人間を樹に例えるならば

「人間を樹に例えるならば、真ん中の幹は徳であり、
知識や技能は枝葉である」

と説いたのは安岡正篤である。

この話は、非常に感慨深く、一読すると、
「技能や知識は、徳が大きければ自ずと大きくなる」と考えがちであるが
実際の植物観察の結果はそういう意味にはならない。

というのは、実は私は挿し木をするのです。
樹を育てるのが好きなのですが、
植えて解ったのは、
枝葉が無いと幹が枯れる
ってことであります。

私は最初、「根や幹が太いと、枝葉が繁る」と考えていましたが、
そうでは無く、実は逆で、植物は、枝葉があるから・・つまり上に伸びる意志があるから幹や根が育つのです。

実際に、枝葉を全部取ってしまって幹だけにすると一気に枯れます。
しかしながら、葉が一枚でもあると、幹はなかなか枯れません。

よって、僭越ながら、安岡先生の言葉に付け足すと、

「人間を樹に例えるならば、真ん中の幹は徳であり、
知識や技能は枝葉である。
幹は枝葉が無いと枯れてしまう。
樹も人間も大事なのは、生長する意志である。」

が真理なのだ。

つまり、成功を樹に例えるのならば、真ん中の幹は徳であり、
「引き寄せ法則」やら「新月の魔術」は枝葉である。

引き寄せや新月魔術を成功させたかったら、徳を高めることが必至なのだ。

しかしながら、枝葉が伸びないと、幹が枯れる。
「引き寄せなんて愚かなことをやってるより、徳を積みなさい!」は正しくないのです。

つまり、願望を燃やしながら、「引き寄せの法則」や「復縁のおまじない」を行いながら、
徳を積み続けることが大事なのだ。

徳は目標達成のエネルギーを産み出しますが、
エネルギーは、目標が無いと湧き出てこないのである。

もちろん、目標や願望があっても徳を積まないとダメなのです。
しかしながら、どっちが重要か?というと、間違いなく、願望 である。

引き寄せやポジティブシンキングや中村天風の言葉を唱えているが、
なかなか運命が開かないというのは、徳が無いからである。
また、日々鍛錬してるのに、運命が開かないというのいは、願望が無いからである。


それで、徳とは何か?というと、
「義・礼・智・忠・信・孝・悌」を行う事
であります。

「徳」とは、優しさや気品といった人間本来の良き精神を示すものではなく、
まして、慈悲心や礼儀正しいということでは在りません。

天分が社会的経験や道徳的訓練によって後天的に獲得するものであり、
誰でも経験や教育によって善き人間の特質となりえる後天的な精神である。


基本的に「徳」とは、
「報酬を考えず良いことをする」→「後で良いことがある」では無く、
「自己鍛錬の為に報酬を考えず良いことをする」という姿勢である。


報酬を考えず良い行いをするという考えでは「徳」が身に付かないのです。

自己鍛錬の為に良い行いをするという考えだと「徳」が付くのです。

そして、徳のある者が「引き寄せ」や「魔術」を行えば、必ず効果があるということです。

しかしながら、徳がある者でも、
具体的に「引き寄せ」や「魔術」などの「目標達成」の行動をしなければ、
徳の持ち腐れになって、なんの成果も出ないということです。


参照:陰徳を積むとは何か?


twitterはこちら。
エイジの部屋


mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。

この記事へのコメント

sana
2016年01月12日 22:54
エイジさん、こんばんは!

今日も良いお話ありがとうございます。

>報酬を考えず良い行いをするという考えでは「徳」が身に付かないのです。

>自己鍛錬の為に良い行いをするという考えだと「徳」が付くのです。
の違いがよく分からないのですが、後でよい事が起こるだろうと言う考えが駄目、と言う意味なんでしょうか?
報酬を考えず良い行いをすると言うのは、一見すると見返りを求めずに良い行いとするという意味に解釈したのですが、違うのでしょうか・・
2016年01月12日 23:16
「陰徳に陽報あり」と言いまして、陰徳しか良い結果にならないという話があります。で。陰徳って何?ってことですが、「人知れず行うこと」だと言われますが、「人知れず行う→いいことがある!」だと嘘になるからダメなのです。では!どうすれば!?ということで、陰徳とは何かという私の過去の記事を読んで下さい>sanaさん
Jane
2016年01月12日 23:30
陰徳あれば陽報あり…エイジさん、こんばんは☆

そりゃあそうですよね、陽報の為に陰徳積みます、じゃあ取り引きですものね。

人間未熟だからどうしても結果を気にしてしまいがちですが(´Д` )

自己鍛錬の為に役立たせて頂きたい、そして自分の願望を叶えたい!でいいですか?

