罰があたる罪と罰があたらない罪
韓非子が「過失ありて罰せられず、功績なく賞を受くれば、国が滅びる」と言っているのですが、私は非常に納得がいくのです。
何故かというと、
「過失が無い者が左遷されたり」「功績があっても賞を与えられない」ような会社は理不尽ですが通常は傾きません。
しかしながら、
「過失があっても罰せられず」「功績がないのに賞を与えられる」ような会社は必ず傾くからである。
これは何故でしょう?
罪とは、罰せられる時に罪になるのです。
同じ罪を犯しても罰せられない場合もあります。
例えば、「人殺し」です。
もちろん、人殺しは良くないのは常識でありますが、
同じ人殺しでも、評価が違います。
戦国時代の武将などその例であります。
徳川家康なんかは、人殺しなのに罰が無く、戦国を終焉させた英雄と尊敬されています。
足利尊氏も上杉謙信もそうである。
外国で言えば、チンギスハンもアレキサンダー大王もそうです。
しかしながら、ヒトラーやポルポトなどは悪魔扱いです。
なぜこのような違いがあるのかというと
私の考えでは、「誰を殺したか?」によって罪が変わると思います。
しかしながら、決して「悪い奴をやっつけたから英雄」では無いのです。
では、どこに違いがあるのか?
ひとつの例を挙げると、織田信長と明智光秀です。
信長は理不尽な殺人鬼でしたが歴史的評価は英雄です。
光秀は同情すべきところもありますが、「主殺し」であり、最低評価である。
つまり、
1、親殺し・上司殺し・恩人殺しは報いのある罪。
2、無抵抗の者、弱い者殺人は報いのある罪。
3、軍人や武士などの戦闘者を殺しても罰があたらない。
という構図があると思われる。
ナポレオンは軍人を殺したから英雄であるが
ポルポトは一般人や弱い者を殺したから悪魔なのです。
決して、悪い奴を殺したから英雄では無いのです。
いくら悪い奴でも、その子供が親である悪人を殺したら、子供は英雄にはなれません。
罪の報いがあるでしょう。
この不可思議な現象の解答を仏教の中に見つけることが出来ます。
モーセの十戒とか仏教の十戒ですと、
不倫はダメとか盗みはダメとか酒飲んだらダメとかありますが、
松下幸之助は愛人いましたが問題ないようであり、
酒飲んで罰当たるとも考え難く、宗教の罪は関係ないと思いがちです。
しかしながら、
「これをやったら誰でも100%絶対に罰が当たります」という罪があるのです。
それは、仏教の阿弥陀如来の四十八願中にある摂取不可能な「五逆の罪」というものです。
「五逆の罪」と「正法誹謗」
これを犯すと阿弥陀様でも救えない無間地獄に落ちるとされています。
その「五逆の罪」とは、
1、父殺し
2、母殺し
3、恩人殺し
4、人間の和合を破ること
5、聖人から血を流すこと
です。
実はこれが、不思議にも罰があたる罪と罰があたらない罪の
明確な説明になっていると思われます。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
何故かというと、
「過失が無い者が左遷されたり」「功績があっても賞を与えられない」ような会社は理不尽ですが通常は傾きません。
しかしながら、
「過失があっても罰せられず」「功績がないのに賞を与えられる」ような会社は必ず傾くからである。
これは何故でしょう?
罪とは、罰せられる時に罪になるのです。
同じ罪を犯しても罰せられない場合もあります。
例えば、「人殺し」です。
もちろん、人殺しは良くないのは常識でありますが、
同じ人殺しでも、評価が違います。
戦国時代の武将などその例であります。
徳川家康なんかは、人殺しなのに罰が無く、戦国を終焉させた英雄と尊敬されています。
足利尊氏も上杉謙信もそうである。
外国で言えば、チンギスハンもアレキサンダー大王もそうです。
しかしながら、ヒトラーやポルポトなどは悪魔扱いです。
なぜこのような違いがあるのかというと
私の考えでは、「誰を殺したか?」によって罪が変わると思います。
しかしながら、決して「悪い奴をやっつけたから英雄」では無いのです。
では、どこに違いがあるのか?
