流行と廃れの考察

私は久しぶりにサザンオールスターズの初期の音楽を聴きながら、アサヒのスーパードライが爆発的に美味しかった時と皆がややスーパードライに飽きた時の違いは何かとか、とあるミュージシャンが凄く新鮮でカッコよかった時と新鮮さが無くなった時と何が変わったのかというのを考えていたのですが、判ったことは、決してスーパードライが不味くなったわけでもミュージシャンの曲のクオリティが劣化した訳でも無く、時代の「音」と共鳴した時に「大流行」し時代の「音」が変わると「廃れる」のである。時代の波とは時代の風とかも言われるが、私は「音」だと思う。
空間には聞こえない音が流れていて。その音に共鳴することが「時代の波に乗る」ことである。
さしずめ米津玄師のブレイクは彼の音楽の「音」が時代の「音」と共鳴しているからである。1990年代ならば米津玄師はブレイクしなかったと私は思う。

そして思うのは、モデリングも「形」を真似るのでは無くて、「音」を真似ることがコツである。

例えば、お金持の男をモデリングしようと思う時、「形や行為」を真似るだけでなく、彼の体から発している「音」に共鳴させることが本当の「モデリング」だと思われる。
聴こえない音と共鳴する方法は、お金持ちの「感性」をモデリングすることであろう。

これを仏教では「感応道交」という。
決して「教理」や「知恵」では悟りが得られない。「哲学」や「心理学」では決して悟りは得られないのである。
悟りは一瞬であって、道元は「仏と感応道交する時、速やかに悟りが顕れる」と言っている。
感応道交とは感性の波長の同調である。

だから、白隠がコオロギの声を聞いて突然悟ったり、空海が金星を飲み込んだ刹那に成仏したのである。
学問と行のみで成仏した者は未だに誰もいないのである。感応道交でのみ成仏が可能になる。しかも感応道交は「普遍的に流れる音」である故に距離や時間・位置を問題としない。

この感応道交というのは、いわば「音」との同調であるが、観世音菩薩は「音」を聴き分けて人を導くと観音経に書いてあるが、まさに感応道交とは仏や神の「音」を聴き分けて「同調」することである。密教の瑜伽行のいうのも仏と一体になって仏と暮らすのが目的であって修行という身体の行をするのが目的では無い。瑜伽行とは、仏と一体同行二人の「波動生活」である。

仏教の悟りだけでなく、我々の人生を幸福にし、世間の幸せを実現する為にも本当に大事な事は、個人が学問や知恵を磨くことでは無く、感性を磨いて高い感性に感応道交するいわゆる「波動生活」もしくは「感性主体生活」を始めることである。

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この記事へのコメント

杏子
2020年09月07日 16:58
エイジさんの記事は訳が分かんないけれども痺れます。
なお
2020年09月12日 03:27
時期や温度など様々な条件があるとは思うのですが
味の好みって、去年とは違ったりしますよね。
去年はバターにハマったのに、今年はポン酢味が最高!というような

子供の時はポテトチップのコンソメ味が大好きだったのが
成人して塩味に移り、20年ぐらい過ぎてまたコンソメ味が美味しくなったりしてます。
失い覚る
2020年09月14日 01:19
私も「音」を聞き分けられる人になりたいです。いつもありがとうございます。感謝します。
未都
2020年09月17日 01:15
あーなんかもうカオス
eijiさんのブログがすでにそうなんじゃないですか
marika
2020年09月17日 20:44
それ、めっちゃわかりみ(*´ω`*)
エイジ
2020年09月21日 11:29
訳が判らないが痺れる?うーむ>杏子さん

味覚に関しては本物の美味しいものは変わらないと思います。ポテチの場合は調味料なんで変わると思います>なおさん

私も観音の音が聴きたいと思います>失い覚るさん

カオスですね。書きながらそう思いますw>未都さん

marikaさんにはわかりやすいみたいで嬉しいです>marikaさん

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