欲求の進化と魂の進化(マズロー5段階のピラミッド型の欲求)
私は感情というのはネガティブな意識活動であるので、感情は考えず欲求にフォーカスするほうが良いと提案するわけであるが、なぜ欲求かというと、欲求こそ人間の魂の進化の原動力であると考えるからである。
そもそも、感情というのは外部の刺激でコロコロ変わる気分的で不安定な蜃気楼に過ぎず感情は進化しない単なるリアクションである。
感情を変えるのは簡単で気分を変えれば良いのである。
しかしながら「欲求」というのは魂の進化に従って進化するのです。
アメリカの心理学者・アブラハム・マズロー(Abraham Harold Maslow)は、
人間の欲求を低次から高次の順で分類し、
5段階のピラミッド型の欲求の階層によって示しました。
マズローによって階層化された欲求とは、
生理的欲求→安全欲求→愛情欲求→尊敬欲求→自己実現欲求の5つである。
私は神智学的には、これらの欲求は魂の進化と相関すると考えます。
生理的欲求(エーテル体)→安全欲求・愛情欲求(アストラル体)→尊敬欲求・自己実現欲求(メンタル体)に対応すると思われる。
簡単に説明すると、私達は、最初に食物、排泄、性欲、睡眠など、個体として生命を維持するために必要な基本的な欲求を持ちます。
そして、それがおおむね満足できると、安心して食事や睡眠を取れる場所が欲しくなるのです。
安心して暮らせる住居が得られると、集団に属したり、仲間から愛情を得たいという欲求を持ちます。子供を育てる愛情もここに入ります。
仲間が出来ると、仲間の中で個人として認められ、尊敬されたい・役に立ちたいという欲求を持つようになります。恋愛願望はこのレベルです。
そして尊敬や認められると、自分自身の持っている能力・可能性を最大限に引き出し、創造的活動をしたい、目標を達成したい、自己成長したいと思い始めます。自己実現でも「他者からの承認欲求」とさらにその上のレベルである「自己からの承認欲求」があります。
因みに私が好きな「男を磨く為に仕事をする」というのはマズロー的には自己からの承認欲求で自己実現のレベルでは無いかと思われます。
重要なことは、
これらの欲求は、低次の欲求がある程度満たされないと、それよりも高次の欲求が発現しないのであります。
つまり、低次の欲求が満たされることによって、次の段階の欲求が芽生え、それを満たすために行動を起こすのである。
マズローの欲求発展説で誤解されやすいことは、進化によって低次の欲求が無くなるという事ではありません。
男を磨きに無償の仕事はするけど、性欲が無くなるのではないのです。更に高い違う欲求が出てくるということである。
そして、高次の欲求は低次の欲求には負けないというのがポイントです。
つまり、低次の欲求はあるけれども高次の欲求のほうが優先されるということである。
「なぜ満足できないのか?」
それは、私達が利己的な欲望に飽きて、
本当の満足を得られる欲望を持つようになるように仕向けられているからであり、
いくら頭で判っていても、実感しなければ欲望は進化しないからである。欲求は達成しても満足できないから進化するとも言えましょう。
以前記事にしましたが、例えば、ケーキを食べたいと思うとしましょう。
そこで遂にケーキを食べる機会を得たとしましょう。
一個目は天にも昇る快感
もう一個食べても良いと言われ、
二個目を食べます。
喜びはありますが、一個目ほどではありません。
さらにもう一個食べても良いと言われました。
喜びはありますが、ちょっと苦痛になってきます。
さらにもう一個食べても良いと言われました。
かなり苦痛になって、もうケーキは要らないと思うでしょう。
私達の満足というのも、このケーキと同じであります。
つまり、満足とは、欲求とそれを満たす対象が合致する箇所であり、
欲求が大きいほど、その喜びの体験も大きいのです。
ではなぜ喜びはいつも消えてしまうのかというと、
欲求が消えるからであります。
私達が永続的な喜びを得るには、永続的に持続する欲求が必要なのである。
従って、誰でも、「食欲」や「性欲」から始まって、それに飽きることによって進化するのです。
ですから、私達は自分の欲求をけっして「卑しいこと」とか「汚いこと」と考えてはいけないのです。
欲望を満たすように行動し、それが空しいと悟ることが、つまり欲求から飽きることを学ぶことが重要なのです。
そして実は自己実現の上に6段階目の欲求があります。マズローが晩年に6段目を追加したそうである。
それは、自己超越の欲求であります。
自己超越の欲求レベルは、神智学的にはコーザル体に対応する欲求レベルであります。
通説によるとこのレベルは全体の2%しか到達できないらしいです。
自己超越の欲求とは、「日本からイジメを無くしたい」「日本から貧困を無くしたい」というような自分の利益は関係なく果たしたい「切なる願い」であります。利他の願いとか愛の願いと等しいでしょう。自分と対象が一体化する願いです。
それは漠然としたもしくはカッコつけの欲求では無く、自己の利益も関係ないが「切なる願い」です。
無論、自己超越の欲求は、他の低次の欲求の誘惑に負けない強い欲求です。
このように感情を相手にせず欲求を追及することの重要性は、魂の成長も可能になるだけでなく、
自身の欲求レベルを知って魂の進化レベルがアストラル界レベルなのか
コーザル界レベルなのか判断するのもリトマス試験紙レベルに容易で解りやすいと思うからである。
感情というのはアストラル界レベルの範疇に過ぎないので魂の進化レベルは解りません。欲求こそ魂の進化と相関するのである
因みに、神智学ではコーザル体までは輪廻すると考えます。輪廻を脱するレベルは自己超越を越えたブッディ体という世界ですが
ここからは自力努力では困難な段階であり、他力の関与が必要となります。
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Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
