感情は別の感情でコントロールされる(恐怖と怒りの関係)
私が学生の時の話です。
実習で帰宅が深夜になる日が続きました。
ある日、実家で用事があるので高速道路で家まで帰ろうと思いました。
高速道路で私は快調に飛ばしていました。
それで、前にトラックが居たので、追い越しました。
ところがその前にもトラックが居たので、私はトラックとトラックの間に挟まれる格好になったのです。
後ろのトラックがぴったりと私の後ろに付いて来ました。
ライトがやたら眩しかった記憶があります。
ところが、このトラックは、
どこまでも追い越さずにぴったりと後方に付いて来るのです。
その時、私は疲れていたのが原因なのか判りませんが、
唐突に「恐怖」を感じたのです。
どんな恐怖かというと、「逃げられない恐怖」です。
追いかけられる恐怖かも知れませんね。
とにかく恐怖を感じたのです。
その後、この経験がトラウマになって、私は高速道路が苦手になってしまったのです。
しかしながら、ある日、まったく高速道路で恐怖を感じないことがあったのです。
不思議に思い何故だろうと考えると、私は「怒っていた」ことが原因であると判りました。
その経験から、
「恐怖を感じた時は、怒れば恐怖を感じない」
という仮説を立てたのであります。
ちなみに、私は高所恐怖症でもあります。
昔、長島スパーランドの観覧車に乗って「恐怖」を感じたので、観覧車は苦手になったのですが、
つい最近、なぜか観覧車に乗る機会があって、心が震えました。
なんとか「恐怖」から逃げだそうと思いました。
そこで「恐怖を感じた時は、怒れば恐怖を感じない」という学習経験を思い出し、
「腹が立つこと」を思い出してみたのです。
すると、不思議にも、あんなに怖かった高所が怖くなくなったのであります。
なぜ、恐怖には怒りが効くか?を調べたら、
精神医学に興味深い説明があり、それによると、個人差はあるが、
人間は誰しも長時間の恐怖には耐えられないそうで、
恐怖には、「逃げる」が大脳の第一選択だそうです。
しかしながら、もし、置かれた状況が逃げられない状態だと、
恐怖によって精神がボロボロに疲弊し、パニック障害のような精神障害を引き起こすそうである。
(※高速道路や観覧車が該当する。)
もし、逃げられない状態が継続すると、精神障害を発症する故に、
それを阻止する為に、大脳は「怒り」の感情を出そうとするらしい。
なぜ怒りによって、精神障害が阻止できるかというと、「怒り」→「攻撃」に代わるからだそうです。
ここで大事なことは、恐怖→攻撃にはならないことです。
恐怖を感じたとき、無理矢理の「反撃だぁ~!」では心が折れてしまうのであります。
同じく、エロいことを考えてもダメです。
つまり、
「恐怖を感じた時は、怒れば恐怖を感じない」
という私の仮説は正しかった訳である。
しかしながら、この方法には厄介な問題もあって、
それは「怒りがますます助長して止まらない」ということである。
刹那の恐怖は感じなくても、いつまでも「ムカつく」状態が収まらないのである。
そんな場合どうすればいいのか?
そんな設問にも精神医学には答えがあり、怒りの感情を癒すには、
① 他者への攻撃(スケープゴード)
② 他者から共感されること
が有効であると説明がありました。
個人的に、スケープゴードは好きじゃないのですが、
確かに、ムカつくと「ムカついたけどさ~」と友人に話して、
「そりゃヒドイわ!」と共感されると、スッキリしますね。
黙ってるとモヤモヤが無くならない。
精神医学上で、一番ダメな対処とは、怒りの対象を正当化することらしい。
「あいつの言ってる事は正しいから罵声を浴びせられても当然である」が一番いけない。
押し殺された怒りは、消えずに、潜在意識入り込み、人格障害になるそうである。
精神医学においては、怒りに対する最善の対処法は、「攻撃・発散」なのである。
素晴らしく単純で明快である。
しかしながら、宗教解釈、特に仏教では違うようで、
仏教では、人間界はそもそも「忍辱」の世界であり、
どんな聖者でも仏でも人間界では、
「侮辱され馬鹿にされるのを耐えなければならぬ」そうである。
