感謝や神頼みでは穢れを祓うことができない
私たちは日々の暮らしの中で、思い違いや行動や思考で「穢れ」が付着する。穢れが付着すると、運が悪くなったり、隣人と揉めたり、事故したりするが、感情面でも、イライラしたり、怒りっぽくなったり、意地悪になったりします。
そこで「穢れ」は「祓う・落とす」必要があるのですが、運が悪くなったり、悪いことが連鎖すると、「穢れ」を祓いに神社に行って、「仕事がうまくいきますように」とか「人間関係が円滑になりますように」というようか「祈願参り」をしたり、「日々、お守りくださってありがとうございます」と感謝を伝えにいく場合もあると思いますが、この「祈願」と「感謝」というのは実は「穢れ」を祓うことができません。
祓えても「ちょっとだけの間」であり「すぐ元に戻ります」
というのは、「穢れ」というのは、綺麗なガラスのコップの裏側に付着した「油汚れ」のようなものですので、実は「磨いて流すこと」が必要なのであります。
祈願や感謝というのは、さしずめコップに「綺麗な水」を入れることになりますが、もともとの「油汚れ」は取れていないのです。従って綺麗な水も徐々に汚損されることになるのです。
従って、油汚れを磨いて落とすためには、「懺悔」が最も効果があります。
つまり、「日々の暮らしの中で私が知らず知らずに犯した罪を許してください。ごめんなさい。」と懺悔することによってはじめてグラスの中の油汚れが磨いて落ちるのであり、根源に懺悔のない感謝やお祈りでは目に見えた効果・改善は決して出ません。
「なんだ。懺悔すればいいのか」と思うかもしれませんが、「穢れ」があるときは「自分が被害者」になっているので、「謝るなんて!トンデモない。私の悪運を祓って欲しい!」と考えやすいのです。
また「悪くもないのに謝るなんて奴隷根性」と思う場合もあるでしょうが、こういう考えをする時は、けっして感情が晴れやかになることが無いと思いますが如何でしょうか。
穢れと感情はリンクしていますので、いくら理性で強気でも感情が晴れやかに澄み切ってこないと穢れが消えないので、ますます理性をあざ笑うように運が悪くなります。
しかし、それでも理性を抑え、反省すべき点を見出し、「ここは確かに私が悪いです。ごめんなさい。許してください。」と懺悔しますと、心が晴れやかになって怒りや愚痴も心も消えていきます。感情が浄化されたときに穢れも落ちたことになります。
感情が浄化されますと、「感謝」が沸き起こってきます。感謝が沸き起こりますと「報恩・愛の行為」が出来るようになります。
実は、超能力や奇跡を起こす場合も同じ原理です。
つまり、「懺悔(自己滅却)」→「浄化」が出来てグラスが綺麗になり、「感謝」という綺麗な水(神力)が入り→「報恩(愛)奇跡力」に発展するという原理なのです。
もっとも基本の「懺悔」→「浄化」を飛び越して、「感謝」に行ってしまうので本気の神力がなかなか出ないということになります。
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エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
そこで「穢れ」は「祓う・落とす」必要があるのですが、運が悪くなったり、悪いことが連鎖すると、「穢れ」を祓いに神社に行って、「仕事がうまくいきますように」とか「人間関係が円滑になりますように」というようか「祈願参り」をしたり、「日々、お守りくださってありがとうございます」と感謝を伝えにいく場合もあると思いますが、この「祈願」と「感謝」というのは実は「穢れ」を祓うことができません。
祓えても「ちょっとだけの間」であり「すぐ元に戻ります」
というのは、「穢れ」というのは、綺麗なガラスのコップの裏側に付着した「油汚れ」のようなものですので、実は「磨いて流すこと」が必要なのであります。
祈願や感謝というのは、さしずめコップに「綺麗な水」を入れることになりますが、もともとの「油汚れ」は取れていないのです。従って綺麗な水も徐々に汚損されることになるのです。
従って、油汚れを磨いて落とすためには、「懺悔」が最も効果があります。
つまり、「日々の暮らしの中で私が知らず知らずに犯した罪を許してください。ごめんなさい。」と懺悔することによってはじめてグラスの中の油汚れが磨いて落ちるのであり、根源に懺悔のない感謝やお祈りでは目に見えた効果・改善は決して出ません。
「なんだ。懺悔すればいいのか」と思うかもしれませんが、「穢れ」があるときは「自分が被害者」になっているので、「謝るなんて!トンデモない。私の悪運を祓って欲しい!」と考えやすいのです。
また「悪くもないのに謝るなんて奴隷根性」と思う場合もあるでしょうが、こういう考えをする時は、けっして感情が晴れやかになることが無いと思いますが如何でしょうか。
穢れと感情はリンクしていますので、いくら理性で強気でも感情が晴れやかに澄み切ってこないと穢れが消えないので、ますます理性をあざ笑うように運が悪くなります。
しかし、それでも理性を抑え、反省すべき点を見出し、「ここは確かに私が悪いです。ごめんなさい。許してください。」と懺悔しますと、心が晴れやかになって怒りや愚痴も心も消えていきます。感情が浄化されたときに穢れも落ちたことになります。
感情が浄化されますと、「感謝」が沸き起こってきます。感謝が沸き起こりますと「報恩・愛の行為」が出来るようになります。
実は、超能力や奇跡を起こす場合も同じ原理です。
つまり、「懺悔(自己滅却)」→「浄化」が出来てグラスが綺麗になり、「感謝」という綺麗な水(神力)が入り→「報恩(愛)奇跡力」に発展するという原理なのです。
もっとも基本の「懺悔」→「浄化」を飛び越して、「感謝」に行ってしまうので本気の神力がなかなか出ないということになります。
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この記事へのコメント
ありがとう
ごめんなさい
許してください
愛してます
の4つの言葉は全て補完している感じでしょうか?
ごめんなさい 許してください→懺悔
ありがとう→感謝
愛してます→報恩
ですね。この順番で唱えるのが正解かも>うまうたいさん
油よごれ ですよ。
磨かないと落ちないのです>なつさん
その順番で唱えてみます。
神仏に感謝し、感動して涙が出るのはどうでしょうか。
それでも穢れは払われませんか?
あと、視覚的感動の場合は感情の高揚といったものですが、「おお~」とか涙が溢れてきますね。感謝というのは高揚の感覚は低いように思います。