はことごとく国津神として脇役にされ、日向族だけが天津神として正統の神であるという改ざんがされている。

なぜそのような改ざんがされたのか私の考えを書く前に、日本の神社文化の発祥について考察しましょう。

最近はこのような意識は薄れているが、日本人は古来から自分達を「特別の人種である」という選民思想がありました。
この選民思想を強烈に持っているのは、実はユダヤ人と日本人だけと言われている。

そしてこの日本人の選民思想がいつから芽生え定着したのかというと、実は日本の神社が現在のようになった時、即ち、日本の神社に鳥居があり手を洗う場所や狛犬があるというユダヤの神殿と同じように作られた時からであり、正確に言うならば秦氏が天皇の命を受けて日本の神社を整備してからである。この秦氏は神社だけでなく寺院も整備しているのです。秦氏は実のところ神道信者でも仏教信者でも無く、神道信者でも仏教信者でもある。つまり秦氏の目的は天皇守護なのです。

秦氏が日本の神社を整備し鳥居を作ったのであり、秦氏以前の日本の神社には鳥居や手洗いが無かったのであります。
また日本人の習慣と思われている鏡餅や祭りの神輿なども秦氏の行っていた文化が日本に定着したのであり、秦氏が神道を整備する以前にはそのような風習は無かったことが判っている。

つまり、秦氏の宗教儀式が日本の神道文化と習合したのである。そして秦氏はユダヤ支族あります。

秦氏は百済から日本に帰化した氏族であり、秦の始皇帝の末裔とも記述されてある弓月君(融通王)が百済より百二十県の人を率いて帰化したと記されている。ちなみに秦の始皇帝もユダヤ十支族であったと言われる。秦氏が建立した神社が「八幡」「ヤハタ」と呼ばれることは、秦氏一族がユダ族の出自であることを示すらしく、百済秦氏は自らが出自はアジアでは無くユダヤの支族であると言っている。

さて、古代から日本には「日向族」天照大神の子孫と「出雲族」素戔嗚の子孫という主流があり、現在の天皇は「日向族」の子孫であります。
正確に言うと大化の改新以後、日本書紀や古事記の編集の時に天皇は「日向族」の子孫だとされた。

真実は、男の天皇は「日向族」から選び、皇后と実権は「出雲族」という約束があったのですが、この約束が守られなくなったので「日向族」と「出雲族」で争いが起き「日向族」が勝利したので、もともと「出雲族」のほうが力が強く勢力があったのですが、古事記から「出雲族」が抹殺されました。実は記紀から出雲族抹殺の画策したのは秦氏なのです。

例えば、有名な物部氏と蘇我氏の宗教戦争で聖徳太子が物部守屋を敗退させましたが、聖徳太子の相談や示唆をしていたのが秦河勝であることは有名であるし、大化の改新の藤原鎌足(中臣氏)の応援をしていた(スポンサー)も秦氏でした。

歴史の中で物部氏が没落したり、蘇我氏が没落したり藤原氏が没落しましたが、全ての陰謀の裏で暗躍してたのは「秦氏」であります。
ユダヤの戦略で「双頭戦略」というのがありますが、まさに秦氏はユダヤの双頭戦略で日本の天皇を裏から守護し支配してきたのである。

秦氏は決して表に立つことはありませんでしたが、物部、蘇我、藤原氏が没落しても秦氏は没落せず常に天皇の側近として日本の支配階級に同化していきました。

なぜ、記紀から出雲族を消す必要があったのかという話に戻りましょう。

そもそも「出雲族」は百済の王族であり、石上神社の祀られる布留大神という名は高句麗王の二人息子の長男の沸流(布留)である。次男の温蘇の子孫が百済王になった。つまり、出雲族(素戔嗚、饒速日)は百済の王族の子孫であり、天皇が世界で唯一無二の血統を持つ王である為には朝鮮の百済人の子孫であってはならないからです。つまり天皇はユダヤの王でなければならないゆえに消されてしまったのです。

古来から百済が日本に善光寺仏や七支刀などの国宝を贈ったのは、単に日本の協力が欲しかっただけでなく、日本が親戚だったからであります。つまり出雲王朝(スサノオ、饒速日)の大王は百済の王族の親戚であったからである。

さて、天皇の出自である日向族は「シルクロード経由で沖縄から九州日本に来たユダヤ十支族」であったようです。
つまり、日向族もユダヤ支族であったので、応神天皇の時に同族の秦氏を日本に招き入れることに熱心だったのです。
その証拠として、秦氏が列島に渡った当初から、天皇が住む京都周辺に拠点を与えられたのです。秦氏は絶大なる経済力と大陸で培った政治力で天皇家を着実に育て、ユダヤの文化や宗教をに日本の中に根付かせたのです。
秦氏が天皇の繁栄にすぐに貢献できたのは、皇室との血縁関係があったからである。

秦氏は日本の神社の整備に貢献しましたが、独自の神社も作っており、それが「稲荷神社」と「八幡神社」である。稲荷神社は秦氏の氏神的稲荷信仰をもとに作られた神社と言われていますが、八幡神社の祭神は、なんと応神天皇なのである。誉田別尊(ホムタワケノミコト)とは秦氏を日本に招いた応神天皇である。秦氏と天皇の秘密の関係が垣間見えます。

以上、記紀から出雲系が消された理由は、天皇がユダヤ十支族の王であることを守るために百済王の血脈を断つ必要があり、それを実行したのがユダヤ支族である秦氏というのが私の仮説です。
因みに、イスラエルにユダヤ十支族の調査機関があり、イスラエルの研究者達は日本に十支族が来たと普通に考察しています。何度も調査に日本に訪れているそうである。因みにユダヤ教のラビサミュエル・グリーンバーグは日向族はガド族であると言っているが真偽ははっきりしていない。

但し、記紀からは消されましたが、皇室では祖先として出雲系の「大國魂神(大物主)」と日向系の「天照大神」を祀っているので出雲系の存在を皇室が消した訳ではありません。現実に布留大神も饒速日も天皇自らが何遍も参拝し国家安泰を頼る神であり、呪力を持つ出雲の神であることには変わりはありません。

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