世の中の為に私はどうやって生きるべきか?

誰でもふっと考える時がある。「どうやって生きるべきか?」「世の中の為に生きたいが何をすればいいのか?」

私は、この設問には明確な答えがあると思う。
それは、個人の長所を他人の為に奉仕することである。

個人の長所とは何かというと、一般的には「優れた才能」とか「望ましい性質」と考えがちだかそうでは無い。
長所とは、他人と相違する特異な性質すべてである。
すけべ過ぎるとか、物欲が強いとか一見、劣等な能力でも、明らかに他人より優越している能力ならば、それはすべて長所である。


しかしながら、特異的な優越が長所になるためには、大事な条件があり、それは、自分の特異な性質を生かして他人の為に奉仕することである。

例えば、変態性はパラノイアの一種で、一般的に気持ち悪い悪癖であるが、パラノイアという特異性を純化し昇華して詩として表現すれば誰にも書けないような視点の詩が書けるであろう。

それで奉仕とは何かというと、医療人は病人の為には自分の利益を無視しても奉仕せねばならないという「医療人の奉仕義務」なる高邁な精神が要求される訳であるが、そこには高貴な義務感という陶酔がある。つまり奉仕とは、高貴な義務感で自己犠牲的に他人に尽くすことである。

金持ちがお金を寄付したり、アスリートが競技で人を幸せにしたりするのは、出来ない人には羨ましい限りですが、実は「個人の長所を他人の為に奉仕すること」と同じである。
つまり、人に優し過ぎるという人がいたら、他人に優し過ぎるのが人と違う特異点、すなわち長所であるから、他人に優しい過ぎる性質を発揮して奉仕をすれば誰にもできない個人的な能力の発揮になる訳で、それは金儲けの上手な人がお金を寄付したり、走るのが速い者が競技で人を幸せにしたりするのと少しも変わらないのである。

サラリーマンを例にすれば、仕事が出来ることが誰でも重要と思うが、実は重要なのは仕事がすべてではない。
仕事の能力は平均以下で高くない人物が、性質的に常に周りの人が仲良く過ごせることに本心で腐心する人物だったとしましょう。
往々にしてこのような人物は「好人物であるが使えない奴」と評価されて弄られていることが多いと思われる。

しかしながら、実はこのような人物は「管理職の適性が高い」のです。実際にこのような弄られ上手を管理職にすると、彼のチームがどんどん成績が良くなってしかも皆が幸せを実現する。

材木にもならない無用と思われていた大木が、防災に役に立ったり、日差し避けに使われたりするように、無用のモノでもその無用と思われている特異性が実は長所なのである。

そして、大事な事があって、常に周りの人が仲良く過ごせることに腐心する人物が「自分は管理職に適性がある」と自覚することなのだ。
得てして劣等感と思いがちな自己評価を、実は短所でなくて長所であると自覚すると、実際に運命の歯車が、適性のある者が管理職になっていくように動き始めるからであります。ゆえに、誰でも自分の他人とは異なった特異な点を発見することです。なぜならそれは短所では無くて、他人と違う点は、紛れもない個人に与えれた個性的な長所であるからだ。

これは不可思議としか言いようがないけれども、自分の特異な能力を劣等感では無くて長所として自覚・発見し、更に特異な能力で他人に奉仕しようと決心することが極めて開運には重要ということです。

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この記事へのコメント

ゆみこ❤︎
2022年04月15日 17:34
ご無沙汰してしまいましたが、やっぱり楽しいです。
特異な能力が周りの人を巻き込むと、神様から授かった魅力に変化する。最高のスパークですね❣️ありがとうございます。

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