それに堪え忍ぶことこそ最高の功徳であると説きます。
堪え忍ぶ、その方法とは
① 仏や聖者でも侮辱されるのだから自分なら当然であると考えて耐える。
② もっと悲惨な状態では無く、小難で済んだことを感謝する。
という方法です。
仏教は、いつも比較して安心するという方法論を好むようであるが、
スケープゴードの一種と思われる。
経験的に、仏教の方法も、かなり有効だと思います。
さて、
精神医学と仏教では対処方法に差がありますが、両方とも現象を変える訳ではありません。
両方とも、現象に対する感情のベクトルを他の感情によって変えることが重要だと説いていると思われます。
人の感情は、基本的に「喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖」の7種類あると言われます。
感情は波動であるので、食べ合わせや色のように、
他の感情との組み合わせによって違う感情が生成され、
且つ感情同士が色を混ぜるようにコントロールされるというように私は思っています。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
実習で帰宅が深夜になる日が続きました。
ある日、実家で用事があるので高速道路で家まで帰ろうと思いました。
高速道路で私は快調に飛ばしていました。
それで、前にトラックが居たので、追い越しました。
ところがその前にもトラックが居たので、私はトラックとトラックの間に挟まれる格好になったのです。
後ろのトラックがぴったりと私の後ろに付いて来ました。
ライトがやたら眩しかった記憶があります。
ところが、このトラックは、
どこまでも追い越さずにぴったりと後方に付いて来るのです。
その時、私は疲れていたのが原因なのか判りませんが、
唐突に「恐怖」を感じたのです。
どんな恐怖かというと、「逃げられない恐怖」です。
追いかけられる恐怖かも知れませんね。
とにかく恐怖を感じたのです。
その後、この経験がトラウマになって、私は高速道路が苦手になってしまったのです。
しかしながら、ある日、まったく高速道路で恐怖を感じないことがあったのです。
不思議に思い何故だろうと考えると、私は「怒っていた」ことが原因であると判りました。
その経験から、
「恐怖を感じた時は、怒れば恐怖を感じない」
という仮説を立てたのであります。
ちなみに、私は高所恐怖症でもあります。
昔、長島スパーランドの観覧車に乗って「恐怖」を感じたので、観覧車は苦手になったのですが、
つい最近、なぜか観覧車に乗る機会があって、心が震えました。
なんとか「恐怖」から逃げだそうと思いました。
そこで「恐怖を感じた時は、怒れば恐怖を感じない」という学習経験を思い出し、
「腹が立つこと」を思い出してみたのです。
すると、不思議にも、あんなに怖かった高所が怖くなくなったのであります。
なぜ、恐怖には怒りが効くか?を調べたら、
精神医学に興味深い説明があり、それによると、個人差はあるが、
人間は誰しも長時間の恐怖には耐えられないそうで、
恐怖には、「逃げる」が大脳の第一選択だそうです。
しかしながら、もし、置かれた状況が逃げられない状態だと、
恐怖によって精神がボロボロに疲弊し、パニック障害のような精神障害を引き起こすそうである。
(※高速道路や観覧車が該当する。)
もし、逃げられない状態が継続すると、精神障害を発症する故に、
それを阻止する為に、大脳は「怒り」の感情を出そうとするらしい。
なぜ怒りによって、精神障害が阻止できるかというと、「怒り」→「攻撃」に代わるからだそうです。
ここで大事なことは、恐怖→攻撃にはならないことです。
恐怖を感じたとき、無理矢理の「反撃だぁ~!」では心が折れてしまうのであります。
同じく、エロいことを考えてもダメです。
つまり、
「恐怖を感じた時は、怒れば恐怖を感じない」
という私の仮説は正しかった訳である。
しかしながら、この方法には厄介な問題もあって、
それは「怒りがますます助長して止まらない」ということである。
刹那の恐怖は感じなくても、いつまでも「ムカつく」状態が収まらないのである。
そんな場合どうすればいいのか?
