覚醒とは何か?

正月には神社や寺院で祈祷をして頂く方も多いと思いますが、
神様には、「厄払い」や「商売繁盛」「良縁獲得」の力があるということであります。

この力が如何にして発揮されるのかと言いますと、
神様が個人別に願いを叶えてあげるというよりも、神様の「発電所」に接続出来れば
発電所からの「力」で自分の力が増して願望成就になると考えたほうが良いと思います。

そもそも願望達成の程度は「力の量」で決定されるのであり、
人間にも「発電所」があるのですが、乾電池です。
乾電池の力が大きい人は、願望達成の力が強くなります。

乾電池は有限であり、充電しなければ枯渇してしまいます。
如何にして充電するかというと、神の「発電所」と接続することしか有りません。

そこで神の発電所と接続する方法を考察してみようと思う。

人間が神の発電所と接続することを「覚醒」と言います。
ヨガや修行僧は「覚醒」の為に苦行をしている訳でありますが、
実際に苦行をすれば、誰でも発電所と接続できるかというとそうでもないのです。
何十年も苦行しても繋がらない人もいるのです。

因みに、覚醒は悟りとか成仏では有りません。
どちらかというと、「超能力」であり、「悟り」では無いのです。

大乗仏教の龍樹が悟ったように、成仏は自力では不可能なのです。
私もそう思います。なぜなら成仏とは解脱であり、この世界から飛び出すことです。
この世界の力では、この世界の外に飛び出すのは無理なのは当然です。
しかしながら覚醒は自力で獲得出来ます。覚醒すると願望が達成できるでしょう。

そこで以前紹介しましたグルジェフによれば、
「実は簡単に接続できる方法がある」ことを発見し、
それをグルジェフ・ワークとして紹介しています。

グルジェフ・ワークとは、
① 人生の生活中で、色々な理不尽・不合理・裏切り・嘲笑を経験し、
   感情を乱さないことが、もっとも覚醒の修行になる。
   人里離れた山中の修行では覚醒できない。
② 生活は劣悪な方が良い。毎日が針のムシロであるとか
   いつ首を切られるのか毎日が恐怖とか
   とにかく理不尽な待遇で暮らすことがもっとも良い。
③ ①、②の如く劣悪な環境の中で、
理不尽な仕打ちでも感情を乱さないだけでなく、
理不尽な苦痛こそ覚醒のステップとなると考え、心の抑制をすることが重要である

グルジェフによれば、山の中や孤立して苦行しても効果は薄く、
実生活の苦労の中こそ容易に覚醒できると教えています。

もっと簡単に言うと、
グルジェフワークにもっとも大事な事は、
他者奉仕の為に自己犠牲を選択することである。
他者が関係する故に山の中では効果が薄いということです


理不尽な仕打ちの中で、他者の幸せの為に自己犠牲を選択する時、
自己矛盾の摩擦が発生し、炎が発生します。
炎は摩擦がないと発生しません。
実際に内的な摩擦とは「利己」と「利他」の葛藤しかないのです。
この炎が神の発電所の力であり、奇跡を起こすのであります。

人間が自分のすべての欲望に屈するか、それらに迎合するなら、
内的な葛藤、「摩擦」、火は生じません。
しかし、明確な目的を達成するために自分を邪魔する欲求と闘うなら、
それは火を生み出し、徐々に内面の世界を一つの全体へと変容していくことになるでしょう。

いわゆる、不動明王の後輪の炎と同じです。
護摩行では「一切衆生の悪い因縁を切って願望を成就させる」と言いますが、
僧が不動明王の炎を発生させられるかが成就の鍵であり、
単に護摩行をすれば良いのではなく、
立派な僧が「仲介(善知識)」をするのが重要になってきます。

その為に護摩を行う僧は、荒行の苦行を行いますが
苦行の目的は、
理不尽な苦痛の中で、他者の幸せの為に自己犠牲を選択する事であります。
僧が理不尽で無意味な荒行で死ぬか生きるかを経験し、
究極の自己矛盾の選択で自己犠牲を選択する時、僧に不動明王の炎が発生するのです。

グルジェフの生きた時代は戦争中であり、数々な理不尽な災難に遭遇したので
彼は覚醒できたのかも知れませんが、我々にも苦労はありますし、
自らアスリートのように自分を鍛える行を課している人も多いと思います。

大切な事は、誰もが行を行うことですが、特にトップ程重要です。
例えば、会社なら社長、会長などが自己鍛錬をすることは
会社の発展にとって非常に重要でありまして、
例えば社長が早起きを実践しているのなら、社長の成長だけに留まらず、
組織の成長・従業員の幸福に繋がるのであります。

『マハーバーラタ』 (古代インドの叙事詩)では、
アルジュナは天空の庭園を見た。それは、天空の乙女たちが好む休養の地だった。
それは徳の高い者だけのための世界であり、戦場で背を向けた者たちは入れなかった。
とありますが、戦場で背を向けた者とは、
自己犠牲の道を選択せずエゴの道を選択した者を言うのです。
そしてどんな世界でも、困難を前にし背を向けた者は、卑怯者と呼ばれます。
そして卑怯者はけっして覚醒できず頭になれないのです。


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この記事へのコメント

まら
2019年01月03日 16:42
エイジさんブログいつも拝見しております。凄く勉強になります、感謝です。

実は自己鍛錬の為の他者貢献を暫く実践していたのですが、精神的に疲れ無気力に陥りました。周りに腹が立ってしょうがなくなりイライラするようになり、何でこんなにやってるのに呑気に生きてるんだ?と人を責める偉そうな自分になって、辛さが止まりませんでした。

