調子の悪い時と良い時の状態は実力のレベルで現象化が違う
私たちは、運の良いときは舞い上がって高慢になったり、運の悪い時は落ち込んで自信喪失になったりする。
また、調子のよいときはこの状態が続くことを願うが、悪い時は早く抜け出したいと思うものである。
苦難の時や失意の時にどのようにするかという古人の教えがある。
有名なのは、「失意泰然、得意冷然」という、中国の明時代に崔後渠という人が書いた「六然 」の箴言があるが、六然は、良く間違って解釈されているようであるが、「失意の時でも、悠々としていなさい!得意な時には、クールで落ち着いた雰囲気でいなさい!」というような意味では無い。まして、「失意の時に悠々としてると運が良くなるよ!」という意味でも無い。
本当の意味は、現象への対処法つまり行動指針ではなくて、「失意の時でも、悠々としている人になれ。得意な時には、クールで落ち着いた人になれ。」という出来た人間の状態(然)を示す意味であります。
我が国でも安岡正篤の「自処超然 処人藹然 有事斬然 無事澄然 得意澹然 失意泰然」なる六然訓も同じで、これは行動指針ではなくて、
「このような人物になりなさい」「このような人物こそ本物です」という完成された人物像の教えである。
それでは、どうすれば「失意泰然、得意冷然」なる六然の如き人物に成れるかと言うと、
例えば、売り上げの悪い月、体調が悪い時の仕事のパフォーマンス、突風でOBになった時、例えそれが理不尽な運が悪い出来事であったとしても、人の生活の中で最低の時の状態が、その個人の実力のレベルを示していて、レベルが高ければ小難・無難であるが、レベルが低いと大災難になると考えることである。つまり、レベルが高いと突風が吹いてもギリギリOBにならないということである。
そして、運の悪い時、最低の時こそレベルを上げる時期であると考え、腐ったり優柔不断になったりせず、調子の悪い時の実力が本当の実力であると考え、困難にあっては「良し、ここで頑張って地力を付けるぞ」とますますアドレナリンを燃やすのが良い。このような姿勢でいるとレベルが上がって、未来にも訪れるであろう調子の悪い時の被害の下限が徐々に上がってくる。
調子の悪い時や運の悪い時は、高慢にはなりにくいけれども、腐れたり愚痴っぽくなるが、「調子の悪い時に愚痴っぽくなるのが今の俺の実力なんだな」と考え、天使のように素朴で素直に大胆に精進することが重要でありましょう。
逆に、運の良い時は、この状態が長く続くような気がしてくて「守り」の姿勢になったり常勝と勘違いして自慢したり「まったり」してはいけない。また、調子の良い時は周りの人が「馬鹿?」に感じて評価が厳しくなり、遠まわしに皮肉を言ったり、妙に怒りっぽくなって当たり散らしたりするものであるが、理不尽にイラついて隣人をイジメたりするのは高慢で良くない「つねに高ぶりは、滅びに先立つ」というタルムードの賢明な教えを覚えておくべきである。
そして逆に運の良い時や嬉しい時に警戒すべきは「熱」である。良い時は「クールダウン」すべきである。
熱があると幸せは持続しない。熱があったままの行動は高ぶり易く、また熱のあったままの謙虚さは落ちる事の恐怖を増し被害妄想に陥る。
つまり、好調な時は、頭脳や感情は冷徹でありながら、もっと大きな獲物を探して森を徘徊するハングリーでクールなハンターであるべきだ。それは来るべき冬に備えて食料を準備をするようなものであるから決して心が高ぶることは無い。
このような姿勢でいると、雰囲気が湖のように澄んできて調子が常に上向きで持続するものである。
運の良い時は、悪魔のように冴え冴えと美しく怜悧で繊細なアスリートになるべきである。
天使のような大胆素朴さと悪魔のような怜悧繊細さを持つアスリートのように生きることで、レベルが上がり、「失意泰然、得意冷然」なる六然の如き人物に成れ、リアルな現象も、悪い時でも、一般的な普通の状態を維持でき、良い時は飛ぶ鳥を落とす勢いが得られると思われます。
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エイジの部屋
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Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
