世俗の理不尽な受難に悲観しない幸福論
私には幸福の基準があって、高級中華店で目一杯お洒落して高級な北京ダックが美味しく食えるならば、たとえ今日上司から「お前は使えない」のような仕事の悩みとか「あんたは最低」と愛人から罵られても、或いは株価が暴落して多大な損害が発生しても、北京ダックを美味く食える限り不幸は私に追いついていないと考える。
そして、もしも北京ダックが美味しく食べられないなら、理由がペットの犬が死んだのが原因だとしてもそれは私が環境に負けて不幸と考える
どんな苦難や試練があっても、お洒落をして女を連れて高級料理を美味しく食べることができれば、すべての悩みは私が主人公の人生という映画のエピソードになるだけに過ぎないであろう。
なぜなら、私は外敵の攻撃があっても、私自身のアイデンティティいわゆるナルシシズムを無くしていないからである。
幸せにナルシシズムはもっとも重要である
日本のサムライは戦に行くときに死を想定して鎧の中に梅の花を入れていたそうである。
それは死しても死臭が隠せるようにという美学であった。つまり死は不幸であるが美学は死を越える。
サムライというと武骨でデリカシーの無い野蛮な戦士のように思われるかもしれないがそれは違う。
繊細な美学に死す者である。そして真のサムライとは常にときめきに死すのだ。
どんなに苦難であってもアイデンティティを無くしたくなければ、君はオシャレや食材のグルメを無くしてはならない。
否、苦難であればあるほど、肌の手入れや髪型をカッコよく決め美食をするべきである。
思い通りにならない状況や困難な状況や理不尽な災害に遭遇した場合、普通は不幸と考え、腹が立つものである。
心理学によると、そもそも日々の生活の80%は思い通りに行かないことで占められるのが当たり前らしく、普通なら誰でも不機嫌になる。
上機嫌でいるには意志の力が大事だということらしい。これは非常に重要な示唆である。
例えば、理不尽な状況や困難それが競技ならば腹が立たない。
そもそも競技というものは殴り合いであったり泥まみれになったり命の危険に晒される場合もあり理不尽を克服するゲームである。
でもアスリートはなぜ競技に参加するのか。なぜ競技を災難と思わないのか。
理由は簡単である。様々な困難を克服して勝利したいからである。そして勝利した者を皆が賛美する自己陶酔を得たいからである。
そんなアスリートのモチベーションを維持するのは「ナルシシズム」である。
自分は困難や障害を乗り越えて勝利する者であるというナルシシズムが無いと苛烈な競技に参加するモチベーションが維持できない。
つまり、困難や不幸な環境に屈しない為にはナルシシズムが必要なのである。
例えば、ゴルフは紳士のスポーツと言われるのは、思い通りに成らない状況でも高貴で美しくあることを義務とするゲームであるからだ。
スコアは自己申請であり、どんなに惨めでも結果を誤魔化さないというのが前提である。
つまり、自分はジェントルマンであり貴族であるというナルシシズムが無いと成立しないゲームと言えましょう。
そもそも貴族は「青い血(sangre azul)」が流れているというのも選民的なナルシシズムである。
そして逆にナルシシズム故に、惨めな結果でも次にもっと頑張ろうとモチベーションが高まるのである。
困難に対する対処方法も、困難を困難せず、災難に腹を立てない方法があるとするならば、
どんなに困難な環境でもサムライのように貴族やサムライのようにデリカシーや美学を持ち、
例えば、高級中華店で注文したエビチリが理不尽に不出来であったとしても、ゲテモノも高級食材もたらふく食べ尽くした食通のように会計の時に「今日の料理は美味かった。ありがとう」と言って永井荷風の如く災難を賛美することである。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
そして、もしも北京ダックが美味しく食べられないなら、理由がペットの犬が死んだのが原因だとしてもそれは私が環境に負けて不幸と考える
どんな苦難や試練があっても、お洒落をして女を連れて高級料理を美味しく食べることができれば、すべての悩みは私が主人公の人生という映画のエピソードになるだけに過ぎないであろう。
なぜなら、私は外敵の攻撃があっても、私自身のアイデンティティいわゆるナルシシズムを無くしていないからである。