ひとつの例を挙げると、織田信長と明智光秀です。
信長は理不尽な殺人鬼でしたが歴史的評価は英雄です。
光秀は同情すべきところもありますが、「主殺し」であり、最低評価である。
つまり、
1、親殺し・上司殺し・恩人殺しは報いのある罪。
2、無抵抗の者、弱い者殺人は報いのある罪。
3、軍人や武士などの戦闘者を殺しても罰があたらない。
という構図があると思われる。
ナポレオンは軍人を殺したから英雄であるが
ポルポトは一般人や弱い者を殺したから悪魔なのです。
決して、悪い奴を殺したから英雄では無いのです。
いくら悪い奴でも、その子供が親である悪人を殺したら、子供は英雄にはなれません。
罪の報いがあるでしょう。
この不可思議な現象の解答を仏教の中に見つけることが出来ます。
モーセの十戒とか仏教の十戒ですと、
不倫はダメとか盗みはダメとか酒飲んだらダメとかありますが、
松下幸之助は愛人いましたが問題ないようであり、
酒飲んで罰当たるとも考え難く、宗教の罪は関係ないと思いがちです。
しかしながら、
「これをやったら誰でも100%絶対に罰が当たります」という罪があるのです。
それは、仏教の阿弥陀如来の四十八願中にある摂取不可能な「五逆の罪」というものです。
「五逆の罪」と「正法誹謗」
これを犯すと阿弥陀様でも救えない無間地獄に落ちるとされています。
その「五逆の罪」とは、
1、父殺し
2、母殺し
3、恩人殺し
4、人間の和合を破ること
5、聖人から血を流すこと
です。
実はこれが、不思議にも罰があたる罪と罰があたらない罪の
明確な説明になっていると思われます。
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Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
この記事へのコメント
余計な話しですが,,,女あそびをしすぎると男は晩年脳梗塞などで寝たきりになると聞きます。また愛人がいくらいても家、お金を与えて最後まで面倒をみると自分のところに色情の因縁はきません。。。。うらやましい。恨まれると来ます...恐ろしい。。。
大岡裁定のとおり、B級戦犯は即死刑でしたがA級戦犯は立証が難しいです。
言われてやったのに!と思でしょうがやったのはお前だろ!ということである。
色情因縁については、基本的に恨まれたら来ますw
恨まれないと無事ですよ>ただしさん
ついでに追加しますと、女遊びで恨まれるとハゲます。
生霊は癌になります。
病気と因縁については広池千九郎という学者が仮説を立てていますので、
機会があったら紹介しましょう。
兎に角、女から恨まれるとろくなことはありませんから気を付けてくださいね>たかしさん
上司殺しについてです。
私は二度ほど転職をしていますが、私が調整役だったのか、半年後くらいには組織がバランスを崩し、二度とも社会的に上司を殺してしまっています。
私は立つ鳥後を濁さずの精神で、何も打ち明けずにスッと出ていくことがポリシーです。全てにおいて恨みを買わないよう努めているので、不可抗力で「罰を受ける罪」となると防ぎようがありません。
他に冤罪でもいいのですが、そのような罰を避ける方法はあるのでしょうか。
初コメントさせていただきます。
いつもこのblogを楽しく読んでいます。今日はどうしてもエイジさに聞きたいことがあり、質問させていただきました。詳しいことはふせますが私の父は最低な人間です。父は私の母方の土地、財産目当てで婿養子になり、母方の祖父母は父のせいでなくなりました。
本人の業のせいか父はまだ60代なのに、アルコール中毒をはじめさままざまな疾患をかかえ仕事も失いました。私はこの毒親である父を憎んでいるし、私は誓願として、私が実家とお墓を引き継ぎ、父を追い出し、父が滅茶苦茶にした実家を立て直すことです。
こういった場合でも、親不孝とみなされ、私は罰を受けるのでしょうか?どうしても父を許すことはでません。それと私は個人で仕事をしているのですが、仕事は13時から始まり、夜の20時遅いと0時まで仕事をしているので、朝は大体10時代に起きているのですが、私のろうな仕事のサイクルの場合、早起きとは何時代になりますか?
上司の尊厳を破った場合は、罪です。
罰を避ける方法は、罪を背負って生きることです。>TAKAKO様
親は選べませんよね。
いくら悪い親でも縁なのです。
親様に仕えるのが善です。
早起きは時間では無く、ライバルの中で一番が重要>ルイ様
なんだか納得いかないな。
どんな最低な親の元に生まれても自分の運のなさを嘆き、親様にしろってか。
最近(今までもだけど)幼い女の子が親に虐待された挙句殺される事件があった。母親も虐待を見て見ぬふりをしたと、罪を課された。だが、これはまだましだと思う。ひどい話だが、両親は罰を受けた。子が死に至らなかった場合は、ひどいトラウマを受けて一生、苦しんで生きねばならない。とてもまともに生きれるとは思えない。こんなひどい傷を負わされても、親に感謝せねばならないのか??理解に苦しみます
ある王が新宗教を発布するとき、「何人も自分自身を肯定せよ」と書記に述べると、「頭が悪いので、意味が分かりません」といわれる。今でこそ、基本的人権は、ふつうだが、これは最近のことで、それまでは、王(支配者)のみに主権があり、それに民衆は従う図式だあったから、これはうなづける話。それで王は、「親を敬え、と書け。それでいい」と言い換えた。自分を生んだ親を敬う、イコール自分を敬うに通じるからだろう。例外的に親が子を明らかに迫害する場合は、自分を守るのが先決。と思うんですが。。
思いました。