あ、それから最近目にしてしまいました…>_<…近隣の豪邸から夜中に不法投棄しに出て来た住民の方を。富豪だからモラルがあるとは限らない、モラルの無い富豪は続かない?ですか?
ナナ氏
2016年01月13日 14:07
では本当に徳を積んでる人というのは、他人からは分かりにくいものですね。
一見ただのちゃらんぽらんにも見える可能性がある(笑)
ごまあざらし
2016年01月13日 14:11
更新ありがとうございます。

考えてみると、人の見ていない所で良い行動をする時、今までは後々良いことがあるだろうと思いつつ動くことが多かった気がします。
エイジさんのアドバイスを参考に自己鍛錬という意識になるよう心がけたいと思います。

それにしても2016年は芸能界を見ていましてもかなり大きな変化がありそうなので、気を引き締めていきたいです。
ららあ
2016年01月13日 17:37
エイジさん今年もよろしくお願いします( ´ ▽ ` )ノ

いつもながら、切れ味鋭い説法ありがとうございます。
とても分かりやすいですよ。
エイジさんは前世、辻説法していた徳の高い清貧なお坊さまだったかもしれません
ね。 なんだかそんなイメージがいつもわくんですよ。不思議です。
木綿
2016年01月13日 19:55
先日TVで見た田中泯さんのお話を思い出しました。

田中さんは踊りだけでは生活出来なかった時期にアルバイトをされたそうですが、
『踊り』のためになるアルバイト(重労働ばかり)を選んだそうです。
それがいわゆる良い事なのかどうか、判断は人それぞれだと思いますが、
私には田中さんの天職である『踊り』のための良い事=重労働のアルバイト・のような気もしています。

2016年もエイジさんの記事を楽しみに拝読します。
新たな1年間、どうぞよろしくお願いします。
カコ
2016年01月13日 20:27
エイジさん、こんばんは~。

徳だけ、、、、で存在するのは難しいでしょうね、確かに。
その徳が徳であり続けるには、他のことをすることによってですものね。
自分が自分とわかるのは、他者との接触であるかのごとく。

何かをすることで(それが徳に値するなら)徳が成長を続け、
さらに他の部分もより拡大していくのでしょう。
枝葉は栄養として徳を拡大するもの、徳のためにあるけれど、
徳が枝葉をさらに成長させる、という相互作用で成り立つのですね。

エイジさんが大乗仏教派なのも、同様のことなんでしょうね。
エネルギーの循環、ダイナミックな存在、、、、
エイジさんには、力強さを感じます。
由良
2016年01月13日 21:21
明けましておめでとうございます。
今年も宜しくお願いします。


情けは人の為ならず、がその徳を積む事で大事な精神なのだと解釈しました。
2016年01月21日 20:49
自己鍛錬の為に役立たせて頂きたい、そして自分の願望を叶えたい!
で良いと思います>Janeさん

2016年は申年なのでド派手な一年ですね>ごまあざらしさん。

きっと、清貧では無かったと思います(汗)>ららあさん。

なるほど。踊りがミッションなんでしょうね。>木綿さん

なるほど。徳は孤では無いといいますがそういう意味で
弧では無いのですね。>カコさん

情けは人の為ならず・・・まさにそのとおりですよ>由良さん
慎太郎
2016年01月22日 19:09
エイジさんこんばんは
やはりそうですか、閃きですか。修行とかされたのでしょうか。
今回の徳積みの話なるほどと思いました。
義・礼・智・忠・信・孝・悌を自己鍛錬のために人知れず行う。
自己鍛錬のために行うと言う事で代償を求めていないと言う事でしょうね。
仏教で貧者の七施と言いますがこれは徳積にならないのでしょうか。
慎太郎
2016年01月31日 19:46
エイジさんこんばんは
先日貧者の七施と書いたのですが、無財の七施の間違いでした。
眼施、和眼施、愛語施、身施、心施、床座施、房舎施です。
お金をかけずに世間を和ませることができるので、実践しようと心がけているのですが、なにせ未熟者、世間を波立たせるようなことをしてしまいます。
自己鍛錬を続けるしかないですね。
2016年02月04日 23:05
当然、七施も菩薩の行ですから功徳になります。

この記事へのトラックバック

プロフィール

QRコード