運が良いことが正しいこと
人間は地球上で「勝者」です。もっとも繁栄しています。
なぜ勝者なのでしょう?
賛否両論があるでしょうが、人間は、象やライオンや犬や虫よりも「進化した者」だからです。
そこで、進化とは何かというと、どうも「運動神経や体力が強い」では無い。
攻撃力では、ライオンの方が強いです。
聴力や視力でも、他の動物の方が優れています。
では、人間は何が優れているのかというと、
体力や知力が優れているのでは無くて、神に近いからであります。
つまり、百獣の王のライオンよりも人間が地上の支配者である理由は、
人間が神に近いからです。
必ずもっとも進化した者が限られた地球という環境の中での勝者になります。
よって、運が良いことが正しいことである。
正しい=公理に合致してる=地球の意思と合致しているから
運が良くなると考えるべきでしょう。
ゆえに、
どんなに立派な論理でも正論であっても
運が見方しない理論は間違っていると考えるべきです。
例えば、共産主義という政治は、非常に運が悪いです。
国が貧乏になるし、干ばつが起こります。
家族は崩壊するし、男女の関係も崩壊します。
それはなぜかというと、共産主義が「進化の方向」に合致していないからであります。
例え、どんなに素晴らしい理想論であっても、正論であっても、
進化の方向に合致していないと死滅するのです。
よって、共産主義は50年で壊滅しました。
さて、以前にも書いたことがありますが、
宗教にも「進化の差」があって、その結果が「豊かさ」に相関しています。
大体において、豊かな国は「大乗の国」で貧しい国は「小乗の国」です。
大乗とは、「利他を大事にする思想」で、小乗とは、「自利を大事にする思想」です。
宗教で大乗とは「個人の修行は重要で無く、他者を救うことを大事にする宗教」であり
小乗とは、「戒律や修行を重んじ、自分が助かることを大事にする宗教」です。
日本は、廃仏毀釈(仏教を退け、神道を復興させる)の時代に必ず国難に遭遇しています。
元寇の時も第二次大戦の時もそうなのですが、
日本神道はユダヤ教で「小乗宗教」だから弱いのです。
それに対し、「キリスト教」や「阿弥陀仏教」は大乗宗教だから、強いのです。
よって、神道(ユダヤ教)はキリスト教や仏教の国に負けてしまったのです。
神道に関して話しますと、
まず、なぜ日本国は神道と仏教の二つの宗教が平気な顔して
両立してることに矛盾を感じないのしょう。
この理由に、神道と仏教の謎を解く鍵があります。
神道の起源には二つの流れがありました。
一つの集団は、イザヤの「東方の島国にユダヤの神を祀れ」という預言を信じて、
イスラエルから逃亡した王族が沖縄に辿り着きました。
沖縄には、古代イスラエルの風習や祭りが色濃く残っているのが、紛れもない証拠です。
その一行が沖縄から九州に移動し、日本に最初の神道(ユダヤ教)を入れたのです。
この系統が物部氏です。これは紀元前の話である。
よって物部氏はキリスト教を知らないのです。
沖縄に到着していない他のユダヤの支族は、秦という国を中国に建国しました。
始皇帝はユダヤ支族の子孫なのですが、彼がユダヤの子孫である証拠として、
不老不死の妙薬が、「東方の島々に存在する」と信じたことです。
なぜなら、その根拠が「イザヤの預言」であるからです。
その後、秦が滅亡し、始皇帝の親戚一同が、モンゴルから朝鮮の百済に逃亡し、
日本に渡ったのが、弓月君であり、秦氏であり、
本当の最初の天皇である応神天皇である。
これが二つめの集団です。
ここで、非常に重要な事は、
日本に渡来する旅の途中で秦氏は、仏教に遭遇したということです。
秦氏はイエスでは無く、「阿弥陀仏」というイエスを信仰するようになりました。
