未来を選ぶことは、未来から選ばれるということである。
唐突でありますが、私は予知夢をよく見る。
そして、予知夢とは決まっているから予知できるゆえに、「未来は決まっているのか?」とも思う。
しかしながら予知夢は発生の数日前にしか見ないので、「未来が結晶化したから予知夢になった」と今は思っている。
そこで、未来はいつどのように結晶化されるのか?という疑問をずっと抱いていたわけであるが、
最近、素粒子の性質を知って、未来は多次元で存在するのではないかと思うようになった。
実のところ、多次元で解釈するほうが、辻褄が合うのだ。
「未来はそんなに簡単には変わらない。既に結果があって選択に過ぎない訳がない。徐々に築き上げて行くんだ。」
と思う人が多いと思われる。
そこで私は将棋の例を出そうと思う。
私も将棋を指しますが、昔から将棋こそ「徐々に優勢を築き上げて勝つゲーム」と思っていたが、AIによって実際はそうではないことが判明したのだ。
昨今は、将棋の試合でコンピューターによって「勝率」が出る。驚くのは指し手一手で勝率が99%から10%まで落ちたり、
逆に一手で30%→95%にまで上がるのである。一手で未来が変わるのであります。
つまり、正しい手を指していれば、或いは相手が指し手を間違えたら、いつでも逆転可能な訳です。
私達の未来も将棋とおなじで、刹那の選択によって一瞬で未来は変わるといことである。
毎日数千個単位で売れる御菓子の人気商品があったとしましょう。
包装の接着不良でも封印が弱い程度の1個くらいなら市場で問題に為らないかも知れません。1個で発覚の確率50%でしょうね。
しかし2個あったら、恐らく70%になるでしょうし、3個あったら90%になるでしょう。
しかし、接着されていないのならば、消費者は必ず気が付くので、1個で発覚の確率90%以上になるでしょう。
一回の失敗で回収になる確率は変動し、不良によっては製品の人気と企業の信用が凋落する可能性があります。
だから製造業は一個の不良を出さないように徹底するのです。
未来は朝顔が徐々に育って花が咲くような花のようではなく、
大きな木のようなもので、各枝に花が咲いており、どの花になるかは、どの枝を選択することで決定される。
そして選択した枝が太くなり(選ばなかった枝は細くなる)木の全体を構成してゆく。
他者と個人は独立した木であるが、根は繋がって、森を作っているのではないか?
つまり、未来は作り出すのでも決まっているのでもなく、
選択肢があって個人の意思の選択でどれかに決定される。
と考えた方がいろんな状況を説明できるということである。
未来が素粒子の性質と同じならば、次のような仮説が成立すると思われる。
① 強い願望とは、必ず実現する選択肢にあるゆえに願望になる。
逆に実現できないことは未来の選択肢に無いから想像(イメージ)できないということ。
② ミッションは周りの協力が合って不思議に上手く行く
ミッションというのは未来から選ばれるということである。
個人のミッションこそ本来の未来、個性の花とも言える。
ミッションは他力が作用する為、不思議に上手く行く。逆に、ミッションを果たしてないと病気しても死なないし、意識的に逃げると運が悪くなる。
③ 特定の相手の運命を他者の身勝手なエゴで変えるような未来は選択出来ない。
個人には個人の未来(選択)がある。但し、他者の未来が自分の願望によって不幸な結果になる場合でも両者の意識(イメージ)が合致すれば実現する。
④ 特定の相手と自分との関係で「状態」が想像(イメージ)できることはそのまま実現する。
この子とは良い未来しかイメージできないが、あの子だと危険なトラブルが発生しそうな予感がする場合は、その通りになる。
それは、個々に未来の選択肢があり、両者の選択肢の方向性が一致したということ。
➄ 三方善し(自分・他人・社会)は実現する。
極めて私的で不埒な願望でも、三方善しの状態に意識を変化させれば実現する。全体としては曲がった木に為る。
ところで、私は、願望が叶った時、これは引き寄せなのか、あらかじめ決まっていたのかいつも判らなくなる。
我々の未来が、多次元で存在しているのならば、未来はあらかじめ決まっていた選択肢からひとつの未来を引き寄せたということだ。
そして、未来が多次元での選択であっても、全体の森として成長と調和がベクトルならば、
方向性のない状態、すなわち願望がない状態、運命に流される状態は悪い未来及び淘汰される未来を選択するに等しいであろう。
良い未来を強く望むならば、それがイメージできるのならば、90%の確率で悪い未来も、今からの行動と思いで未然に避けることができるはずである。
イメージできるのならば、それは可能である。願望成就に遅すぎるということは無いのだ。
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エイジの部屋
