悪魔論2:悪魔信仰と他力信仰
前回、ルシファーが悪魔になった理由は、
神が天使よりも人間が優れているように創造したことに嫉妬した為
であると説明しましたが、どのように人間が天使よりも優れているのか具体的に説明しましょう。
参照:■悪魔論
根本の理由とは、人間のみに「他力成仏」があることです。
いきなりなぜ天使なのに成仏?と思われるかも知れませんが
キリスト教も仏教も錬金術もカバラにおいても、
信ずる神は違うけれども救済理論は「他力」であるということに、
私は、「他力成仏」こそ本当の救済原理だと思うのです。
他力救済の原理こそ「真理」である。実は、自力で救われることは無いのです。
自力が救われるとすれば、自力が極まって他力と出会うからでありましょう。
「他力成仏」とは何かというと、
人間が「他力」と遭遇すると、一気に「仏・神」の住む世界に生まれ変われることです。
修行も神通力も関係無しに、仏と同じ世界に行けるのです。
渋柿に甘柿を接ぎ木すると、渋柿が甘柿に一瞬で変わるように、
また、水が沸点に達すると気体に一瞬に変わるように、
若しくは、鉄がエリクシールで金に変わる錬金術のように、
他力による救済は一瞬です。
キリスト教では、「悔い改めてイエスに帰依すれば誰でも天国にいける」し
仏教では、「阿弥陀に帰依すれば誰でも浄土にいける」のである。
日蓮宗や日蓮系の信者の一部は、日蓮が「念仏=無間地獄」と言った為に、
念仏は悪と考えているようでありますが、
実は、日蓮が「南無妙法蓮華経と唱えれば浄土にいける」というのは、
阿弥陀浄土の事であると、サンスクリット語の「法華経」の原書には書いてあります。
そんなことを書くと、日蓮は嘘を言ったのか?と思われるかも知れませんが
日蓮は嘘を言っていません。では私が嘘を言ってるのかというと、私も嘘を言っていません。
実は、「浄土三部経」も「法華経」も同じ人物が翻訳したのです。
その人物は、クマラジュなのですがなぜ彼は法華経に阿弥陀浄土を書かなかったのかと言うと、
敢えて書かなかったのです。
なぜなら、「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」とどっちなの?
どっちが効果あるの?と思われるでしょう。
答えをいうと、どっちも同じなのです。
残念ながら、実はどっちも本当の救済の真言では無いからです。
では、本当の救済の真言とは何かというと、法華経に書いてあるのです。
法華経に、釈迦は菩提樹の下で悟りを開いたのでなくて、
「南無妙法蓮華経」と唱えたから悟りを開いたのでもなくて、
「南無妙蓮法華経」を聞いたから悟りを開いたとあります。
真言宗でも、釈迦は菩提樹の下で悟りを開いたので無くて、
「大日如来の秘密の教え」を聞いたから悟りを開いたとあります。
菩提樹の下で悟りを開いた(と勘違いした)釈迦は本当の悟りを得ていなかったので
大日如来が熊に姿を変えて釈迦に説法したという話が書かれています。
法華経と真言密教は、釈迦は菩提樹の下で成仏出来なかった点が同じであり、
「何かを聞いて成仏した」ことが同じです。
つまり、どちらも、釈迦は自力や知識の悟りで成仏したのではなく、
まして、自力で「真言」を唱えることで成仏したのでは無い。
「他力」によって成仏したということを言ってるのです。
しかも一瞬に成仏したということです。
つまり「南無妙法蓮華経」とは「他力のシンボル」を示しているに過ぎないのです。
他にも、密教には、金剛菩薩という菩薩がいますが、彼は帝釈天の眷属では無く、
夜叉でありながら、大日如来の教えを聞いた為に、一瞬に釈迦を飛び越して二番手の地位まで上がった。
法華経でも悪魔のダイバダッタが「法華経」を聞いて一瞬に成仏したと書かれています。
この不可思議な話は、成仏は他力でしか出来ないことを示しているのです。
仏教では、十界で境涯のレベルを分類します。
最高位 仏
二番位 菩薩
三番位 縁覚
四番位 声聞
五番位 天上
六番位 人間
七番位 修羅
八番位 畜生
九番位 餓鬼
十番位 地獄
輪廻というのは、縁覚から地獄までを彷徨うことを言います。
菩薩以上は、輪廻から解脱しています。
階級を自力の修行で1段上がるには、大変な修行が必要になります。
法華経には、何十回かの転生を経て、苦行してやっと1段上がれると書いてあります。
しかも、成仏するには、海の中に沈んだ針の穴に糸を通すよりも難しいと書いてある始末。
人間が自力の修行で天上界や声聞界に上がるには、
日蓮や親鸞や法然が言うように、「自力では絶対に無理」なのです。
インドでは、悟りを求めて、一生片足で過ごしたり、座り続ける苦行をする者がありますが
苦行僧や高僧であっても、声聞界に行ける者は極めて少数で、逆に神通力や知識故に高慢に落ちて、
ほとんどは天狗界とか龍界に転生します。
さて、この実情を神は哀れみ、人間界のみに「即身成仏」の機会を作りました。
つまり、人間界で「他力」に遭遇すれば、誰でも4段飛びで「仏」になれるようにしたのです。
つまり、天狗や龍も力が人間の数十倍でありますが、
人間に生まれ、他力に遭遇しないと成仏出来ないのである。
「イエスに帰依してアーメンを唱える」とか「南無妙法蓮華経」とか「南無阿弥陀仏」を唱えれば、
