弱肉強食と利他の心
雑草を見ていると植物も弱肉強食で、最初は小さい草が生えていたが放置するとスギナが生えてさらに放置するとセイタカアワダチソウが占領する。
最終的に「適者生存」である。小さい虫や鳥はカラスに食べられるがカラスは鷹に食べられる。
細菌も他の細菌の増殖を抑えて生存競争を有利にする戦略をとっている。利己的な要素は遺伝子から組み込まれている。
確かに地球上の生命体はすべて弱肉強食であり、適者生存である。
最終的に望んでいるのは「飽くなき自己の増殖」である。それは自然の意志である。
地球上の世界は新陳代謝することによって生命体の進化と共存を目指しているように思えるが、今のところ地球上の生命体の頂点に君臨しているのは「人間」である。
人間がなぜ頂点かというと、実は力が強い訳でも無い。しかし、単に知恵に優れていることが完全な回答ではない。
例えば、人間の中でも知恵も力もないのに、「赤ちゃん」は何もしないのに皆から守られる。
逆に力の強い者は戦場で死ぬ可能性があるし、頭の良い者は働かなくてはならない。
例は適切ではないかも知れないが、地球上の大富豪や王族は必ずしも「力」や「知恵」が庶民よりも優れているわけではないのに、人間界の頂点に君臨して働かずに皆から養われる。
その説明不能な場合において一般的な理由は、「徳がある」と言われる。
或いは「前世で良い行いをした」とか「天使の生まれ変わり」とも言われる。
そして実際に「極めて恵まれている人達」は、このような説明不能の場合がほとんどで「徳があるから」という説明しかできないほうが多いと思われる。
一般的には「徳がある人」は、「運がいい人」とも言われる。
さて、「徳がある人が運が良い」のはなぜか?物理的な理由は何かを考察してみよう。
誤解を恐れずに言うと、運がよくなるとか生存の優劣を決定するのは「宇宙生命力」である。
いわゆる「宇宙生命力が強いモノ」が生き残る。運が良い。徳が高い。
そして、「宇宙生命力」とは何かというと「エーテル」である。「エーテル量が多く、しかも質の良いエーテルが多いモノが運が強い」ということである。
人間も地球上の生命体であるゆえに他の生命体と同じく「弱肉強食」「適者生存」の世界に生きている。
いわゆる利己的な世界の住人であり、競争が必須の世界。私達の棲む世界はけっしてお花畑では無い。
放置すれば、お花畑は荒らされてしまうのが自然の摂理である。しかし人間はお花畑を作ることができる。
それでは、どうすれば人間世界で「自分が最強の生命体」になれるかというと、人間も「エーテル」を体内に取り込めば運が良くなる。
エーテルの量が多い者ほど三次元の肉体の力が増し、肉体に付随するアストラル体が強化され運が強くなる。
その方法論として多くの人が考察している。
中村天風は、「宇宙生命体」を「霊魂」といい「霊魂が多くなると運が良くなる」と言い「そのためには絶対積極的な心が肝心」と言う。
或いは空海は、特殊な修行によって、自ら体内に高次元の宇宙生命体(神霊)を憑依させて奇跡を行った。
例えば、龍は天候や環境に特化したエーテルを保持しているので龍が憑依すると天候や生命を操れる。
ヨガの達人は、呼吸を練ることで体内にエーテルを充満させる。
グルジェフは「アストラル体」と呼ばれるもの(つまりそれは宇宙生命体)は融合、つまり非常に困難な内的ワークと苦しい闘いによって獲得されると教える。
じつはどれも方法論としては間違いは無いのであるが、ここで肝心なことは、「器」が必要であるということだ。
いくら呼吸を練っても積極思考でも「器」が無いならエーテルが入らない。
そして、器を作成し大きくするのは、皮肉にも利己心の対極の「利他の心」である。
利他の心の大きさで「宇宙生命体を入れる器の大きさ」が決まる。
利己が自然の意志にもかかわらず、エネルギーを入れる器に必要なのは利他なのだ。
「この世界で超人になるには、反世界の住人にならねばならぬ」といったのはグルジェフであるが、まさに利他こそ反自然である。反自然とは、放蕩や不道徳ではない。そんなのは自然である。反自然とは利他であり自己犠牲である。