秦氏に影響を与えたのは、ナーガルジュウナ(龍樹)とクマラジュであります。
実は浄土三部経はクマラジュが訳したと信じられていますが、
浄土三部経のサンスクリットの原本は見つかっていませんので
クマラジュが龍樹の話を三部経にまとめたという説が有力です。
阿弥陀仏は4世紀に突如として現れた最高仏なのです。
龍樹が仏典の中からイエスを見つけ出して担ぎ上げたのが阿弥陀の正体です。
最近の結婚式は教会で上げる人が圧倒的に多いようですが、
イエス=阿弥陀ということが潜在的に日本人は解っているので
違和感を感じないのです。
また、日本でなぜキリスト教が広がらないのかというと、
天皇がユダヤ王の末裔だからです。
さて、
日本に渡った秦氏は、物部の神道(ユダヤ教)を「小乗」と考えました。
そこで蘇我氏と物部氏の戦いとなり、蘇我氏が勝利し、仏教が神道に勝った訳です。
まさにヘブライの旧約の民と新約の民との闘いと同じだったのです。
しかしながら、蘇我氏では日本の神道(ユダヤ教)が死滅し、仏教のみになるという
危機を感じた藤原氏が大化改新をして蘇我氏を滅ぼしました。
このような経緯により、日本には神社と寺院の両方が同じ価値観で成り立つという現在の形になったのである。
日本こそ、ユダヤ教(神道)とキリスト教(阿弥陀教)が両立する世界で唯一の国なのです。
このような過去の検証によって、進化の方向はキリスト教>ユダヤ教、
大乗>小乗ということが判る訳です。
そして、神は大乗の延長にあると知ることが出来ます。
よって、大乗的な思想、「菩薩道」を行うものこそ中心に近く、
地上で負け無しとういうことになると思われます。
そこで菩薩道とは何かというと、大乗の実践であり
それは、「自分よりも先に他人に利を与える」ということです。
しかしながら、菩薩道は、困難な道であります。
何が困難かというと、「菩薩道が必ずしも感謝されない」ということです。
舎利弗にこのようなお話があります。
舎利弗は、すべての人を救済するいう願いを持って修行していました。
ある時に1人の老人と道で出会い、
その老人が「私は眼がない。お前は2つのよい眼を持っているかた、その1つの眼を私にくれ」と舎利弗に言ったのです。
それで舎利弗は、自分の目の玉をくり抜いて老人にあげました。
すると老人が、血が滴っている眼を見て「こんな汚い眼はどうしようもない」と言って、
その眼を地面に叩きつけて足で潰してしまったのです。
それを見た舎利弗は、
「欲しいというから、大切な眼の1つをやったのに、
地面に投げ捨てて足で踏みにじるとは!!」と怒ったのです。
そして「人を助けるなんていうことはもう止めた。
それよりも自分自身が心安らかな境地に到達するための修行をしよう」といったのです。
このように舎利弗は人を助けることを止めて自分の徳の完成だけを目指すようになったために、小乗の聖者になってしまったといわれるのです。
大乗=すべての人々を救うというのは格好よいのですが、
実は人を救って喜んでもらえると思ったら大間違いであり、
自分が損しても行うということが本当の「菩薩道」であり
人間が目指す最高の道ということになります。
大事な事は、
大乗が実践できる?出来ない?では無くて、
というのは、絶対に実践できる訳がないのです。
しかしながら、このような大乗の教えが善と考える国や人間は必ず栄えるということなのです。
だから、子供たちに、「自分が苦労しても他人の為になることをしなさい」と教えることは
大乗であり、至極正しくて、子供や日本国の将来に必ず益になることなのです。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
なぜ勝者なのでしょう?
