世の中の役に立つ仕事について
なにか、世の中に貢献できることがしたいが、なにが世の中に貢献できることかが判らないってことありませんか?
私は、ボランティアでも寄付でも世間を見渡すと「本当に世の中に貢献してることかな?」と懐疑的になることがあります。
例えば、近所の人が大阪で出世し、大阪に家を建ててしまったので、先祖からの土地をどうするかという話になって、少しでも世間に貢献したいということで、とりあえず祖先の信仰しているお寺に、土地も屋敷もぜんぶ寄付しました。
ところが、そのお寺の坊さんは、もらった土地は自分のものみたいな感じで、檀家とは関係ない自分の親戚の人を無料で住まわせたり、田んぼで取れたお米の利益も自分たちで使うのみで檀家にはなんの貢献もしません。おおよそ仏法とは関係のない私物として使用しているわけである。大阪の人は「寄進した功徳」と考えているが実際は坊さんの私物として使っているだけである。
その回答について、例えば、ピータードラッカーはこう考える。
「自分の強みを生かして他に貢献することが自己実現である」つまり、お金を貯めたり出世することが自己実現ではなくて、自分の強みを生かして世の中に貢献することが自己実現であると定義している。
さらに、「人間が強みを生かして生きることが天が望む美である。」と人間がそれぞれの強みを発揮することが神の美であると考察している。
そして、「自分の強みを発揮することに集中し、他に貢献できることに優先順位をつけ、優先順位の高いものから集中して実行すること」が世の中に貢献する正しい方法であると言っています。
つまり、世の中に貢献することを、お寺に寄付したり、自分が不得意でもなんでもよいから汗を流して貢献しようと第一選択で考えず、まず、自分の強みを生かし、他者に貢献できることを優先順位をつけて行うということが自己実現となり合わせて他者への貢献になるといういわゆる知的で美的な考察ということでありましょう。
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その回答について、例えば、ピータードラッカーはこう考える。
「自分の強みを生かして他に貢献することが自己実現である」つまり、お金を貯めたり出世することが自己実現ではなくて、自分の強みを生かして世の中に貢献することが自己実現であると定義している。
さらに、「人間が強みを生かして生きることが天が望む美である。」と人間がそれぞれの強みを発揮することが神の美であると考察している。
そして、「自分の強みを発揮することに集中し、他に貢献できることに優先順位をつけ、優先順位の高いものから集中して実行すること」が世の中に貢献する正しい方法であると言っています。
つまり、世の中に貢献することを、お寺に寄付したり、自分が不得意でもなんでもよいから汗を流して貢献しようと第一選択で考えず、まず、自分の強みを生かし、他者に貢献できることを優先順位をつけて行うということが自己実現となり合わせて他者への貢献になるといういわゆる知的で美的な考察ということでありましょう。
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