飽きるか飽きないを決める要素は何か
アンディ・ウォーホルの絵画は不思議な力がある。
最初は、なんの特徴もない絵画なのだが、
飽きないのですよ。アンディ・ウォーホルの絵画は飽きない。
私は格言が好きで、
好きな格言をトイレに張ったりするのですが、
飽きる格言と飽きない格言があります。
カレンダーも同じで、
最初は綺麗とかカッコいいとか思うのですが、
やはり飽きてしまうのです。
特に写真系は飽きますね。
それで飽きない格言やカレンダーの共通点を考えると
飽きないモノは「癒し」があるということが解りました。
飽きない格言は癒し系の格言です。
「飽きる」「飽きない」を決定する要素とは何でしょう。
それで飽きる格言とは何かというと、
教訓系の言葉であります。
教訓系は「なるほど!」と思いますが、癒し力が無いのです。
だから半年で飽きます。
「癒し」とは何か?
ちなみに瀬戸内寂聴の人生相談は癒されると言います。
彼女自身の色欲三昧の火宅半生もあり、
修行もしていない彼女自身に僧としての適性に疑問もありますが
私が思うに、確かに瀬戸内寂聴の言葉には「癒す力」があります。
瀬戸内寂聴になぜ癒されるのか?
それを解明すると「癒し」が良く分かるようになりました。
人は悩んだり苦しんだ時、言葉を探します。
例えば、「苦難に会いました。苦しいっす。」という悩みの場合、
占い師なら、
「それは未来の土台作り、忍耐力・持久力の時期として頑張れば
必ず三年後には開運します。」
と言うでしょう。
そしてそのとおりでしょう。
森信三先生も
「逆境はチャンスであり、耐えれば三年で陽転する。」
と言われています。
私の知り合いの高名な禅宗の僧ならば
「イジメられないようにするには、体を鍛えることだ。
体を鍛えれば心が強くなってイジメられない。」
と言うでしょう。
これも、そのとおりでしょう。
心理学でも変性意識に入るにも体意識が最も重要です。
心技体という言葉がありますが、精神をコントロールするには、
第一に体を鍛えることです。
事実、アスリートはメンタル強いでしょ?
メンタルが弱い者はアスリートに成れないです。
そこで、瀬戸内寂聴はどう答えるのかというと、
「苦難に遭わない人生よりも
苦難や快楽がたくさんあった人生の方が楽しいし
愛が多い人生になる。」
と答えるでしょう。
この回答に、多くの人が癒しを感じると思うのです。
そして瀬戸内寂聴から私は「癒し」とか「癒される」とは何かということが判ると思うのです。
「癒し」とは、
癒しとは、解決策を見つける事では無く
「現象をそのまま幸せである」と感じる事である。
飽きの来ない文章や絵画の必須事項とは何かと言うと、
その作品に「癒し力」があるかということである。
「解決」や「美」や「教訓」「真実」「救済」では無いのです。
「癒し」こそ飽きの来ない作品です。
つまり、格言やカレンダーで飽きが来ないモノは、
癒しの力がある作品であり、
現実をそのまま肯定する作品、つまり花の美しさとか
自然の美しさをそのまま表現し、
人間界の苦悩や愛や憎しみがあっても、人生を賛美すること、
苦しみこそ幸せと肯定する作品に癒し力があるということであります。
この考察から、人生が苦しいと思う者に贈る格言があるとすれば、
高杉晋作の
「面白くない人生を面白く生きてやろう」と言う言葉である。
多くの人に共感を得るには、
芸術のみならず、人生や友人関係・スピーチでも
解決策や美意識では無く、癒しだけが本当の力があるのです。
「癒し力=生を愛する」が人々に勇気を与える最も重要なキーワードなのです。
さて、
最近、苦情処理で製品の検品に来た所長の言葉。
「苦情があると辛いのですが、反面その夜の酒は美味い」
という言葉にカタルシス「癒し」を感じました。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
最初は、なんの特徴もない絵画なのだが、
飽きないのですよ。アンディ・ウォーホルの絵画は飽きない。
私は格言が好きで、
好きな格言をトイレに張ったりするのですが、
飽きる格言と飽きない格言があります。
カレンダーも同じで、
最初は綺麗とかカッコいいとか思うのですが、
やはり飽きてしまうのです。
特に写真系は飽きますね。
それで飽きない格言やカレンダーの共通点を考えると
飽きないモノは「癒し」があるということが解りました。
飽きない格言は癒し系の格言です。
「飽きる」「飽きない」を決定する要素とは何でしょう。
それで飽きる格言とは何かというと、
教訓系の言葉であります。
教訓系は「なるほど!」と思いますが、癒し力が無いのです。
だから半年で飽きます。
「癒し」とは何か?