しかしながら利他の心だけでは運が良くならない。エーテルを取り込まねば物理的に運が良くならないのだ。
器が小さいと、いくら呼吸を練ってもエーテルが入らないし、良い波動を持たねば良いエーテルが入らない。
積極思考も同じで、良い波動を持っていないと良いエーテルが入らない。己の人格が高次でないと、高次な神霊が憑依しない。
すなわち、人間以外の地球上の生命体が持っていない心、それは利他の心であり、利他の心の大きさで器が決まる。
ゆえに人間が地球の頂点にあるのは、他の生命体が持たない利他の心を持つゆえに「器が大きい」からである。
利他の心を持つ故に、他の生命の保護を考えたり、環境を調節できるのである。
自然環境を考慮するような生命体は人間以外にはいない。それも利他の心である。
ということで、方法論は、呼吸法や積極思考や鎮魂帰神でOKであるが、肝心なのは器であり、自分以外の生命を大事にするという利他心を高めることが重要という当たり前の結論になる。
利他の心を持ちながら、エーテル量を取り入れる生活をすることが重要である。
私は以前にアフリカの動物のドキュメンタリー映像を見たことがある。
確かにそこにあるのは弱肉強食の世界で、ライオンは「確かにフィジカル的に最強」と思った。
そして映像でつぎのようなナレーションがあった。
「このアフリカでライオンよりも強い生き物がいる。」
「その生き物は強い顎も早い足もない」
「アフリカで最強の者。それはマサイだ。」
マサイ族が太陽を背にして跳ねる画面が広がった。
私はそのとき実感したのだ。「人間は他の地球上の生物とは明らかに違う生命体であるな。この美しさは何だろう?」
マサイには、神々しく選ばれた生命体だけが持つ特別な美しいオーラが漂っていた。
マサイの長は「なぜマサイ族がサバンナの支配者なのかというと、マサイがこの地の主であることを神から許されたからだ」と答えた。
この答えにすべての意味があるのだ。
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最終的に「適者生存」である。小さい虫や鳥はカラスに食べられるがカラスは鷹に食べられる。
細菌も他の細菌の増殖を抑えて生存競争を有利にする戦略をとっている。利己的な要素は遺伝子から組み込まれている。
確かに地球上の生命体はすべて弱肉強食であり、適者生存である。
最終的に望んでいるのは「飽くなき自己の増殖」である。それは自然の意志である。
地球上の世界は新陳代謝することによって生命体の進化と共存を目指しているように思えるが、今のところ地球上の生命体の頂点に君臨しているのは「人間」である。
人間がなぜ頂点かというと、実は力が強い訳でも無い。しかし、単に知恵に優れていることが完全な回答ではない。
例えば、人間の中でも知恵も力もないのに、「赤ちゃん」は何もしないのに皆から守られる。
逆に力の強い者は戦場で死ぬ可能性があるし、頭の良い者は働かなくてはならない。
例は適切ではないかも知れないが、地球上の大富豪や王族は必ずしも「力」や「知恵」が庶民よりも優れているわけではないのに、人間界の頂点に君臨して働かずに皆から養われる。
その説明不能な場合において一般的な理由は、「徳がある」と言われる。
或いは「前世で良い行いをした」とか「天使の生まれ変わり」とも言われる。
そして実際に「極めて恵まれている人達」は、このような説明不能の場合がほとんどで「徳があるから」という説明しかできないほうが多いと思われる。
一般的には「徳がある人」は、「運がいい人」とも言われる。
さて、「徳がある人が運が良い」のはなぜか?物理的な理由は何かを考察してみよう。
誤解を恐れずに言うと、運がよくなるとか生存の優劣を決定するのは「宇宙生命力」である。
いわゆる「宇宙生命力が強いモノ」が生き残る。運が良い。徳が高い。
そして、「宇宙生命力」とは何かというと「エーテル」である。「エーテル量が多く、しかも質の良いエーテルが多いモノが運が強い」ということである。
