遊戯者は逆境を楽しむ

大雪が降りますと、私は明日仕事に行くのが憂鬱になります。「路面凍結して嫌だな」とか「早く起きて出勤は嫌だな」と思います。
しかしながら、これがもし明日気の合う友人達とスキーに行くのだったら気分は逆になります。
そこで考え方を転換し、「明日スキー場に行くのなら早起きも路面凍結も苦にならんだろ!」と自分に語りかけると一気に憂鬱が吹き飛びます。

そもそも、私達が楽しむスポーツというのは、見方を変えれば、困難や逆境を遊戯化したレジャーである。

零下の酸素が薄い高山を登るとか、リングで殴り合うとか、真夏に42Kmも走るとか、雪山を板で滑るとか、強制されたら拷問であるが、遊戯化したらレジャーになる。
真冬に裸になるのは苦難であるが、メイクラブ出来るなら進んで裸になるし、
大雪が降ったら生活者は苦難・逆境であるが、スキーヤーにとっては「ヤッホー」である。

生活者にとっては逆境・苦難な状況を、遊戯者は楽しむ材料にする。

遊戯者ならば、嫌味を言われたら、俺って重要な気になる存在だから嫌味言われるんだなと考え、
困難な仕事を押し付けられたら、やりがいのある仕事と考える。
女子社員が細かく干渉してきたら、嫌いだったら干渉しないと考えたり、
マウントしてきたら、嫉妬されてると考えたりって言うか、マウントはマジで嫉妬だし。
日々発生する「憂鬱な出来事」を、生活者視点では無く、遊戯者視点で解釈してみることは賢者の作法であるし、
生活者から遊戯者になると、困難や逆境を遊戯化出来るので、
寸暇で飲む珈琲は格別美味いし、充実した疲労感を味わうことが出来る。

苦中の楽とか忙中の閑とは、遊戯者のみに享受できる快楽である。

つまり、人生を楽しみ、酸いも甘いも味わい尽くすには、困難や逆境を遊戯化するしか無いのだ。
そして、遊戯化するには、生活者では無くアスリートになるってことなのです。
遊戯者とはアスリートなのだ。

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