人間関係の悩みを根本的に解決する方法
リーダーというのは、最初は皆が応援してくれますが、
長くやると絡まれるというかいちゃもんを言われることが多くなります。
それで悩んで苦情対策本などを読み、
「人間の本質は他人認められたい」と知ると、
「自分(クレーマー)が皆から一目置かれたいからいちゃもん言ってるに違いない」
と考え、謙虚な姿勢で接するようにしますがますますいちゃもんを言われるようになる。
同じように、女性からいちゃもんを言われると
「もっと私を注目して欲しいサインだな」と考えて、優しい言葉をかけると
ますますいちゃもんや苦情を言われるようになります。
何が間違っていたかというと、「いちゃもん」や「苦情」に対し、
「人間の本質は他人認められたい」と考えたからであり、
「人間の本質は生意気なうざい奴を嫌う」というもう一つの面を考慮しなかったからである。
うざいイメージというのは、謙虚な姿勢では拭えないばかりか
ますますうざくなる。うざい系のいちゃもんは謙虚姿勢で助長します。
だから、謙虚姿勢なのに、いちゃもん言われるのならば、
「あんたはうざいんだよ」と思われてると解釈すべきです。
つまり、
人間の本質は、① 競争心(自尊心) と ②嫉妬心 でほとんど説明できる。
あらゆる人間の行動は、この二つが根になって発生している。
競争心とは、自尊心であり、① 評判が良くなりたい。 褒められることをしたい。
② 一目置かれたい。好かれたい。
③ 舐められたくない。大事に扱って欲しい。
④ 弱い者・不幸な者を助けたい。(ボランティア精神)
という欲求がある為、他人と競争せざる得ない衝動であり、
嫉妬心とは、① 出世や栄達した他人に対し、
あいつは調子こいているからやっつけたいと思う心。
② うざいのに自分がうざいことに気づいていない苛立ち。
③ 結婚してるのにモテて遊んでる奴はむかつく。
というような、相手を引きずりおろしたい欲求である。
そして、
社会の現象のほとんどが、
二つの人間の欲望が土台になって成立しているのです。
従って、いわゆるクレームの対処を考える場合、
クレーマーがなぜクレーマーになるかもしくは彼女が彼にいちゃもん腹立つかというと、
① 自分を大切な人だと扱って欲しい
② 期待していたのに自分が裏切られた悲しみ
という競争心と
① 相手が上から目線で偉そうで気に入らない。
② 相手が調子こいて気に入らない。
の嫉妬心の混在で発生したと思われる。
従って、いわゆるクレームの発生理由を
「君は私に自分を認めて欲しいんだね」というように
相手の自尊心だけを考えては解決出来ないし、
「私は悪人なのね」とか「私は馬鹿だからね」いうように
クレームの本質が嫉妬なのに、
相手の嫉妬を知らずに自分を攻撃するとうつ病やトラウマになる。
よって、
クレームには必ず、競争と嫉妬の両方から対処することが重要なのです。
次にイジメについて考えてみましょう。
イジメは学校だけでなく職場でも家庭でもあります。
不倫叩きなんてイジメの境地です。
人の不倫は自分にはまったく関係ないのですけどむちゃ腹立つっていうのが、
実は嫉妬です。道徳で人間性まで否定する事例はほとんど嫉妬です。
それで、イジメの本質というのは、
イジメの対象が異質・迷惑な存在なのに自分が異質・迷惑と気づいていない苛立ちから、相手を引きずり降ろそうとする嫉妬的な行為であると定義できます。
故に、イジメられている者は、「友情行為」とか「自分を認めて欲しいから俺を苛める」と考えてはいけない。
そう考えると解決できないのです。サイコパスも同じです。
しかしながら、現実的にほとんどの場合、
イジメられてる者は「俺って好かれてる?」とか「悪い俺を教育してる?」と
考えていることが多いのが事実らしいです。
これは、家庭内暴力も同じで、母親に虐待された子供は決して母親を憎まないのです。
「自分が悪い子だから母が怒った」と考えるのです。
なぜ憎まないかというと、生活能力の無い子供にとって、絶対的守護者である母親や友人を憎むことは、自分の存在を否定することになるからです。