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Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
そして、予知夢とは決まっているから予知できるゆえに、「未来は決まっているのか?」とも思う。
しかしながら予知夢は発生の数日前にしか見ないので、「未来が結晶化したから予知夢になった」と今は思っている。
そこで、未来はいつどのように結晶化されるのか?という疑問をずっと抱いていたわけであるが、
最近、素粒子の性質を知って、未来は多次元で存在するのではないかと思うようになった。
実のところ、多次元で解釈するほうが、辻褄が合うのだ。
「未来はそんなに簡単には変わらない。既に結果があって選択に過ぎない訳がない。徐々に築き上げて行くんだ。」
と思う人が多いと思われる。
そこで私は将棋の例を出そうと思う。
私も将棋を指しますが、昔から将棋こそ「徐々に優勢を築き上げて勝つゲーム」と思っていたが、AIによって実際はそうではないことが判明したのだ。
昨今は、将棋の試合でコンピューターによって「勝率」が出る。驚くのは指し手一手で勝率が99%から10%まで落ちたり、
逆に一手で30%→95%にまで上がるのである。一手で未来が変わるのであります。
つまり、正しい手を指していれば、或いは相手が指し手を間違えたら、いつでも逆転可能な訳です。
私達の未来も将棋とおなじで、刹那の選択によって一瞬で未来は変わるといことである。
毎日数千個単位で売れる御菓子の人気商品があったとしましょう。
包装の接着不良でも封印が弱い程度の1個くらいなら市場で問題に為らないかも知れません。1個で発覚の確率50%でしょうね。
しかし2個あったら、恐らく70%になるでしょうし、3個あったら90%になるでしょう。
しかし、接着されていないのならば、消費者は必ず気が付くので、1個で発覚の確率90%以上になるでしょう。
一回の失敗で回収になる確率は変動し、不良によっては製品の人気と企業の信用が凋落する可能性があります。
だから製造業は一個の不良を出さないように徹底するのです。
未来は朝顔が徐々に育って花が咲くような花のようではなく、
大きな木のようなもので、各枝に花が咲いており、どの花になるかは、どの枝を選択することで決定される。
そして選択した枝が太くなり(選ばなかった枝は細くなる)木の全体を構成してゆく。
他者と個人は独立した木であるが、根は繋がって、森を作っているのではないか?
つまり、未来は作り出すのでも決まっているのでもなく、
選択肢があって個人の意思の選択でどれかに決定される。
と考えた方がいろんな状況を説明できるということである。
未来が素粒子の性質と同じならば、次のような仮説が成立すると思われる。
① 強い願望とは、必ず実現する選択肢にあるゆえに願望になる。
逆に実現できないことは未来の選択肢に無いから想像(イメージ)できないということ。
② ミッションは周りの協力が合って不思議に上手く行く
ミッションというのは未来から選ばれるということである。
個人のミッションこそ本来の未来、個性の花とも言える。
ミッションは他力が作用する為、不思議に上手く行く。逆に、ミッションを果たしてないと病気しても死なないし、意識的に逃げると運が悪くなる。
③ 特定の相手の運命を他者の身勝手なエゴで変えるような未来は選択出来ない。
個人には個人の未来(選択)がある。但し、他者の未来が自分の願望によって不幸な結果になる場合でも両者の意識(イメージ)が合致すれば実現する。
④ 特定の相手と自分との関係で「状態」が想像(イメージ)できることはそのまま実現する。
この子とは良い未来しかイメージできないが、あの子だと危険なトラブルが発生しそうな予感がする場合は、その通りになる。
それは、個々に未来の選択肢があり、両者の選択肢の方向性が一致したということ。
➄ 三方善し(自分・他人・社会)は実現する。
極めて私的で不埒な願望でも、三方善しの状態に意識を変化させれば実現する。全体としては曲がった木に為る。
ところで、私は、願望が叶った時、これは引き寄せなのか、あらかじめ決まっていたのかいつも判らなくなる。
我々の未来が、多次元で存在しているのならば、未来はあらかじめ決まっていた選択肢からひとつの未来を引き寄せたということだ。
そして、未来が多次元での選択であっても、全体の森として成長と調和がベクトルならば、
方向性のない状態、すなわち願望がない状態、運命に流される状態は悪い未来及び淘汰される未来を選択するに等しいであろう。
良い未来を強く望むならば、それがイメージできるのならば、90%の確率で悪い未来も、今からの行動と思いで未然に避けることができるはずである。
イメージできるのならば、それは可能である。願望成就に遅すぎるということは無いのだ。
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