ちなみに瀬戸内寂聴の人生相談は癒されると言います。
彼女自身の色欲三昧の火宅半生もあり、
修行もしていない彼女自身に僧としての適性に疑問もありますが
私が思うに、確かに瀬戸内寂聴の言葉には「癒す力」があります。
瀬戸内寂聴になぜ癒されるのか?
それを解明すると「癒し」が良く分かるようになりました。
人は悩んだり苦しんだ時、言葉を探します。
例えば、「苦難に会いました。苦しいっす。」という悩みの場合、
占い師なら、
「それは未来の土台作り、忍耐力・持久力の時期として頑張れば
必ず三年後には開運します。」
と言うでしょう。
そしてそのとおりでしょう。
森信三先生も
「逆境はチャンスであり、耐えれば三年で陽転する。」
と言われています。
私の知り合いの高名な禅宗の僧ならば
「イジメられないようにするには、体を鍛えることだ。
体を鍛えれば心が強くなってイジメられない。」
と言うでしょう。
これも、そのとおりでしょう。
心理学でも変性意識に入るにも体意識が最も重要です。
心技体という言葉がありますが、精神をコントロールするには、
第一に体を鍛えることです。
事実、アスリートはメンタル強いでしょ?
メンタルが弱い者はアスリートに成れないです。
そこで、瀬戸内寂聴はどう答えるのかというと、
「苦難に遭わない人生よりも
苦難や快楽がたくさんあった人生の方が楽しいし
愛が多い人生になる。」
と答えるでしょう。
この回答に、多くの人が癒しを感じると思うのです。
そして瀬戸内寂聴から私は「癒し」とか「癒される」とは何かということが判ると思うのです。
「癒し」とは、
癒しとは、解決策を見つける事では無く
「現象をそのまま幸せである」と感じる事である。
飽きの来ない文章や絵画の必須事項とは何かと言うと、
その作品に「癒し力」があるかということである。
「解決」や「美」や「教訓」「真実」「救済」では無いのです。
「癒し」こそ飽きの来ない作品です。
つまり、格言やカレンダーで飽きが来ないモノは、
癒しの力がある作品であり、
現実をそのまま肯定する作品、つまり花の美しさとか
自然の美しさをそのまま表現し、
人間界の苦悩や愛や憎しみがあっても、人生を賛美すること、
苦しみこそ幸せと肯定する作品に癒し力があるということであります。
この考察から、人生が苦しいと思う者に贈る格言があるとすれば、
高杉晋作の
「面白くない人生を面白く生きてやろう」と言う言葉である。
多くの人に共感を得るには、
芸術のみならず、人生や友人関係・スピーチでも
解決策や美意識では無く、癒しだけが本当の力があるのです。
「癒し力=生を愛する」が人々に勇気を与える最も重要なキーワードなのです。
さて、
最近、苦情処理で製品の検品に来た所長の言葉。
「苦情があると辛いのですが、反面その夜の酒は美味い」
という言葉にカタルシス「癒し」を感じました。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
この記事へのコメント
癒し系の人は飽きないのかな?^_^
エイジさんのブログにも癒す力がありますものね。
癒しの力… どうやって発揮するか。
考えても引き出すことはできないのだろうか?その人の個性が自然と出せるものなのかどうか。
愛をもってすれば、出てきますね。断言できるな。
今日もなるほどと思い当たる節がありました。
人は誰でもゆりかごのように包まれたい時がありますよね。丁度「癒やし」や「安心」について深く知りたいと思っていたので、この度のエントリは本当に嬉しかったです。
アンディ・ウォーホルに癒やしを見出すとすれば「身近な題材」や「反復」だったりするのでしょうか。
「これでいい」と思うと、物事は受け入れやすいというか、
それで学べる、それで楽しいことがより楽しく感じられる、とか。。。。
つらいことがあるのは当然。それを楽しむことも重要ですね。それもまた、楽しいのだ、って思えるようになりたいものです。(^^♪
包容力のある人が癒し系です>himiさん
癒しの力を出すには
「そのままでいいのだ。そのまま進みなさい。」
といういわゆるジョンレノンが悟ったという
「LET IT BE」も同じなのです。いわゆる肯定です>鯨さん
教訓やメンタル偏ると癒しの力即ち本来の力が枯渇するので
迷いや疑心が出てきますね>かなさん
アンディ・ウォーホルに癒やしを見出すとすれば
身近な素材に「リズムと潤い」を見出した作品だからと思います>美咲さん
癒しとは、「すべてはそのままで良い。苦労があってもそれは良い。人生は美しい。」と発見することでしょう。>きんぎょさん
カリール・ジブランの詩のように
最期に勘定をしながら料理長にこう言う。
「もうお腹一杯なので満足したよ」
そして、颯爽と人生というレストランからバイバイしようではないか。>カコさん