悪因縁を切る方法
仏教では、色・受・想・行・識 という五蘊によって限りない苦の連鎖に陥ると説く。そして五蘊によって物体や因縁が生じると説く。
輪廻に捕らわれる人間も五蘊の集合体である。そして仏陀は五蘊に捕らわれなければ、因縁から解脱すると言っています。
そこで途中の考察を書かずに簡単にまとめてしまうと、
現象に対して、「ネガティブ」に解釈すると、因果が繰り返すが、現象に対して「ポジティブ」に解釈すると、五蘊の連鎖から脱却すなわち因果から解放されるということである。
ここに嫌な奴がいるとしましょう。いつも君を邪険に扱う者がいるとする。
しかしながら、実際には、嫌な奴がリアルに存在しているのでは無く、君がいるから嫌な奴が現れるのである。
つまり、嫌な奴は君にだけ嫌な奴であるが、違う者にとっては嫌な奴ではないのだ。君に会うといきなり紳士から殺戮者のエージェントスミスに変身するようなものである。君に嫌な奴を引き寄せる因縁があるから、嫌な奴と遭遇する磁石があるのだ。
嫌な奴が存在する原因が、君の因縁に過ぎないのならば、その因縁を消せば嫌な奴が消えるということである。
そこでどうやって因縁を消すかというと、仏教の考えでは、色・受・想・行・識の流れを遮断すれば良い訳なので、嫌な奴に嫌な事をされても、ネガティブな感情を発揮しないことである。
つまり、因縁で生じた現象を避けることが出来ないが、その現象を「ネガティブ感情」で受け取るから色・受・想・行・識の流れが発生し因果が繰り返す。因果の現象を逆に「ポジティブ感情」で受け止めれば、因縁の現象はそこで終わるということである。
そこで、ポジティブとネガティブについて考察すると、ネガティブな感情とは何かというと「被害者意識」であり、ポジティブな感情というのは「現象の肯定」である。
被害者意識というのは、「〇〇をやらされてる」「アイツのせいで失敗した」「もう少し背が高かったらオリンピックに行けた」
「時間に間に合わなかったから失敗した」という被害者・劣等感目線で、そこから発生する感情はネガティブな感情である。
ポジティブな感情というのは、心の中の「被害者意識」を取り払って「現象はすべて正しい」と捉えることである。
「現象は成功に足りないところ、修正すべき道を示している」と捉え、結果的に「自分の周りで起こったことは、すべて当たりくじになる」
と考えることです。
ネガティブとポジティブで大事なことは、無理やりポジティブに考えるのでは無く、まず被害者意識を排除することである。被害者目線状態のポジティブ思考は、ポジティブに見えても結果はネガティブなってしまう。
「頑張ります!」でも被害者意識の頑張りますではダメなのです。
「被害者ですけど、健気に頑張ります」とか「被害者ですけど、相手を許します」ではネガティブと同じなのです。
「頑張ります」「許します」ってポジティブな感じですけど、被害者目線だとネガティブのままなのです。
感情や思考について、最初にすべきことは、プラス思考とかポジティブ思考では無く、とにかく、心の中の「被害者意識」を取り払うことが重要なのです。
そして、被害者意識とは「劣等感」と同じであり、引き寄せの法則で言う「欠乏感」と等しいのであり、幸運や富を引き寄せ出来ない代表的なマイナス思考です。
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この記事へのコメント
被害者意識を取っ払って、相手は自分だから引き寄せたんだと解釈した後、
それでもずっと、いやがらせを続けてこられたら?
全部自己責任と決めたら、嫌な奴はもう嫌がらせをしなくなるんでしょうか?
あるいは、去っていく?
いつも更新楽しみにしています。
今の自分に今回の内容とても必要だと思いました。
被害者意識を無くす。この点について
「現象は成功に足りないところ、修正すべき道を示している」と捉え、結果的に「自分の周りで起こったことは、すべて当たりくじになる」
もう少し具体的な例で教えて頂きたかったです。特に、身近な人間関係での例がわかりやすいかと思います。
いわば、懺悔ですね。コップの中の水を空にしないと新しい水が入らないように
まず懺悔するとういうか懺悔できるようになる必要があります。>執着者さん
他人から不合理で不条理な災難があった場合、過去の悪行が無くなったといって赤飯を炊くのが良いらしいです。
つまり、他人に反撃してもいいのですよ。問題は自分が傷つかないというのが重要です。
新たな因縁は、発生しないのですか?