実は、ひとりぼっちを自覚したくないのが本質です。
それで、イジメられてる者や支配されて隷属されてる者がどうすれば良いかというと、
「自分は邪魔者で嫌われている」と自覚することです。
しかしながら、それだから自分はダメ人間だと思ってはいけないのです。
結論的に、イジメから脱するには、平穏な生活や自分を愛してくれる友人を捨て
ひとりぼっちの荒野を目指すことです。
そんな行為は、人生を否定するような気持ちになるかも知れません。
しかし、その弱さこそ、君が苛められる理由なのです。
だから、
イジメの最良の対処法は、イジメ相手に迎合したりすることなく、
勇気を出して誰にも頼らない自分の軸を模索する一歩を踏み出すことなのです。
つまり、離婚上等、イジメ上等、左遷上等ということです。
とにかく、
人間の関心事の最大は「人間関係」である。
というよりも、人間の関心事は人間関係しか無いのです。
他人と自分を比べたり、他人からどのように思われてるか気になってしょうがないのです。
そして、重要なことは、どんな悪人でも善人でも、社長でも乞食でも、
だれでも、人間は、人間関係の中でしか幸せを感じることが出来ないのです。
だから誰でも人間関係で悩むのです。
どんなにお金があっても人から嫌われる人生は決して幸せでは無いが、
人から愛される人生なら、お金が無くてもきっと幸せであろう。
誰でもお金とか名誉では無くて、
人を愛し、愛される人生こそ最高の人生だと思われる。
心理学者のアドラーが
「人間のすべての悩みの根元は人間関係の悩みに起因する」と言ってますが
まったくそのとおりで、人間関係に悩まなければ悩みなどまったく無いのです。
それで人間関係に悩まない為には、人間の本質を知らねばならない。
お客さんのクレームも、あの子を何とか落としたい恋愛感情も、
社長の訓辞も総理の政策も何もかもすべてがこの二つが根元である。
従って、リーダーや政治家で必要な資質とは、実は才能や熱意では無くて、
人間を知っていることである。つまり人間通であることです。
なぜなら、リーダーの仕事の定義を
「皆のやる気を高めて勢いを作り出し己の目的を達成すること」と考えるのならば、
人間を知らないリーダーは機能しない。
いくら才能や知能があってもリーダー失格である。
また政治家が人々の幸せを実現しようと社会を動かすにしても、
人間の本質を知らずして理想論を述べても意味が無いのです。
「自尊心」と「嫉妬」の二つの欲求は人間の本質である故に、
決して無くならない欲求であり、例えば、人間の本質が「競争」と「嫉妬」である故に、
平等社会の共産主義など絶対に成立する訳が無いのです。
成立する訳が無いのに、平等という枠に無理矢理はめ込んだ結果、
嫉妬と自尊心が渦になり、悲惨な結果を生み出したのです。
結果を知らずに実施すれば、それは無知の罪ですが、
破綻を知りながら、敢えて実施するのならば悪魔主義である。
ならば、マルクスの共産主義は、悪魔主義と私は考える。
参照:悪魔信仰と他力信仰
重大な結論は、人間の本質を罪悪視することなく、
本質を利用して如何に人類の幸せを実現するのかが大事なのです。
悪魔と天使は似ているのです。
そして人間こそ、悪魔と天使が両方存在する不完全体である。
ゆえに、賢者は悪魔を選択せず、天使を選択する故に賢者なのだ。
つまり、競争心を自尊心、嫉妬を同情心に変質させることが大事なのです。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
長くやると絡まれるというかいちゃもんを言われることが多くなります。
それで悩んで苦情対策本などを読み、
「人間の本質は他人認められたい」と知ると、
「自分(クレーマー)が皆から一目置かれたいからいちゃもん言ってるに違いない」
と考え、謙虚な姿勢で接するようにしますがますますいちゃもんを言われるようになる。
同じように、女性からいちゃもんを言われると