また、調子のよいときはこの状態が続くことを願うが、悪い時は早く抜け出したいと思うものである。
苦難の時や失意の時にどのようにするかという古人の教えがある。
有名なのは、「失意泰然、得意冷然」という、中国の明時代に崔後渠という人が書いた「六然 」の箴言があるが、六然は、良く間違って解釈されているようであるが、「失意の時でも、悠々としていなさい!得意な時には、クールで落ち着いた雰囲気でいなさい!」というような意味では無い。まして、「失意の時に悠々としてると運が良くなるよ!」という意味でも無い。
本当の意味は、現象への対処法つまり行動指針ではなくて、「失意の時でも、悠々としている人になれ。得意な時には、クールで落ち着いた人になれ。」という出来た人間の状態(然)を示す意味であります。
我が国でも安岡正篤の「自処超然 処人藹然 有事斬然 無事澄然 得意澹然 失意泰然」なる六然訓も同じで、これは行動指針ではなくて、
「このような人物になりなさい」「このような人物こそ本物です」という完成された人物像の教えである。
それでは、どうすれば「失意泰然、得意冷然」なる六然の如き人物に成れるかと言うと、
例えば、売り上げの悪い月、体調が悪い時の仕事のパフォーマンス、突風でOBになった時、例えそれが理不尽な運が悪い出来事であったとしても、人の生活の中で最低の時の状態が、その個人の実力のレベルを示していて、レベルが高ければ小難・無難であるが、レベルが低いと大災難になると考えることである。つまり、レベルが高いと突風が吹いてもギリギリOBにならないということである。
そして、運の悪い時、最低の時こそレベルを上げる時期であると考え、腐ったり優柔不断になったりせず、調子の悪い時の実力が本当の実力であると考え、困難にあっては「良し、ここで頑張って地力を付けるぞ」とますますアドレナリンを燃やすのが良い。このような姿勢でいるとレベルが上がって、未来にも訪れるであろう調子の悪い時の被害の下限が徐々に上がってくる。
調子の悪い時や運の悪い時は、高慢にはなりにくいけれども、腐れたり愚痴っぽくなるが、「調子の悪い時に愚痴っぽくなるのが今の俺の実力なんだな」と考え、天使のように素朴で素直に大胆に精進することが重要でありましょう。
逆に、運の良い時は、この状態が長く続くような気がしてくて「守り」の姿勢になったり常勝と勘違いして自慢したり「まったり」してはいけない。また、調子の良い時は周りの人が「馬鹿?」に感じて評価が厳しくなり、遠まわしに皮肉を言ったり、妙に怒りっぽくなって当たり散らしたりするものであるが、理不尽にイラついて隣人をイジメたりするのは高慢で良くない「つねに高ぶりは、滅びに先立つ」というタルムードの賢明な教えを覚えておくべきである。
そして逆に運の良い時や嬉しい時に警戒すべきは「熱」である。良い時は「クールダウン」すべきである。
熱があると幸せは持続しない。熱があったままの行動は高ぶり易く、また熱のあったままの謙虚さは落ちる事の恐怖を増し被害妄想に陥る。
つまり、好調な時は、頭脳や感情は冷徹でありながら、もっと大きな獲物を探して森を徘徊するハングリーでクールなハンターであるべきだ。それは来るべき冬に備えて食料を準備をするようなものであるから決して心が高ぶることは無い。
このような姿勢でいると、雰囲気が湖のように澄んできて調子が常に上向きで持続するものである。
運の良い時は、悪魔のように冴え冴えと美しく怜悧で繊細なアスリートになるべきである。
天使のような大胆素朴さと悪魔のような怜悧繊細さを持つアスリートのように生きることで、レベルが上がり、「失意泰然、得意冷然」なる六然の如き人物に成れ、リアルな現象も、悪い時でも、一般的な普通の状態を維持でき、良い時は飛ぶ鳥を落とす勢いが得られると思われます。
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この記事へのコメント
今日から心がけていきます!
落ち込んでいたときだったので、
いいタイミングで更新していただきありがたいです笑
失意のときは、この時期が自分の本性が出ると思って、とにかく自分はアスリートだと思うことですよね。>kodaiさん