なぜ理不尽な災難が頑張っている君にだけ発生するのか
毎日誰よりも早く出社して誰よりも誠実に頑張っているのに理不尽な災難に遭うことがあるでしょう。つまり、誠実で努力をしていても今日もお客さんに苦情で叱られたのはなぜかという問題に答えたいと思う。
災難とは過去の業(因縁)の現れたモノであるから、避けることが出来ません。
しかしながら災難を違う災難に変えることは出来ます。
例えば、仕事で大失敗をする因縁があっても、誠実で努力であるから、小さなお客様の苦情で済んだということです。
つまり、君は毎日誰よりも早く出社して誰よりも誠実に頑張っているからその程度の災難で済んだということです。
日蓮が魂が磨かれると磨いた刀の傷が目立つように災難が増えると言っている意味は、御魂を磨けば大きな災難が小さな災難に変わるという事である。決して災難が増えたのでも損をしているのでも無いのである。
御魂を磨いたから大きな難が小さな難になって消えていくという意味であります。
「いや、それは違うぞ。俺は真面目にやっているが災難がどんどんやって来る」とか「尽くしたのに捨てられましたけど」と考える人もいるかと思う。この世に神も仏もいないの!みたいなことです。
確かに、誠実で真面目にやっているのに災難が絶えない人が存在し、理不尽な仕打ちで潰れてしまう人が多くいるのは事実です。
しかしながら理由があるのです。
それはなぜかというと、極めて重要なことは、「災難があっても感情を乱してはいけない」ということで、
つまり、感情を乱さなければ業は消えるけれども、災難にあって「僻み、怒り、悲しみ」の感情で毒されると、災難が続いてしまうのです。
誠実で真面目なのに災難が絶えない運が悪い人というのは、例外なく災難にあって「僻み、怒り、悲しみ」の感情で毒されている方です。
なぜなら「感情・気分」というのは「縁」になるからです。つまり「感情・気分」を制すれば「現象」になって表れないのであります。
かのハワイの秘術「ホ・オポノポノ」で、ヒューレン博士がすべての現象を自分の業であると考え、環境をポジティブな言葉で癒すと現象が変わると言いました。これは真理であります。
以前にも書きましたが、理不尽な体験というのは、果たすべきミッションが体験の中にあるのです。
幼いころにイジメに遭遇した者は世界からイジメを無くすミッションがあるのです。
ヒューレン博士は「なぜ私の病院に患者が来るのか?それは私に病人を引き寄せる因があるから患者を引き寄せるのだ」と考え、
毎日、ポジティブな言葉で患者を癒すことを実践した結果、病院に患者がいなくなり病院が閉鎖されたというのは、まさに「因」があっても「縁」がなければ現象に遭遇しないという証明であります。結果として病院は潰れましたが宇宙的には患者がいないのが最上でありましょう。
従って、真理を知る者ならば、誠実に真剣でそして親切に生きることが第一の義務で、そして君の誠意に反して残念にも理不尽に遭遇した災難については、「すべて当たりくじ」と考え、けっして己の未熟を卑下したり悪感情に染まること無く、逆に赤飯を焚いて感謝するのならば、何かが壊れると幸運が来るとか、君の不幸の身代わりに飼い猫が死んだみたいに、君には幸運しか訪れないと私は断言しよう。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
災難とは過去の業(因縁)の現れたモノであるから、避けることが出来ません。
しかしながら災難を違う災難に変えることは出来ます。
例えば、仕事で大失敗をする因縁があっても、誠実で努力であるから、小さなお客様の苦情で済んだということです。
つまり、君は毎日誰よりも早く出社して誰よりも誠実に頑張っているからその程度の災難で済んだということです。
日蓮が魂が磨かれると磨いた刀の傷が目立つように災難が増えると言っている意味は、御魂を磨けば大きな災難が小さな災難に変わるという事である。決して災難が増えたのでも損をしているのでも無いのである。
御魂を磨いたから大きな難が小さな難になって消えていくという意味であります。
「いや、それは違うぞ。俺は真面目にやっているが災難がどんどんやって来る」とか「尽くしたのに捨てられましたけど」と考える人もいるかと思う。この世に神も仏もいないの!みたいなことです。