「もっと私を注目して欲しいサインだな」と考えて、優しい言葉をかけると
ますますいちゃもんや苦情を言われるようになります。
何が間違っていたかというと、「いちゃもん」や「苦情」に対し、
「人間の本質は他人認められたい」と考えたからであり、
「人間の本質は生意気なうざい奴を嫌う」というもう一つの面を考慮しなかったからである。
うざいイメージというのは、謙虚な姿勢では拭えないばかりか
ますますうざくなる。うざい系のいちゃもんは謙虚姿勢で助長します。
だから、謙虚姿勢なのに、いちゃもん言われるのならば、
「あんたはうざいんだよ」と思われてると解釈すべきです。
つまり、
人間の本質は、① 競争心(自尊心) と ②嫉妬心 でほとんど説明できる。
あらゆる人間の行動は、この二つが根になって発生している。
競争心とは、自尊心であり、① 評判が良くなりたい。 褒められることをしたい。
② 一目置かれたい。好かれたい。
③ 舐められたくない。大事に扱って欲しい。
④ 弱い者・不幸な者を助けたい。(ボランティア精神)
という欲求がある為、他人と競争せざる得ない衝動であり、
嫉妬心とは、① 出世や栄達した他人に対し、
あいつは調子こいているからやっつけたいと思う心。
② うざいのに自分がうざいことに気づいていない苛立ち。
③ 結婚してるのにモテて遊んでる奴はむかつく。
というような、相手を引きずりおろしたい欲求である。
そして、
社会の現象のほとんどが、
二つの人間の欲望が土台になって成立しているのです。
従って、いわゆるクレームの対処を考える場合、
クレーマーがなぜクレーマーになるかもしくは彼女が彼にいちゃもん腹立つかというと、
① 自分を大切な人だと扱って欲しい
② 期待していたのに自分が裏切られた悲しみ
という競争心と
① 相手が上から目線で偉そうで気に入らない。
② 相手が調子こいて気に入らない。
の嫉妬心の混在で発生したと思われる。
従って、いわゆるクレームの発生理由を
「君は私に自分を認めて欲しいんだね」というように
相手の自尊心だけを考えては解決出来ないし、
「私は悪人なのね」とか「私は馬鹿だからね」いうように
クレームの本質が嫉妬なのに、
相手の嫉妬を知らずに自分を攻撃するとうつ病やトラウマになる。
よって、
クレームには必ず、競争と嫉妬の両方から対処することが重要なのです。
次にイジメについて考えてみましょう。
イジメは学校だけでなく職場でも家庭でもあります。
不倫叩きなんてイジメの境地です。
人の不倫は自分にはまったく関係ないのですけどむちゃ腹立つっていうのが、
実は嫉妬です。道徳で人間性まで否定する事例はほとんど嫉妬です。
それで、イジメの本質というのは、
イジメの対象が異質・迷惑な存在なのに自分が異質・迷惑と気づいていない苛立ちから、相手を引きずり降ろそうとする嫉妬的な行為であると定義できます。
故に、イジメられている者は、「友情行為」とか「自分を認めて欲しいから俺を苛める」と考えてはいけない。
そう考えると解決できないのです。サイコパスも同じです。
しかしながら、現実的にほとんどの場合、
イジメられてる者は「俺って好かれてる?」とか「悪い俺を教育してる?」と
考えていることが多いのが事実らしいです。
これは、家庭内暴力も同じで、母親に虐待された子供は決して母親を憎まないのです。
「自分が悪い子だから母が怒った」と考えるのです。
なぜ憎まないかというと、生活能力の無い子供にとって、絶対的守護者である母親や友人を憎むことは、自分の存在を否定することになるからです。
実は、ひとりぼっちを自覚したくないのが本質です。
それで、イジメられてる者や支配されて隷属されてる者がどうすれば良いかというと、
「自分は邪魔者で嫌われている」と自覚することです。
しかしながら、それだから自分はダメ人間だと思ってはいけないのです。
結論的に、イジメから脱するには、平穏な生活や自分を愛してくれる友人を捨て
ひとりぼっちの荒野を目指すことです。
そんな行為は、人生を否定するような気持ちになるかも知れません。
