波動を合わせるという考察

特に自慢ではないが私は地震を予知できるというか地震が来る予兆を感じることが出来る。それは地震雲とかナマズが暴れるという現象を見分ける方法では無くて「エアー」で判る。以前に会社に行って事務所に入ったら、雰囲気や色が違っていて、それは澄んでいるというか透明感があってとにかく静なのだ。以前にも同じ経験を何度もしていつも「地震が来る」のです。大きいな地震じゃなくてとにかく揺れるのです。それで事務員に「今日、地震が来るかもしれない」と言ったやはり午後に揺れました。これは何かというと波動と思われる。
私の感じる災害の予兆波動はいつも「透明な大気・静かな大気・弱い光感」で、それはとても心地よいのですが災害がくる波動なのである。

以前に神戸の街を歩いていたらジョギングしてる人がいて、人の全体が「ラピス色」に見えたので「あれ?」と思って街を周りの街をみると、全体がラピス色になっていました。不思議だな綺麗だなと思いながらとあるビルに入ったら、一階にラピスの石を大量に展示している後で聞いたらかなり有名なサロンがあって、いわゆるラピスの波動が街まで拡散していて本物の貴石は強い波動を持って環境にまで影響を与えると驚いた経験がある。

そもそも、土地や遊技場や職場にも「色・大気・匂い」があり、それに自分が馴染んでくるとだいたい上手く行く。
高級外車の店や高級ブランド店がある土地は、周りの人もそのような感じであるように、土地に馴染んでいるし、会社でも良い雰囲気で、それに馴染んでいる状態だとだいたい仕事が上手く行っている。
ゴルフでツキが回って来ると、風や草が優しく微笑むとか、偶然の幸運の神が降りて来た時は、地上から1㎝位上を歩いている感じがある。これも波動だと思われる。これを「波動が合った」というのであるが、どうやって合わせるのかというのが重要になる。

引き寄せの法則とは「成りたい状態に成ったとイメージし、その時の感覚を臨場感を以て実感できたら成りたい状態に成れる」という法則である。
例えば、仕事で成功したければ、イメージで仕事で成功し昇給して、給料明細を見て鳥肌が立ったら、仕事での成功を引き寄せられるということである。つまり、これは仮想イメージをリアルに実感することであり、「成りたい状態のアバターに波動を合わせる」ということである。

イメージだけでは絵にかいた餅である。大事なのは「波動を合わせる」ということである。それが出来て初めて「実感」し「引き寄せが実現」する。いくら一億円の札束をイメージしても、一億円の札束を持っているアバターの波動に同調しなければ実現しないのである。

状態の説明は難しいが波動を合わせるというのは、「そのものに成りきる」ということであるので、それは「主客合一」である。
主客合一である故に、波動が合致し本質を引き寄せることができる。

例えば、ここに花があるとしよう。芸術家が花の美を表現できるのは、芸術家と花が一体化するゆえに花の美を芸術家が感得し得るのである。
つまり、花と波動を合わせるから花の美を掴みとれる。花の「美・匂い・意識」を直観できる。
数学者が数式を説くのも問題と学者が一体化するから真理が掴みとれるのである。
いわゆる波動を合わせることで芸術も学問も成功する。つまり「美・匂い・意識」を直観できるゆえに「引き寄せ」が出来るという事である。

それで主客合一とは何かというと、無私にして対象と一体化するということである。つまり愛である。
我々が自己の私を棄てて、無私になればなるほど主客合一が深くなる。つまり対象と一体化するとは愛と同じである。

従って、波動を合わせる方法というのは、対象と主客合一することで、即ち対象と一体化して対象の「真善美」を直観できることで可能になるという結論になる。

分析して言語化もしくはイメージするのは表面的な仮想現実に過ぎず、対象を掴みとること即ち実相現実には成らない。我々はただ無私にして対象と合致する時のみ、すなわち愛によって対象を掴みとる即ち波動を合わせることが可能になるのである。

そこで各種様々な状態における主客合一について考察する必要がある。つまり、状態によって主客合一の方法が変わるからである。

まず、恋愛とかいわゆる対人関係における引き寄せつまり主客合一について考察しよう
恋愛の引き寄せにおいても相手と主客合一して波動が合一し引き寄せることが出来る。つまり、相手の心や人生を奪うのでは無く、相手を自分のように認識すること、自分のように愛しむこと、即ち無私によって波動が合一すると、
相手の「美・意識・感触」を感じるようになる。ゆえに、相手の気持ちを引き寄せることが出来る。
つまり、波動を合わせるとは、相手の「匂い・意識・感触」を直観できることである。そのためには「主客合一」が大事であるということである。

