神とは何か
あらゆる思想を鑑みると、神の分類には以下のようになると思われます。
1、創造主観 神が人間を作った。
2、道具観 人間は神の道具である。
3、逆創造主観 人間が神を作り出した。
4、法則神観 自然の法則が神である。
5、外神観 神は人間の外に存在する。
6、内神観 神は人間の内に居る。
7、贖い神観 神は人間に捧げものを求める。
8、親子神観 人間と神は親子である。
9、神人同質観 人間は神である。
どれが正しいと思いますか?
実は神は「二重スリット実験」のように、「認識した神が顕れる」のであります。
実のところ正解も不正解も無いのです。神の数は無数にあるので感応した神があなたの前に顕れるのです。
信じた神が実際に顕現するので、「ほら俺が正しいだろ」と自慢げに思うのです。
しかしながら、間違った神の認知だと、邪神を信じた不幸な現象が発生します。
つまり、1、創造主観 神が人間を作ったと信じていると、創造主のように言うことを聞かない人間に罪をマインドコントロールし、当然の報いの罰を与える神と感応して「善悪二元論の神」が実際に顕れるのです。
そこで人間は善悪二元論になり、他を攻める争いが起こるのであります。これは現代のユダヤ・キリスト教社会です。
又、4,法則神観 自然の法則が神だと信じていると、「法則を守れば良いことが起こるし守らないと悪いことが起こる」神と感応して、損得でしか働かない神が顕れ、そのような信奉者は「悪いことが起こった人は悪いことをしたからだ」ような弱者に対し冷酷な社会になります。
これは一種の無神論であり道徳至上主義です。その延長線には共産主義になります。
神の実在に正解は無く、認知した神が顕れるのならば、結果が良い神を信じることが大事で、それは8、親子神観から9、神人同質観を信奉することが重要であると思われる。
誤解を恐れずに言えば、カトリックでもイスラム教でも仏教でも8、親子神観から9、神人同質観を信じることが正しいのである。
自分が神と親子ならば、神は常に私を守ってくれるでしょう。神に感謝し親孝行せねばならないし、自分の中に神が存在するのであれば、取り越し苦労や被害妄想は内なる神を痛めることになるので厳禁であるし、己が神なのにイマイチ運が悪いとしたら、神としての生活をしていない証拠であるので「至誠・言行一致・気力・努力・不精にならず」の生活指針を守り少しでも神に近づく生活をするようになりますので、善神と実際に感応するようになります。
そして、お稲荷さんでも八幡菩薩でもイエスキリストでも神頼みする時は、
微塵も疑ったりせず、神の力を信じ切ることが最も肝要である。
なぜなら、神は「二重スリット実験」のように、「認識した神が顕れる」からである。
疑ったら疑った神と感応しておかげ結果が出ません。
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エイジの部屋
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Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
1、創造主観 神が人間を作った。
2、道具観 人間は神の道具である。
3、逆創造主観 人間が神を作り出した。
4、法則神観 自然の法則が神である。
5、外神観 神は人間の外に存在する。
6、内神観 神は人間の内に居る。
7、贖い神観 神は人間に捧げものを求める。
8、親子神観 人間と神は親子である。
9、神人同質観 人間は神である。
どれが正しいと思いますか?
実は神は「二重スリット実験」のように、「認識した神が顕れる」のであります。
実のところ正解も不正解も無いのです。神の数は無数にあるので感応した神があなたの前に顕れるのです。
信じた神が実際に顕現するので、「ほら俺が正しいだろ」と自慢げに思うのです。
しかしながら、間違った神の認知だと、邪神を信じた不幸な現象が発生します。
つまり、1、創造主観 神が人間を作ったと信じていると、創造主のように言うことを聞かない人間に罪をマインドコントロールし、当然の報いの罰を与える神と感応して「善悪二元論の神」が実際に顕れるのです。
そこで人間は善悪二元論になり、他を攻める争いが起こるのであります。これは現代のユダヤ・キリスト教社会です。
又、4,法則神観 自然の法則が神だと信じていると、「法則を守れば良いことが起こるし守らないと悪いことが起こる」神と感応して、損得でしか働かない神が顕れ、そのような信奉者は「悪いことが起こった人は悪いことをしたからだ」ような弱者に対し冷酷な社会になります。
これは一種の無神論であり道徳至上主義です。その延長線には共産主義になります。
神の実在に正解は無く、認知した神が顕れるのならば、結果が良い神を信じることが大事で、それは8、親子神観から9、神人同質観を信奉することが重要であると思われる。
誤解を恐れずに言えば、カトリックでもイスラム教でも仏教でも8、親子神観から9、神人同質観を信じることが正しいのである。
自分が神と親子ならば、神は常に私を守ってくれるでしょう。神に感謝し親孝行せねばならないし、自分の中に神が存在するのであれば、取り越し苦労や被害妄想は内なる神を痛めることになるので厳禁であるし、己が神なのにイマイチ運が悪いとしたら、神としての生活をしていない証拠であるので「至誠・言行一致・気力・努力・不精にならず」の生活指針を守り少しでも神に近づく生活をするようになりますので、善神と実際に感応するようになります。
そして、お稲荷さんでも八幡菩薩でもイエスキリストでも神頼みする時は、
微塵も疑ったりせず、神の力を信じ切ることが最も肝要である。
なぜなら、神は「二重スリット実験」のように、「認識した神が顕れる」からである。
疑ったら疑った神と感応しておかげ結果が出ません。
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この記事へのコメント
大袈裟でなく、世の中のほとんどのことに対する解答だと思います。というより原則という方が近いでしょうか。物理法則ですし。
いずれにせよかなり疑問が解けて視界が明るくなりました。
ありがとうございます。