そこで考え方を変え、自分を幸せにする事を第一優先にと考える事にしました。
辛い自分だと相手を幸せにできない、他者に殺気を与えてしまう。自分が幸せな感情になる範囲なら他者貢献も惜しみません(あの人を喜ばせると私が嬉しい、等。なので行動理由は自己鍛錬、ではなく自分の喜びの為です)。こう考え実践してからとても楽で且つ自分の努力(勉強など)が全て円滑に進み出し、他者貢献も本当の意味で見返りを求めず出来るように。

人により自分の幸せの中に他者貢献があまりない方もいるかもしれません。しかしそれは自分の喜び(=幸せ)をあまり理解できていないからでは。なので大前提としては自分の幸せの為、結果他者貢献をしている、という方がやっていることは同じでも自分が他者に悪影響を及ばさずに出来るのです。

根っこが自己鍛錬ではなく自分の幸せの為の他者貢献だと、何か違いはあるのでしょうか。
Jane
2019年01月04日 18:03
エイジさん
あけましておめでとうございます!

この記事を肝に銘じて新年の抱負にします!良い記事をありがとうございます^_^
カコ
2019年01月04日 20:04
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

他者のために何かができるのは喜び。
この世界の中で、きちんと役割が与えられるということですもの。
ただ、体力の限界とか、まあいろいろあるので、
自分が継続できて、自分が成長できることが自己鍛錬でいいのですよね?

誰かのために役立ちたい。
年齢が高くなるほど、そう思うものですね。
2019年01月05日 09:40
徳のレベルとしては、
自分の幸せの為<自己鍛錬<他者の為の自己犠牲だと思います。
参考になるのはイエスとソクラテスの生き方と思います。>まらさん

こちらこそ、本年もよろしくお願いいたします。>Janeさん

旧年に引き続き本年もよろしくお願いいたします。>カコさん
れれれ
2019年01月06日 08:14
明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願い致します。

エイジさん、ありがとうございます。
新年早々グルジェフ!しかも苦しみの解釈
この雪かきに意味はあるのか?全然やまいぞ!俺が病んじまうぞ!
などと思う日こそ、体力の限界か!チキショウ!寝かしてくれ!
全部、マッチに火を興す摩擦だとは、エネルギーだとは
充電器に接続のライン創りだとは!
超人思想、楽しみます。

ご無理をなさらぬよう、あなたの幸せ祈ります
僕は無理しまくりたいと思います
おみくじは大吉だったし!じゃんじゃん雪よ僕の上に振りまくれー(^^)
2019年01月06日 13:54
まさしくそこがポイントで、摩擦が無いと接続できないのです。グルジェフはそれを緩衝器を破壊すると表現しています。悩まないと努力が足りんということでもありましょう。本年もよろしくお願いいたします。>れれれさん
小結
2019年01月07日 06:35
高校の時からブログを拝見していますが、初めて書き込ませていただきます。

エイジさんのブログでは、時々「勢い」という概念が出てきますがこれは本当に面白い話だと思います。
確かに、なんでもがむしゃらにやっている時や、直感で様々なことを試すと勢いがついている感覚がしてきます。

また、最近気がついたことですが、私は何か行動して失敗すると、その失敗した出来事とは別に奇跡的なイベントが発生する(急に有益な出会いがある、たまたま試験に合格する)ことが多い気がします。

私の中で、「何かに失敗する」=「勢いがつく(実は運が好転している?)」ようにほぼ確信を抱きつつあるのですが、エイジさんの、「失敗」と「勢い」の関係性に対する見解を教えてはいただけないでしょうか? もしあればですが。というか、急にこんなこと聞いてスミマセン(笑)ファンなんです(笑)
2019年01月07日 23:23
非常に興味深い事例ですね。失敗するとイベントが起きるというのは事実で、それは小結さんの失敗した時の姿勢に因るものだと思われます。通常は失敗すると自信が無くなって悪循環になるのですが、小結さんは失敗するとどのような精神状態になるのかな?>小結さん
小結
2019年01月08日 20:41
エイジさん、お返事ありがとうございます!

んー、そうですねぇ。私の場合、失敗すると初めは正直ちょっと落ち込んじゃいます(笑)
ですが、少し時間がたつと(立ち直りは早い方なので、数時間後くらいかな?)、「こんなところで終われるか!」「でも、挑戦したってことだから自分に誇りを持とう」「私はこんなもんじゃないっ!」「次だ次ぃ!」て考えますね~。

エイジさんの論も踏まえると、比較的やや強気になるからいいのかも?(笑)
未都
2019年01月10日 23:08
あけおめです。

極まって、
ぶちぎれ、怒り、そのパワーのせいとは考えられないでしょうか。
こんなに頑張ったのに、
このあつかいか?みたいな。
六条
2019年01月12日 06:45
PCが壊れて初期化したので真清田神社以来ですが、いろいろ検索しても出てこなくて誰もついていけないブログでたどり着きましたが、随分ついてきているではないですかw
まさに今回のテーマは、中村天風師のふと青い空を見上げた時に天の声を聴き何故か一筋の涙が流れたインドでの悟りみたいなことですね。素晴らしいです。
まったく関係ない話ですが昨日はワクチンが足りず7日待ちでの予約でインフルエンザの予防接種を打ちに行ったのですが緊張したのか体温が何故か37.3に看護婦が帰ってくださいと言うのを平熱ですと押し切り打っていただきましたw身体は正直です嫌なんでしょうw
taishi hiratuka
2019年02月17日 01:12
このブログに勇気を頂きました
ありがとうございます
ララ
2019年03月31日 11:24
私もこのお話に救われました
ありがとうございました🙂

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