認知と現象の相関性 その1
この世界は実体があるわけでは無く、誰かが観察すると実体が生じる世界である。
例えば、「二重スリット実験」の話をしましょう。
① 光源から光を発して二重スリットに照射すると、その向こうのスクリーンには波動の光の線が生じました。これは光が粒子ならば2本の縦線になる筈であるが実際は波の動きもするという発見です。
② そこで科学者は光の粒を一個づつ二重スリットを通せば光の縦線が2本出来ると考えました。しかし不思議にもスクリーンには同じく波動の光の線が生じました。
③ 科学者は意味が判らないので、どこで粒が波のようになるのかカメラで動きをチェックしようとカメラを入れました。すると考えられないことが起きたのです。それは、カメラの作動している時だけ光が直線で進み二本の線が発生したのです。カメラを撤去するとまた波動形に戻るのです。
これが有名な「二重スリットの実験」であるが、「なぜカメラを入れた時だけ光が直線に進む」のか原因は今の科学では不明で解明されていません。
しかし、私は自分が龍を見たり、幽霊の足音を聞いたり、ゴルフでゾーンに入った経験から、次のような仮説を唱えます。
それはこの世界は3次元から9次元の世界が重なって存在している。観察者が3次元で観察すると3次元の世界が具象化し、観察者が4次元ならば4次元の世界が具象化し、5次元ならば5次元の世界が具象化するのではないか?
つまり、特に素粒子の世界では顕著に次元の重なりが表れていて、カメラが無い状態は観察者がいないので9次元まで重なった混沌とした状態であったが、3次元のカメラが入って世界を認知しようと試みたために光は3次元の動きをして直進したのだ。
因みに9次元の動きと言うのはテレポーテーションであり、実際に素粒子はテレポーテーションすることが判っている。
つまり、この世界は実体があるわけでは無く、誰かが観察すると観察者の次元で認知した実体が生じる世界である。
さて、もう一つ不思議な素粒子の謎である「量子のもつれ」について説明しよう。
量子もつれとは、2つの粒子が強い相互関係にある状態であり、粒子のスピン、運動量などの状態をまるで「コインの裏表」のように共有する運命共同体のような状態を指す。 例えば、一方の粒子を観測したときのスピンが上向きであれば、もう一方は瞬時に下向きになる。
また片方が逆回転になると、もう一方も逆回転に変わるのであるが、もつれ関係の粒子の距離がたとえ銀河の端から端で光速で10年かかる距離でも一瞬で変化してまうのである。
どのように変化を伝達しているのか不明で、アインシュタインをして「不気味な遠隔操作」と言わしめた。
これは、以前「脳と宇宙の相似論」で説明しましたが、粒子どうしがケーブルで繋がれ伝達しているのではなくて、それぞれの粒子が宇宙脳に繋がっているから一瞬で遠隔操作されるのである。
これも「一方の粒子を観測したときのスピンの動き」が大事であるように、つまり観察者が観察した刹那に向きが決定されるのである。
粒子が箱の中にあるとしましょう。実は箱の中の粒子は9次元まで混沌とした状態で動きは自在なのです。つまり、箱を開けて3次元の観察者が観察した刹那に粒子が3次元のとある動きを決定するのである。そうすると宇宙脳に繋がっているもう一方の粒子も観察者の3次元での逆の動きを開始するのである。
デカルトは「我おもう故に我在り」と言ったのは個人の実在の証明のみならず、宇宙の実在の真理でもあるのだ。
逆に思ったり・思考しないと我は存在しないのである。我が存在しないと認知される宇宙も存在しない。
我々は思うゆえに我がはじめて存在し、認知する世界に住んでいるのであって、認知する世界によって我が変わる、つまり思考や認知によって次元移動の如くリアルに棲む世界が変わるということである。
それは丁度、私がバーチャルゲームのプレイヤーであり、自分の思考・行動・選択によって世界をコントロールできるような感覚と等しいであろう。例え私がブラジル行の海上の舟の上で海を見ていたとしても、これから私が到着する予定の私が認知しないブラジルの珈琲農園は存在していないし、バーチャルと言えども自由に私が動けるわけでもない。ゲームを作った製作者の仕組みという大いなる宇宙脳の支配下でのバーチャルプレイヤーということでありましょう。
ボラボラ島のリゾート地は青い空と青い海が素敵である。私は今、そこで美女のおっぱいを弄りながらこの記事を書いているとしよう。
私にとってはまさにパラダイスであるボラボラ島は、実は長い間争いに明け暮れた血なまぐさい戦場であったことを誰も知らない。
私が以前、ゾーンに入った時、ちょうど体が1㎝位浮いていたような感覚で、そのような感覚の時はすべてが優しく、私は無敵であった。
つまり楽園といえども多重の次元が存在しており、住む者の認知によって楽園であったり、戦場であったり姿を変えるのであるが、プレイヤーの認知が変わるだけで楽園の青い空は変わらないのだ。
参照:脳と宇宙の相似論
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
例えば、「二重スリット実験」の話をしましょう。
① 光源から光を発して二重スリットに照射すると、その向こうのスクリーンには波動の光の線が生じました。これは光が粒子ならば2本の縦線になる筈であるが実際は波の動きもするという発見です。
② そこで科学者は光の粒を一個づつ二重スリットを通せば光の縦線が2本出来ると考えました。しかし不思議にもスクリーンには同じく波動の光の線が生じました。
③ 科学者は意味が判らないので、どこで粒が波のようになるのかカメラで動きをチェックしようとカメラを入れました。すると考えられないことが起きたのです。それは、カメラの作動している時だけ光が直線で進み二本の線が発生したのです。カメラを撤去するとまた波動形に戻るのです。
これが有名な「二重スリットの実験」であるが、「なぜカメラを入れた時だけ光が直線に進む」のか原因は今の科学では不明で解明されていません。
しかし、私は自分が龍を見たり、幽霊の足音を聞いたり、ゴルフでゾーンに入った経験から、次のような仮説を唱えます。
それはこの世界は3次元から9次元の世界が重なって存在している。観察者が3次元で観察すると3次元の世界が具象化し、観察者が4次元ならば4次元の世界が具象化し、5次元ならば5次元の世界が具象化するのではないか?