しかし、その弱さこそ、君が苛められる理由なのです。
だから、
イジメの最良の対処法は、イジメ相手に迎合したりすることなく、
勇気を出して誰にも頼らない自分の軸を模索する一歩を踏み出すことなのです。
つまり、離婚上等、イジメ上等、左遷上等ということです。
とにかく、
人間の関心事の最大は「人間関係」である。
というよりも、人間の関心事は人間関係しか無いのです。
他人と自分を比べたり、他人からどのように思われてるか気になってしょうがないのです。
そして、重要なことは、どんな悪人でも善人でも、社長でも乞食でも、
だれでも、人間は、人間関係の中でしか幸せを感じることが出来ないのです。
だから誰でも人間関係で悩むのです。
どんなにお金があっても人から嫌われる人生は決して幸せでは無いが、
人から愛される人生なら、お金が無くてもきっと幸せであろう。
誰でもお金とか名誉では無くて、
人を愛し、愛される人生こそ最高の人生だと思われる。
心理学者のアドラーが
「人間のすべての悩みの根元は人間関係の悩みに起因する」と言ってますが
まったくそのとおりで、人間関係に悩まなければ悩みなどまったく無いのです。
それで人間関係に悩まない為には、人間の本質を知らねばならない。
お客さんのクレームも、あの子を何とか落としたい恋愛感情も、
社長の訓辞も総理の政策も何もかもすべてがこの二つが根元である。
従って、リーダーや政治家で必要な資質とは、実は才能や熱意では無くて、
人間を知っていることである。つまり人間通であることです。
なぜなら、リーダーの仕事の定義を
「皆のやる気を高めて勢いを作り出し己の目的を達成すること」と考えるのならば、
人間を知らないリーダーは機能しない。
いくら才能や知能があってもリーダー失格である。
また政治家が人々の幸せを実現しようと社会を動かすにしても、
人間の本質を知らずして理想論を述べても意味が無いのです。
「自尊心」と「嫉妬」の二つの欲求は人間の本質である故に、
決して無くならない欲求であり、例えば、人間の本質が「競争」と「嫉妬」である故に、
平等社会の共産主義など絶対に成立する訳が無いのです。
成立する訳が無いのに、平等という枠に無理矢理はめ込んだ結果、
嫉妬と自尊心が渦になり、悲惨な結果を生み出したのです。
結果を知らずに実施すれば、それは無知の罪ですが、
破綻を知りながら、敢えて実施するのならば悪魔主義である。
ならば、マルクスの共産主義は、悪魔主義と私は考える。
参照:悪魔信仰と他力信仰
重大な結論は、人間の本質を罪悪視することなく、
本質を利用して如何に人類の幸せを実現するのかが大事なのです。
悪魔と天使は似ているのです。
そして人間こそ、悪魔と天使が両方存在する不完全体である。
ゆえに、賢者は悪魔を選択せず、天使を選択する故に賢者なのだ。
つまり、競争心を自尊心、嫉妬を同情心に変質させることが大事なのです。
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エイジの部屋
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Eiji
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この記事へのコメント
なんか、私なんかが安易に感想言えないほどですね。
前半と後半ではまったく違う課題になってる気がします。
エイジさん男の方なのに、ひとつのコラムに
一個だけではなくて、多角的なテーマを入れられる人だと思います。
ちょっと考えてからコメントします。
特に共産主義破綻の分析は素晴らしいです。
すごいっすごいっ!凄過ぎるー!いつも凄い記事なのだけど、今夜のは特に!
私の事書いてあるのかと思いました!そうだったんだ…だから私、一生懸命にそして低姿勢にやって色んなとこでうざがられてたんだ~(´-`).。oOと目から鱗でした。
自尊心と嫉妬心…まさにそれが人間ですよね!