そんな設問にも精神医学には答えがあり、怒りの感情を癒すには、
① 他者への攻撃(スケープゴード)
② 他者から共感されること
が有効であると説明がありました。
個人的に、スケープゴードは好きじゃないのですが、
確かに、ムカつくと「ムカついたけどさ~」と友人に話して、
「そりゃヒドイわ!」と共感されると、スッキリしますね。
黙ってるとモヤモヤが無くならない。
精神医学上で、一番ダメな対処とは、怒りの対象を正当化することらしい。
「あいつの言ってる事は正しいから罵声を浴びせられても当然である」が一番いけない。
押し殺された怒りは、消えずに、潜在意識入り込み、人格障害になるそうである。
精神医学においては、怒りに対する最善の対処法は、「攻撃・発散」なのである。
素晴らしく単純で明快である。
しかしながら、宗教解釈、特に仏教では違うようで、
仏教では、人間界はそもそも「忍辱」の世界であり、
どんな聖者でも仏でも人間界では、
「侮辱され馬鹿にされるのを耐えなければならぬ」そうである。
それに堪え忍ぶことこそ最高の功徳であると説きます。
堪え忍ぶ、その方法とは
① 仏や聖者でも侮辱されるのだから自分なら当然であると考えて耐える。
② もっと悲惨な状態では無く、小難で済んだことを感謝する。
という方法です。
仏教は、いつも比較して安心するという方法論を好むようであるが、
スケープゴードの一種と思われる。
経験的に、仏教の方法も、かなり有効だと思います。
さて、
精神医学と仏教では対処方法に差がありますが、両方とも現象を変える訳ではありません。
両方とも、現象に対する感情のベクトルを他の感情によって変えることが重要だと説いていると思われます。
人の感情は、基本的に「喜び、悲しみ、怒り、諦め、驚き、嫌悪、恐怖」の7種類あると言われます。
感情は波動であるので、食べ合わせや色のように、
他の感情との組み合わせによって違う感情が生成され、
且つ感情同士が色を混ぜるようにコントロールされるというように私は思っています。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
この記事へのコメント
これを心がけようと思います。
②は普段思うこともありますが、①を知って勇気が出ました。
それと同時に、自分が単純な人間で良かったと思います。
潜在意識に作用してしまう怒り、厄介なものです。
仏教の対処法の方が自分には合ってそうですが、これも悲壮感があるといけないのでしょうね。
以前、悪感情は五秒以内に消す事が大事とおっしゃっていましたが恐怖もそうできたら最高ですね。
それに堪え忍ぶことこそ最高の功徳であると説きます。
↑
領土拡大のためなら手段を選ばない隣国と隣国人が喜びそうだ。
仏像を盗まれても、油をかけられても耐え忍べよと?
俺には出来ない!
他人と目を合わせて話すのが怖いという相談に対して、
「相手を棒などでボコボコにするイメージを想像しながらだと怖くない」
と回答してるのを読んで、妙に納得した覚えがあります(笑)
相反する感情で打ち消すのは有効ですね。
確かに恐怖感は弱々しい感じが。怒りは戦う姿勢ですもんね。吠える犬ほど弱い(怖がっている)んですけどね(^-^;
うちの旦那はよく不機嫌になって険しい顔をしたり言葉で攻撃したりしますが、何を怖がってるんですかね(*_*;
と言っています。荒行をする高僧よりも、忍辱する一般人の方が徳を積んでいるということです。>木綿さん
今回は恐怖を打ち消す方法で怒りを使う方法を書いたのですが、
恐怖は5秒ルールでは消えないみたいです>ごまあざらしさん
それはまさに脳の自己防衛です>六条さん
できないでしょ?普通は誰もできないのです。
だから最高の功徳なのかも知れませんね>反九条さん
そりゃいいね!>ナナ氏さん
ジェットコースターは叫ぶと怖くないですね。確かに。
男は叫べないのですw>pinokoさん
旦那さんは何か後ろめたいことがあるのかも?>Janeさん
確かに、恐怖が怒りによって消えてしまうということ、聞いたことがあります。ホントに強いパワーですよね。
立ち上がることすら介助が必要だった義父が、しつこいセールスに怒って
玄関先まで飛び出して来たと聞いて、びっくりしたこと思い出しました。
怒りって、出しようによっては、いろいろ害があったりします。身体にも。
小さいことで怒らないようにしたいなあと思ってる私。
今回のブログで、怒りを消す為には→恐怖。
崖から落ちそうとか、虫が服の中に…って。
徳を積みます。
ドイツ、日本は耐える国ですね。
更新ありがとうございます。
>精神医学上で、一番ダメな対処とは、怒りの対象を正当化することらしい。
>「あいつの言ってる事は正しいから罵声を浴びせられても当然である」が一番いけない。
>押し殺された怒りは、消えずに、潜在意識入り込み、人格障害になるそうである。
私は、相手の怒りに納得する癖があったので↑に驚きました。
余談ですけど
私は腰痛を改善しようと、身体のゆがみを治しているのですけど
(本に書いている体操をして治す自己流)
どうも右股関節に問題があった様で、その本に書かれていたのが
右股関節(肝臓系)には怒りが、右股関節(心臓系)には
悲しみが蓄積するらしく、当たっていたんだ!と驚いています。
すごいパワーですね>ゆみこさん
徳は特に重要ですよね>六条さん
いつも怒ってる人は欲求不満がもっとも大きな原因>あゆみさん
怒りは潜在意識に入り込みますので
発散するのが大事です。日本人に鬱が多い訳は
怒りの蓄積あ最大の理由です>なおさん
こちらの記事を読ませていただいて、ふと、鳥山明氏のドラゴンボールで悟空や悟飯が怒りによりスーパーサイア人としてより強くなってたシーンがあったことを思い出しました。
人に対して激しい怒りを持つと生き霊をとばしてしまいますが、怒りから生まれるパワーを良い方向に使うことはできないものでしょうか?