賛否両論があるでしょうが、人間は、象やライオンや犬や虫よりも「進化した者」だからです。
そこで、進化とは何かというと、どうも「運動神経や体力が強い」では無い。
攻撃力では、ライオンの方が強いです。
聴力や視力でも、他の動物の方が優れています。
では、人間は何が優れているのかというと、
体力や知力が優れているのでは無くて、神に近いからであります。
つまり、百獣の王のライオンよりも人間が地上の支配者である理由は、
人間が神に近いからです。
必ずもっとも進化した者が限られた地球という環境の中での勝者になります。
よって、運が良いことが正しいことである。
正しい=公理に合致してる=地球の意思と合致しているから
運が良くなると考えるべきでしょう。
ゆえに、
どんなに立派な論理でも正論であっても
運が見方しない理論は間違っていると考えるべきです。
例えば、共産主義という政治は、非常に運が悪いです。
国が貧乏になるし、干ばつが起こります。
家族は崩壊するし、男女の関係も崩壊します。
それはなぜかというと、共産主義が「進化の方向」に合致していないからであります。
例え、どんなに素晴らしい理想論であっても、正論であっても、
進化の方向に合致していないと死滅するのです。
よって、共産主義は50年で壊滅しました。
さて、以前にも書いたことがありますが、
宗教にも「進化の差」があって、その結果が「豊かさ」に相関しています。
大体において、豊かな国は「大乗の国」で貧しい国は「小乗の国」です。
大乗とは、「利他を大事にする思想」で、小乗とは、「自利を大事にする思想」です。
宗教で大乗とは「個人の修行は重要で無く、他者を救うことを大事にする宗教」であり
小乗とは、「戒律や修行を重んじ、自分が助かることを大事にする宗教」です。
日本は、廃仏毀釈(仏教を退け、神道を復興させる)の時代に必ず国難に遭遇しています。
元寇の時も第二次大戦の時もそうなのですが、
日本神道はユダヤ教で「小乗宗教」だから弱いのです。
それに対し、「キリスト教」や「阿弥陀仏教」は大乗宗教だから、強いのです。
よって、神道(ユダヤ教)はキリスト教や仏教の国に負けてしまったのです。
神道に関して話しますと、
まず、なぜ日本国は神道と仏教の二つの宗教が平気な顔して
両立してることに矛盾を感じないのしょう。
この理由に、神道と仏教の謎を解く鍵があります。
神道の起源には二つの流れがありました。
一つの集団は、イザヤの「東方の島国にユダヤの神を祀れ」という預言を信じて、
イスラエルから逃亡した王族が沖縄に辿り着きました。
沖縄には、古代イスラエルの風習や祭りが色濃く残っているのが、紛れもない証拠です。
その一行が沖縄から九州に移動し、日本に最初の神道(ユダヤ教)を入れたのです。
この系統が物部氏です。これは紀元前の話である。
よって物部氏はキリスト教を知らないのです。
沖縄に到着していない他のユダヤの支族は、秦という国を中国に建国しました。
始皇帝はユダヤ支族の子孫なのですが、彼がユダヤの子孫である証拠として、
不老不死の妙薬が、「東方の島々に存在する」と信じたことです。
なぜなら、その根拠が「イザヤの預言」であるからです。
その後、秦が滅亡し、始皇帝の親戚一同が、モンゴルから朝鮮の百済に逃亡し、
日本に渡ったのが、弓月君であり、秦氏であり、
本当の最初の天皇である応神天皇である。
これが二つめの集団です。
ここで、非常に重要な事は、
日本に渡来する旅の途中で秦氏は、仏教に遭遇したということです。
秦氏はイエスでは無く、「阿弥陀仏」というイエスを信仰するようになりました。
秦氏に影響を与えたのは、ナーガルジュウナ(龍樹)とクマラジュであります。
実は浄土三部経はクマラジュが訳したと信じられていますが、
浄土三部経のサンスクリットの原本は見つかっていませんので
クマラジュが龍樹の話を三部経にまとめたという説が有力です。
阿弥陀仏は4世紀に突如として現れた最高仏なのです。
龍樹が仏典の中からイエスを見つけ出して担ぎ上げたのが阿弥陀の正体です。
最近の結婚式は教会で上げる人が圧倒的に多いようですが、
イエス=阿弥陀ということが潜在的に日本人は解っているので
違和感を感じないのです。
また、日本でなぜキリスト教が広がらないのかというと、
天皇がユダヤ王の末裔だからです。