独り荒野を歩いて行く…かぁ。自己肯定感ないとなかなか難しいですね!そこがポイントかな。
共通点も多く、とても可愛い彼女とお付き合いしているのが楽しかったです。
でも、徐々に彼女に対して競争心の様なものが起こって仕舞いました。
そして、私の彼が彼女の事を非常に褒めた時に、心の中で色々大事にしていたはずの物が壊れて仕舞って・・・・。ライバルの様に感じ嫉んでしまった心。上手く転換出来れば、今も仲良しでいられたのでしょうね。思い出しては,恥ずかしい気持ちになります。
「認められたい」「仲間であって欲しい」の両方ですね。
日本のリーダーは難しいですね。
徹底した上下間関係が根底にある欧米式の方がうまくいくのかも。
リーダーという役割を自分も支える、という気が無い人たちは
少し仕事でも振るほか、無いかもしれませんね。。。。
女性で自分のことをすぐに比べることをする人って
扱うのが大変です。
若いときは、そういう競争心で伸びていくこともあるので
その良さもあるんですが、いい年をして、となると大変、、。
自分が自分のことを認めてないと、
あんなことになるのかな、って思える。
自分で自分を認める、自尊心が大事なんだろうなあ。
あ、これもエイジさんが日頃から、伝えている内容ですね。
何か、自信が持てるものを持ってないと、
生きていくのはどうも大変なようです。
自分が成長している、と常に確認できるもの、
が必要ということなのかな?
嫉妬心と自尊心
すごくシンプルなんですねっ!
私は距離感を大切にしてます。
自分がモヤモヤ感じたらちょっと離れてみる。
自分のテリトリーを意識してみる。
私の場合は自分の世界観が独特だと自覚があるので身近で嫉妬心感じる事は少なそうです。
自尊心かぁ~、こんな変わり者の私でオッケーって思ってます(^o^)v変わり者上等‼
友人やパートナーの愚痴を言う人とは距離おくようにしてますね~。
結局、相手が代わっても言う人は言うんじゃないかなぁと思っちゃうから。
せっかくのご縁は大切にしたいです!
本格的に新人を任されるんですが、
新人は本当にやる気もないし、
仕事も新しい言語も覚えようともしないように見えるんです。
だから、いっぱいサポートしてたんですけど、
たぶん彼女達にしたらうざかったと思います。
新人って、下に人がいないじゃないですか。
だから、性格的に、しきり屋さんだとつらいんですね。
だから、2年目で、下の子が入ってきたとたんに、
仕事ができる女になりました。
もう一人の子は、プロジェクトを任されて、
外部との打ち合わせとかしなきゃならなくなったとたん、
バリバリのSEになりました。
早く言ってよ~ってかんじでした。
自分でも読み返す必要ありますw>未都さん
共産主義の致命傷は私の説明ですべてだと自負してますw>竹中さん
ありがとうございます。うれしいです>こyさん
嫉妬はむつかしいけれども絶対に考慮すべきですよ>Janeさん
男の場合は、就職先、大学、奥さんの外見 でリアルに嫉妬です>pinokoさん
男と女は違いますけど、
自尊心と嫉妬に関しては同じだと思われます>カコさん
距離感は大事ですね。
ジゴロの話をしましょうか?
責められても否定せず
ただ争いからは身をかわすのがジゴロの作法>ノスタルジアさん
SEの女性って美人が多いですよね。
私の知り合いは美人が多いです。って好みの問題かも知れませんけどね>未都さん
人間関係の問題も、社会の問題についても原因は、
「誰かを苦しめても(犠牲にしても)」自分が「操作」したいという歪んだ利己心である「支配欲求」と「操作欲求」ではないでしょうか。
そして、そういう方々は心の奥底に潜む、上記の欲求(我欲)に向かい合えないのでしょうね。
「上か下か」「優か劣か」「勝か負か」「富か貧か」など二元論によって自身をまるで全能者か優れた権威者として、比較(競争)意識で物事を考えるのを好むようです。
社会問題もいじめなども、「共感力」や「尊厳」「人間性」が欠如した脳を持つ方々によって起こるのではないでしょうか。(いじめ加害者は、反社会的人格障害になるリスクがそうでない者の4倍との調査があるそうです)
歪んだ心の奥の本心(欲望)を周囲に巧み隠し、それを肯定するよう周囲を巻き込んでいく悪質な(特定な思考を持つ)方々に巣食っている権威欲と支配欲によって社会問題も人間関係の問題も起こっています。