つまり、特に素粒子の世界では顕著に次元の重なりが表れていて、カメラが無い状態は観察者がいないので9次元まで重なった混沌とした状態であったが、3次元のカメラが入って世界を認知しようと試みたために光は3次元の動きをして直進したのだ。
因みに9次元の動きと言うのはテレポーテーションであり、実際に素粒子はテレポーテーションすることが判っている。
つまり、この世界は実体があるわけでは無く、誰かが観察すると観察者の次元で認知した実体が生じる世界である。
さて、もう一つ不思議な素粒子の謎である「量子のもつれ」について説明しよう。
量子もつれとは、2つの粒子が強い相互関係にある状態であり、粒子のスピン、運動量などの状態をまるで「コインの裏表」のように共有する運命共同体のような状態を指す。 例えば、一方の粒子を観測したときのスピンが上向きであれば、もう一方は瞬時に下向きになる。
また片方が逆回転になると、もう一方も逆回転に変わるのであるが、もつれ関係の粒子の距離がたとえ銀河の端から端で光速で10年かかる距離でも一瞬で変化してまうのである。
どのように変化を伝達しているのか不明で、アインシュタインをして「不気味な遠隔操作」と言わしめた。
これは、以前「脳と宇宙の相似論」で説明しましたが、粒子どうしがケーブルで繋がれ伝達しているのではなくて、それぞれの粒子が宇宙脳に繋がっているから一瞬で遠隔操作されるのである。
これも「一方の粒子を観測したときのスピンの動き」が大事であるように、つまり観察者が観察した刹那に向きが決定されるのである。
粒子が箱の中にあるとしましょう。実は箱の中の粒子は9次元まで混沌とした状態で動きは自在なのです。つまり、箱を開けて3次元の観察者が観察した刹那に粒子が3次元のとある動きを決定するのである。そうすると宇宙脳に繋がっているもう一方の粒子も観察者の3次元での逆の動きを開始するのである。
デカルトは「我おもう故に我在り」と言ったのは個人の実在の証明のみならず、宇宙の実在の真理でもあるのだ。
逆に思ったり・思考しないと我は存在しないのである。我が存在しないと認知される宇宙も存在しない。
我々は思うゆえに我がはじめて存在し、認知する世界に住んでいるのであって、認知する世界によって我が変わる、つまり思考や認知によって次元移動の如くリアルに棲む世界が変わるということである。
それは丁度、私がバーチャルゲームのプレイヤーであり、自分の思考・行動・選択によって世界をコントロールできるような感覚と等しいであろう。例え私がブラジル行の海上の舟の上で海を見ていたとしても、これから私が到着する予定の私が認知しないブラジルの珈琲農園は存在していないし、バーチャルと言えども自由に私が動けるわけでもない。ゲームを作った製作者の仕組みという大いなる宇宙脳の支配下でのバーチャルプレイヤーということでありましょう。
ボラボラ島のリゾート地は青い空と青い海が素敵である。私は今、そこで美女のおっぱいを弄りながらこの記事を書いているとしよう。
私にとってはまさにパラダイスであるボラボラ島は、実は長い間争いに明け暮れた血なまぐさい戦場であったことを誰も知らない。
私が以前、ゾーンに入った時、ちょうど体が1㎝位浮いていたような感覚で、そのような感覚の時はすべてが優しく、私は無敵であった。
つまり楽園といえども多重の次元が存在しており、住む者の認知によって楽園であったり、戦場であったり姿を変えるのであるが、プレイヤーの認知が変わるだけで楽園の青い空は変わらないのだ。
参照:脳と宇宙の相似論
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この記事へのコメント
だって二重スリットまで解明してしまったのですからw
宇宙脳=仮想空間を司るサーバー
シューリンガーの猫の話もある通り、この世はマッピングされてるかもしれないが、本人が移動するとその方向の世界が生成されるだけで常に全世界は作られて無いのかもしれませんね。そんな事言ってもこの瞬間世界60億人が同時に生きてるねん!ってなるけど、我々の思考自体が宇宙脳によってそのようにできてるので疑う余地なく、真実は分かりません。心霊現象や不思議な現象もバグと言われれば納得出来るかも。
この世界は観測して初めて決定されるのですが、その観測者の次元というものによって決定されるというのが私の考えです。
シュレーディンガーの猫の例えで言えば、3次元の人間の目で観測すれば猫の生存の有無ですが6次元の観測者で見れば違った様態で観測されるということで
つまり、次元によって観測者の観察が変わるってことで結果も変わる。
高次元で考察すれば「状態の重なり」というのは何の違和感もないのですね
心霊現象や龍などもバグではなくて、次元の違った世界に住む住人であると思っています。水の中に魚がいるのは三次元の観察ですが、高次元になると空の中にも魚がいるのです。
医薬品関係をしていて
まったくしないんだ。