さて、
日本に渡った秦氏は、物部の神道(ユダヤ教)を「小乗」と考えました。
そこで蘇我氏と物部氏の戦いとなり、蘇我氏が勝利し、仏教が神道に勝った訳です。
まさにヘブライの旧約の民と新約の民との闘いと同じだったのです。
しかしながら、蘇我氏では日本の神道(ユダヤ教)が死滅し、仏教のみになるという
危機を感じた藤原氏が大化改新をして蘇我氏を滅ぼしました。
このような経緯により、日本には神社と寺院の両方が同じ価値観で成り立つという現在の形になったのである。
日本こそ、ユダヤ教(神道)とキリスト教(阿弥陀教)が両立する世界で唯一の国なのです。
このような過去の検証によって、進化の方向はキリスト教>ユダヤ教、
大乗>小乗ということが判る訳です。
そして、神は大乗の延長にあると知ることが出来ます。
よって、大乗的な思想、「菩薩道」を行うものこそ中心に近く、
地上で負け無しとういうことになると思われます。
そこで菩薩道とは何かというと、大乗の実践であり
それは、「自分よりも先に他人に利を与える」ということです。
しかしながら、菩薩道は、困難な道であります。
何が困難かというと、「菩薩道が必ずしも感謝されない」ということです。
舎利弗にこのようなお話があります。
舎利弗は、すべての人を救済するいう願いを持って修行していました。
ある時に1人の老人と道で出会い、
その老人が「私は眼がない。お前は2つのよい眼を持っているかた、その1つの眼を私にくれ」と舎利弗に言ったのです。
それで舎利弗は、自分の目の玉をくり抜いて老人にあげました。
すると老人が、血が滴っている眼を見て「こんな汚い眼はどうしようもない」と言って、
その眼を地面に叩きつけて足で潰してしまったのです。
それを見た舎利弗は、
「欲しいというから、大切な眼の1つをやったのに、
地面に投げ捨てて足で踏みにじるとは!!」と怒ったのです。
そして「人を助けるなんていうことはもう止めた。
それよりも自分自身が心安らかな境地に到達するための修行をしよう」といったのです。
このように舎利弗は人を助けることを止めて自分の徳の完成だけを目指すようになったために、小乗の聖者になってしまったといわれるのです。
大乗=すべての人々を救うというのは格好よいのですが、
実は人を救って喜んでもらえると思ったら大間違いであり、
自分が損しても行うということが本当の「菩薩道」であり
人間が目指す最高の道ということになります。
大事な事は、
大乗が実践できる?出来ない?では無くて、
というのは、絶対に実践できる訳がないのです。
しかしながら、このような大乗の教えが善と考える国や人間は必ず栄えるということなのです。
だから、子供たちに、「自分が苦労しても他人の為になることをしなさい」と教えることは
大乗であり、至極正しくて、子供や日本国の将来に必ず益になることなのです。
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この記事へのコメント
実践なんて出来なくとも。
舎利沸の話しを聞いて、私は自分が大事だし大切にしたいのでそんな事、自分の大切なものなんて与えてあげられないけど、、、
与えてから後悔なんて…
自分中心に生きていたいけれど、それで良いんでしょうか?
今日実は上京し、息子の大学の合格発表を見てきました。
2年越しで桜咲きました!
息子には利他の精神でこれから勉学に励んで行ってもらいたいと改めてこの記事を読んで思いました。
ありがとうございます!息子とシェアしますね。
とても説得力があって納得です
1つ質問があります
共産主義は進化の方向に合致していない
とは
どの様に合致していないのか、教えて頂けないでしょうか?
よろしくお願い致します
自己中でしか生きれない人は自己中を極めて下さい。>桃李さん
おおお!
おめでとうございます!>Janeさん
共産主義は自然の摂理を破壊するから☓です。
つまり、儒教で説く徳の考えがまったく在りません。
共産主義に爲に、子供が親を殺しても善なのです。
しかし、自然の摂理からは親殺しは万死に値する罪なのです>エデラメールのcookieさん
なるほど~。運が良い、繁栄する、勢いが良い、正しい。ですね。
エイジさんのいう「勢いがいい」っていうのは
キーワードとしていつも考えております(^^♪