そもそも、感情というのは外部の刺激でコロコロ変わる気分的で不安定な蜃気楼に過ぎず感情は進化しない単なるリアクションである。
感情を変えるのは簡単で気分を変えれば良いのである。
しかしながら「欲求」というのは魂の進化に従って進化するのです。
アメリカの心理学者・アブラハム・マズロー(Abraham Harold Maslow)は、
人間の欲求を低次から高次の順で分類し、
5段階のピラミッド型の欲求の階層によって示しました。
マズローによって階層化された欲求とは、
生理的欲求→安全欲求→愛情欲求→尊敬欲求→自己実現欲求の5つである。
私は神智学的には、これらの欲求は魂の進化と相関すると考えます。
生理的欲求(エーテル体)→安全欲求・愛情欲求(アストラル体)→尊敬欲求・自己実現欲求(メンタル体)に対応すると思われる。
簡単に説明すると、私達は、最初に食物、排泄、性欲、睡眠など、個体として生命を維持するために必要な基本的な欲求を持ちます。
そして、それがおおむね満足できると、安心して食事や睡眠を取れる場所が欲しくなるのです。
安心して暮らせる住居が得られると、集団に属したり、仲間から愛情を得たいという欲求を持ちます。子供を育てる愛情もここに入ります。
仲間が出来ると、仲間の中で個人として認められ、尊敬されたい・役に立ちたいという欲求を持つようになります。恋愛願望はこのレベルです。
そして尊敬や認められると、自分自身の持っている能力・可能性を最大限に引き出し、創造的活動をしたい、目標を達成したい、自己成長したいと思い始めます。自己実現でも「他者からの承認欲求」とさらにその上のレベルである「自己からの承認欲求」があります。
因みに私が好きな「男を磨く為に仕事をする」というのはマズロー的には自己からの承認欲求で自己実現のレベルでは無いかと思われます。
重要なことは、
これらの欲求は、低次の欲求がある程度満たされないと、それよりも高次の欲求が発現しないのであります。
つまり、低次の欲求が満たされることによって、次の段階の欲求が芽生え、それを満たすために行動を起こすのである。
マズローの欲求発展説で誤解されやすいことは、進化によって低次の欲求が無くなるという事ではありません。
男を磨きに無償の仕事はするけど、性欲が無くなるのではないのです。更に高い違う欲求が出てくるということである。
そして、高次の欲求は低次の欲求には負けないというのがポイントです。
つまり、低次の欲求はあるけれども高次の欲求のほうが優先されるということである。
「なぜ満足できないのか?」
それは、私達が利己的な欲望に飽きて、
本当の満足を得られる欲望を持つようになるように仕向けられているからであり、
いくら頭で判っていても、実感しなければ欲望は進化しないからである。欲求は達成しても満足できないから進化するとも言えましょう。
以前記事にしましたが、例えば、ケーキを食べたいと思うとしましょう。
そこで遂にケーキを食べる機会を得たとしましょう。
一個目は天にも昇る快感
もう一個食べても良いと言われ、
二個目を食べます。
喜びはありますが、一個目ほどではありません。
さらにもう一個食べても良いと言われました。
喜びはありますが、ちょっと苦痛になってきます。
さらにもう一個食べても良いと言われました。
かなり苦痛になって、もうケーキは要らないと思うでしょう。
私達の満足というのも、このケーキと同じであります。
つまり、満足とは、欲求とそれを満たす対象が合致する箇所であり、
欲求が大きいほど、その喜びの体験も大きいのです。
ではなぜ喜びはいつも消えてしまうのかというと、
欲求が消えるからであります。
私達が永続的な喜びを得るには、永続的に持続する欲求が必要なのである。
従って、誰でも、「食欲」や「性欲」から始まって、それに飽きることによって進化するのです。
ですから、私達は自分の欲求をけっして「卑しいこと」とか「汚いこと」と考えてはいけないのです。
欲望を満たすように行動し、それが空しいと悟ることが、つまり欲求から飽きることを学ぶことが重要なのです。
そして実は自己実現の上に6段階目の欲求があります。マズローが晩年に6段目を追加したそうである。
それは、自己超越の欲求であります。
自己超越の欲求レベルは、神智学的にはコーザル体に対応する欲求レベルであります。
通説によるとこのレベルは全体の2%しか到達できないらしいです。
自己超越の欲求とは、「日本からイジメを無くしたい」「日本から貧困を無くしたい」というような自分の利益は関係なく果たしたい「切なる願い」であります。利他の願いとか愛の願いと等しいでしょう。自分と対象が一体化する願いです。
それは漠然としたもしくはカッコつけの欲求では無く、自己の利益も関係ないが「切なる願い」です。
無論、自己超越の欲求は、他の低次の欲求の誘惑に負けない強い欲求です。
このように感情を相手にせず欲求を追及することの重要性は、魂の成長も可能になるだけでなく、
自身の欲求レベルを知って魂の進化レベルがアストラル界レベルなのか
コーザル界レベルなのか判断するのもリトマス試験紙レベルに容易で解りやすいと思うからである。
感情というのはアストラル界レベルの範疇に過ぎないので魂の進化レベルは解りません。欲求こそ魂の進化と相関するのである
因みに、神智学ではコーザル体までは輪廻すると考えます。輪廻を脱するレベルは自己超越を越えたブッディ体という世界ですが
ここからは自力努力では困難な段階であり、他力の関与が必要となります。
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この記事へのコメント
最後のコーザル体までは輪廻し輪廻を脱するレベルは自己超越を越えたブッディ体という世界で自力努力では困難な段階であり他力の関与が必要となるとありますが、詳しく説明して頂けると幸いです。