さらに、宗教的、魔術的に主客合一すなわち「波動同調」を考察しよう。
空海が「声字実相義」で「五大にみな響きあり、十界に言語を具す」と書いているように、
五大とは物質を作る材料であり、それは、地・水・火・風・空であるが、この五つの材料は物質であるだけで無く、
それぞれ独自の響きを発し、声を出しているということである。つまりまさしく「波動」である。

そして、空海によれば、宇宙は大日如来の「言葉」が充満しているのであって、仏の世界から地獄の十界、あらゆる存在世界に大日如来の言葉が絶え間なく響いていると言う。しかし「言葉」は人間の耳では聞こえない。
つまり、大日如来の聞こえない言葉とは「波動」で、もしも人間が大日如来の波動と同じ波動が発することができれば共鳴現象で大日如来が人間に憑依するということである。
そして、真言密教は憑依を可能にした「グノーシス的な仏教」である。
その「方法」とは、大日如来の「波動」とは、「真言」という言葉であり、「人間が認知できる音」となったので人間が大日如来の真言を唱えれば、音叉が共鳴するように大日如来が憑依するということである。

大日如来だけでなく、大黒天も常に波動を出していて、大黒天の波動と同じ波動を出せば大黒様が憑依するということになるが、大黒天の波動も「大黒天の真言」を唱えれば、音叉が共鳴するように大黒天が憑依するということである。
この原理と同じく、不動明王も烏枢沙摩明王も愛染明王も龍神も同じ原理で憑依するということである。
つまり、愛染明王は愛染明王の真言を延々と発し、烏枢沙摩明王は烏枢沙摩明王の真言を常に発しているので、愛染明王の加護を望むのならば愛染明王の真言を唱え、烏枢沙摩明王の加護を望むのならば烏枢沙摩明王の真言を唱え、愛染明王と烏枢沙摩明王と感応道交すれば、憑依され即願望成就する。重要な事は憑依には感応道交をすることである。

法華経で観音菩薩が音に感応し、迷える凡夫が心の底から「南無観世音菩薩」と助けを求めるならば、必ず助けると書いてあるが、私は「法華経」を読みながら、どうやって観音菩薩は大勢の凡夫に音を聞き分けるのか?疑問であったので単なる比喩だと考えていた。しかしながら、「波動共鳴による救済」と考えると現実に達成が納得できる。音叉は離れていても同じ波動なら何個の音叉でも同時に共鳴するからである。

しかしながら、真言を唱え印を結んで仏をイメージしても、それだけでは実は仏と波動は合わないのである。
つまり感応道交できないということである。感応道交できなければそれは絵にかいた餅である。

そして、仏と波動を合わせるには、「身口意を仏に合致させれば仏と合致できるとか力が貰える」という動機では無く、
まして身を正しく仏に感謝すれば、良いことがあるという思いでも無い。唯、仏に身を委ねることである。
つまり、仏の他力を信じることが出来なければ「感応道交」は出来ない。自力では波動合致は不可能なのである。

云わば、他力信心とは真夜中のプールに背中から飛び込めと絶対的に信頼する例えば父親に言われて、信じて行う行為と等しい。
水があるのか無いのかは判らない。ただ信じる父親に「飛び込めと言われたから飛び込む」のだ。
我を愛してくれる父の助言である故に、水があっても無くても私には最善な選択であると疑わないことが他力信心である。

親鸞が言うように「念仏で助かるのか地獄に行くのか判らないけれども阿弥陀の慈悲を疑いません。」ということである。
親鸞の他力信心とは宗教というものの極点でもある。
仏が私を自分のように愛してくださるから、私も仏を信じるという主客合一の愛があって初めて「波動共鳴による救済」が成就するということになる。それが感応道交である。

つまり、それはキリスト者の言葉の如く、神を信じるということは、
神を信じれば神に愛してもらえると期待することでは無く、まして神を信じれば人生が上手くいくと期待することでもない。
神を信じるとは、神の愛の大海に身を投げ出すことである。
たとえ、結果が悲しみや苦しみであったとしても、神を信じる者にとってはもはや悲しみも苦しみも無く、すべては神の愛の実現であると感じるのみである。それが神を信じる他力信心ということであり、宗教的に神と波動を合わせる感応道交ということである。

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この記事へのコメント

プラトーニック
2021年04月18日 15:26
主客合一とは愛であり、宗教において愛とは他力信心しか成し得ないという考察は素晴らしい。
なぜなら、主観は自力であり、客観は他力であるからです。つまり我々が知るとか愛するというのは客観でなくては直観できず、我々の一生で重要なものが愛と知であるなら他力信心の上で成り立つと言えるからです。
百花
2021年04月18日 17:00
ゾーンに入った状態も、まさに地上から1㎝位上を歩いている感じで、リアルで的確で、決して10㎝じゃないのです。私の場合は頭に血が上るとゾーンに入ることができます。

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