幸せにナルシシズムはもっとも重要である
日本のサムライは戦に行くときに死を想定して鎧の中に梅の花を入れていたそうである。
それは死しても死臭が隠せるようにという美学であった。つまり死は不幸であるが美学は死を越える。
サムライというと武骨でデリカシーの無い野蛮な戦士のように思われるかもしれないがそれは違う。
繊細な美学に死す者である。そして真のサムライとは常にときめきに死すのだ。
どんなに苦難であってもアイデンティティを無くしたくなければ、君はオシャレや食材のグルメを無くしてはならない。
否、苦難であればあるほど、肌の手入れや髪型をカッコよく決め美食をするべきである。
思い通りにならない状況や困難な状況や理不尽な災害に遭遇した場合、普通は不幸と考え、腹が立つものである。
心理学によると、そもそも日々の生活の80%は思い通りに行かないことで占められるのが当たり前らしく、普通なら誰でも不機嫌になる。
上機嫌でいるには意志の力が大事だということらしい。これは非常に重要な示唆である。
例えば、理不尽な状況や困難それが競技ならば腹が立たない。
そもそも競技というものは殴り合いであったり泥まみれになったり命の危険に晒される場合もあり理不尽を克服するゲームである。
でもアスリートはなぜ競技に参加するのか。なぜ競技を災難と思わないのか。
理由は簡単である。様々な困難を克服して勝利したいからである。そして勝利した者を皆が賛美する自己陶酔を得たいからである。
そんなアスリートのモチベーションを維持するのは「ナルシシズム」である。
自分は困難や障害を乗り越えて勝利する者であるというナルシシズムが無いと苛烈な競技に参加するモチベーションが維持できない。
つまり、困難や不幸な環境に屈しない為にはナルシシズムが必要なのである。
例えば、ゴルフは紳士のスポーツと言われるのは、思い通りに成らない状況でも高貴で美しくあることを義務とするゲームであるからだ。
スコアは自己申請であり、どんなに惨めでも結果を誤魔化さないというのが前提である。
つまり、自分はジェントルマンであり貴族であるというナルシシズムが無いと成立しないゲームと言えましょう。
そもそも貴族は「青い血(sangre azul)」が流れているというのも選民的なナルシシズムである。
そして逆にナルシシズム故に、惨めな結果でも次にもっと頑張ろうとモチベーションが高まるのである。
困難に対する対処方法も、困難を困難せず、災難に腹を立てない方法があるとするならば、
どんなに困難な環境でもサムライのように貴族やサムライのようにデリカシーや美学を持ち、
例えば、高級中華店で注文したエビチリが理不尽に不出来であったとしても、ゲテモノも高級食材もたらふく食べ尽くした食通のように会計の時に「今日の料理は美味かった。ありがとう」と言って永井荷風の如く災難を賛美することである。
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この記事へのコメント
コメントさせてください。
私もずっと、探してたんです。
仕事が充実してれば、
結婚していれば、
子供が健康に育てば、
実家で両親との関係が良ければとか。
私内部の幸せってなんなんだろう??って。
2年ほど前から、やっとそれに気が付いて、
今ならくいぎみに『幸せです』と言えます。
それは、あるキャラクターのスピンオフを考えることです。
小説家志望だったのに、何も書けなくなって。
でも、そのキャラに出会って、
里中真知子先生や、石ノ森章太郎が、
キャラクターが決まるといくらでもストーリーが出てくるし
セリフも、このキャラクターなら、わたくしというはずだと
勝手にきまっていく言っていたんです。
そのキャラは、もちろん有名作家さんのものですが
私のスピンオフは最高だと毎日ブラッシュアップしてます。
最高のナルシズムなんですねー。
本当に申し訳ありません。
私が幸せをもらったキャラは、
『花より男子』の神尾葉子先生の続編の
『花のち晴れ』のドラマ版の平海斗です。
原作のファンでもなく(読んでない)、
濱田龍臣君のファンでもないのですが、
(頑張ってファンになろうとしている)
眼鏡クレバー男子、ブレザー、歩くとき必ずポケットに手を入れる
に、どはまりで、もうスピンオフ2作目までできています。
1作目のエンディングロールも26通り考えて、
曲も決まってます。
バカなりに幸せです。