人間も地球上の生命体であるゆえに他の生命体と同じく「弱肉強食」「適者生存」の世界に生きている。
いわゆる利己的な世界の住人であり、競争が必須の世界。私達の棲む世界はけっしてお花畑では無い。
放置すれば、お花畑は荒らされてしまうのが自然の摂理である。しかし人間はお花畑を作ることができる。
それでは、どうすれば人間世界で「自分が最強の生命体」になれるかというと、人間も「エーテル」を体内に取り込めば運が良くなる。
エーテルの量が多い者ほど三次元の肉体の力が増し、肉体に付随するアストラル体が強化され運が強くなる。
その方法論として多くの人が考察している。
中村天風は、「宇宙生命体」を「霊魂」といい「霊魂が多くなると運が良くなる」と言い「そのためには絶対積極的な心が肝心」と言う。
或いは空海は、特殊な修行によって、自ら体内に高次元の宇宙生命体(神霊)を憑依させて奇跡を行った。
例えば、龍は天候や環境に特化したエーテルを保持しているので龍が憑依すると天候や生命を操れる。
ヨガの達人は、呼吸を練ることで体内にエーテルを充満させる。
グルジェフは「アストラル体」と呼ばれるもの(つまりそれは宇宙生命体)は融合、つまり非常に困難な内的ワークと苦しい闘いによって獲得されると教える。
じつはどれも方法論としては間違いは無いのであるが、ここで肝心なことは、「器」が必要であるということだ。
いくら呼吸を練っても積極思考でも「器」が無いならエーテルが入らない。
そして、器を作成し大きくするのは、皮肉にも利己心の対極の「利他の心」である。
利他の心の大きさで「宇宙生命体を入れる器の大きさ」が決まる。
利己が自然の意志にもかかわらず、エネルギーを入れる器に必要なのは利他なのだ。
「この世界で超人になるには、反世界の住人にならねばならぬ」といったのはグルジェフであるが、まさに利他こそ反自然である。反自然とは、放蕩や不道徳ではない。そんなのは自然である。反自然とは利他であり自己犠牲である。
しかしながら利他の心だけでは運が良くならない。エーテルを取り込まねば物理的に運が良くならないのだ。
器が小さいと、いくら呼吸を練ってもエーテルが入らないし、良い波動を持たねば良いエーテルが入らない。
積極思考も同じで、良い波動を持っていないと良いエーテルが入らない。己の人格が高次でないと、高次な神霊が憑依しない。
すなわち、人間以外の地球上の生命体が持っていない心、それは利他の心であり、利他の心の大きさで器が決まる。
ゆえに人間が地球の頂点にあるのは、他の生命体が持たない利他の心を持つゆえに「器が大きい」からである。
利他の心を持つ故に、他の生命の保護を考えたり、環境を調節できるのである。
自然環境を考慮するような生命体は人間以外にはいない。それも利他の心である。
ということで、方法論は、呼吸法や積極思考や鎮魂帰神でOKであるが、肝心なのは器であり、自分以外の生命を大事にするという利他心を高めることが重要という当たり前の結論になる。
利他の心を持ちながら、エーテル量を取り入れる生活をすることが重要である。
私は以前にアフリカの動物のドキュメンタリー映像を見たことがある。
確かにそこにあるのは弱肉強食の世界で、ライオンは「確かにフィジカル的に最強」と思った。
そして映像でつぎのようなナレーションがあった。
「このアフリカでライオンよりも強い生き物がいる。」
「その生き物は強い顎も早い足もない」
「アフリカで最強の者。それはマサイだ。」
マサイ族が太陽を背にして跳ねる画面が広がった。
私はそのとき実感したのだ。「人間は他の地球上の生物とは明らかに違う生命体であるな。この美しさは何だろう?」
マサイには、神々しく選ばれた生命体だけが持つ特別な美しいオーラが漂っていた。
マサイの長は「なぜマサイ族がサバンナの支配者なのかというと、マサイがこの地の主であることを神から許されたからだ」と答えた。
この答えにすべての意味があるのだ。
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