確かに、誠実で真面目にやっているのに災難が絶えない人が存在し、理不尽な仕打ちで潰れてしまう人が多くいるのは事実です。
しかしながら理由があるのです。
それはなぜかというと、極めて重要なことは、「災難があっても感情を乱してはいけない」ということで、
つまり、感情を乱さなければ業は消えるけれども、災難にあって「僻み、怒り、悲しみ」の感情で毒されると、災難が続いてしまうのです。
誠実で真面目なのに災難が絶えない運が悪い人というのは、例外なく災難にあって「僻み、怒り、悲しみ」の感情で毒されている方です。
なぜなら「感情・気分」というのは「縁」になるからです。つまり「感情・気分」を制すれば「現象」になって表れないのであります。
かのハワイの秘術「ホ・オポノポノ」で、ヒューレン博士がすべての現象を自分の業であると考え、環境をポジティブな言葉で癒すと現象が変わると言いました。これは真理であります。
以前にも書きましたが、理不尽な体験というのは、果たすべきミッションが体験の中にあるのです。
幼いころにイジメに遭遇した者は世界からイジメを無くすミッションがあるのです。
ヒューレン博士は「なぜ私の病院に患者が来るのか?それは私に病人を引き寄せる因があるから患者を引き寄せるのだ」と考え、
毎日、ポジティブな言葉で患者を癒すことを実践した結果、病院に患者がいなくなり病院が閉鎖されたというのは、まさに「因」があっても「縁」がなければ現象に遭遇しないという証明であります。結果として病院は潰れましたが宇宙的には患者がいないのが最上でありましょう。
従って、真理を知る者ならば、誠実に真剣でそして親切に生きることが第一の義務で、そして君の誠意に反して残念にも理不尽に遭遇した災難については、「すべて当たりくじ」と考え、けっして己の未熟を卑下したり悪感情に染まること無く、逆に赤飯を焚いて感謝するのならば、何かが壊れると幸運が来るとか、君の不幸の身代わりに飼い猫が死んだみたいに、君には幸運しか訪れないと私は断言しよう。
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Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
この記事へのコメント
以前、やれれたらやり返せねば(自分にも悪いところがあったとか反省せず)と言われてたと記憶しています。
不可抗力化、そうでないのかの判断基準は、なんでしょうか?
イチロー的にはプレッシャーを楽しむのではなくてプレッシャーを跳ねのけて結果を出せということです。
もう一つ教えてくださいますk?
例えば、そんなつもりはなくとも、人を傷つけた場合、それにやり返されたとき、(こちらが悪意があると思われて)それは、自分を守るためにも、やり返した方がいいのでしょうか?放っておいたら、腰抜けのように人から思われるときなど(人は、事情を知らないから)
それとも、これは、不可抗力の部類に入り、何をされても、耐えていくのが、筋なのでしょうか?
悪気がないとはいえ、こちらが傷つけたから仕方ないと、耐える必要はないんですね。
不可抗力には当てはまらないということでしたか。。
次回から、そうします!
にしても、エイジさんって、喧嘩上手だなー^^
その為には、まっすぐで誰にも負けない努力をすることです。腐らなければ必ず見ている人がいます。味方が増えます。
以前、悪いやつらにつるまれて、集団で来られたことがあります。
向こうは、親玉が人気があって、そっちの味方が多かったと思う。
むろん、平気でうそをつく輩です(特に親玉)
これに対抗するには、ゆるぎない人間性が必然だとつくづく思います。
味方。。その時一人くらいだったからなー
つまり、まっすぐに生きて、発生した悪い現象に感情を乱さなければ因は消えないけれど縁が消えるということです。
まさに開運の極意じゃないでしょうか?
仏教で特に密教では現世は観音菩薩ではなく、不動明王のように厳つい感じで生きるのが悪縁を寄せ付けないと言われてます。
もし感情が乱れそうになったら、不動明王の真言を唱えるのもありなのかなと思いました。