成仏する縁を得られるといったのは、真実を説いているのです。
この恩恵は人間界のみで、人間のみが、一気に天上・声聞・縁覚・菩薩を超えて仏になってしまうのです。
逆に、天上・声聞・縁覚でも人間に生まれないと、成仏出来ないのです。
このシステムに大天使達は怒ったのである。
人間よりも神に近い天使が、人間に生まれないと「他力」に遭遇できないというシステムに天使は怒った。
神は戒律を守れば、天国に生まれるのでは無く、
「他力」にすがらなければ、救われ無いと説いたのです。
さて、悪魔は人間だけに与えられた他力救済という神の計画を阻止する為に、
人間から「信仰」を無くすようにします。理由は、嫉妬ですが、根本は「人間に対する憎しみ」である。
悪魔信仰とは何かというと、悪魔を神のように崇める宗教ではありません。
本当の悪魔信仰は信仰という形が無いのです。ゆえに非常に巧妙です。
本当の悪魔の特徴は、「生命や成長」よりも「知識や理論」を重要視しますので、
「科学的」とか「自由・平等」という「正論」を語ります。
けっして、スピリチュアルな話はしません。どちらかと言うと、
スピリチュアルは迷信であるという立場を取ります。
科学的なことや先進的なことが正しいという立場を取ります。
一例として、「共産主義」は、悪魔信仰であります。
共産主義は、自由・平等・博愛をテーマにしますが、
共産主義の底に流れるのは、「人間愛」では無く、「人間嫌い」であることを見抜く必要があります。
共産主義は、神の働きを非難し嘲笑する宗教で、この宗教が蔓延すれば
宗教、家族、権威、伝統、愛国心、親子関係、男女の関係を徐々に破壊します。
そして最期には、神と人間の繋がりを決定的に分断するのが目的なのです。
そもそも、平等とか公平のプロパガンダは非常に美しい響きを持つ悪魔のワナと知る必要があります。
自然界に平等も公平もないのです。大きくなる草もあれば、あまり大きくならない草もある。
種が目一杯大きくなれることこそ、公平であり平等であって、大きさは決めることが出来ないのである。
それを無理矢理形に嵌めて、従わない者を抹殺するのが共産主義でいう「平等」なのです。
共産主義が原因で殺された人間の数は最低でも1億人を超えているそうです。
確かに、歴史上人類は戦争で多くの犠牲者を出しましたが、戦争とは、他民族との利害戦争である。
戦争によって、家族愛や同胞愛が無くなることは在りません。
しかしながら、共産主義による死者の大部分は自国の国民、同じコミュニティの隣人であり、家族なのです。
この事実から、非人道性や残虐性においては群を抜いていると言わざるを得ない。
つまり、唯物的思想が極論まで発達させた共産主義によって、人間を残酷に出来るのである。
共産主義は、人類史上、最も危険で、もっとも成功した悪魔信仰である。
この嘘みたいな話は、悪魔が存在するのが真実ならば、この話も真実であります。
なぜなら、ルシファーが悪魔になった理由は、人間にのみ「他力成仏」が与えれ、
天使には与えれなかったことに不満を抱いた為であるからである。
即ち、悪魔の存在を信ずることは、他力による救済が真実であることを信ずることに他ならないのです。
そして、もっとも根本的な問題は、他力がどこに存在し、私達が如何に他力に遭遇するかが大事なのですが、
先の悪魔論で考察しましたように、恐らく他力が存在する場所が日本であると私は思います。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
、
神が天使よりも人間が優れているように創造したことに嫉妬した為
であると説明しましたが、どのように人間が天使よりも優れているのか具体的に説明しましょう。
参照:■悪魔論
根本の理由とは、人間のみに「他力成仏」があることです。
いきなりなぜ天使なのに成仏?と思われるかも知れませんが
キリスト教も仏教も錬金術もカバラにおいても、
信ずる神は違うけれども救済理論は「他力」であるということに、
私は、「他力成仏」こそ本当の救済原理だと思うのです。
他力救済の原理こそ「真理」である。実は、自力で救われることは無いのです。
自力が救われるとすれば、自力が極まって他力と出会うからでありましょう。
「他力成仏」とは何かというと、
人間が「他力」と遭遇すると、一気に「仏・神」の住む世界に生まれ変われることです。
修行も神通力も関係無しに、仏と同じ世界に行けるのです。
渋柿に甘柿を接ぎ木すると、渋柿が甘柿に一瞬で変わるように、
また、水が沸点に達すると気体に一瞬に変わるように、
若しくは、鉄がエリクシールで金に変わる錬金術のように、
他力による救済は一瞬です。
キリスト教では、「悔い改めてイエスに帰依すれば誰でも天国にいける」し
仏教では、「阿弥陀に帰依すれば誰でも浄土にいける」のである。
日蓮宗や日蓮系の信者の一部は、日蓮が「念仏=無間地獄」と言った為に、
念仏は悪と考えているようでありますが、
実は、日蓮が「南無妙法蓮華経と唱えれば浄土にいける」というのは、
阿弥陀浄土の事であると、サンスクリット語の「法華経」の原書には書いてあります。
そんなことを書くと、日蓮は嘘を言ったのか?と思われるかも知れませんが
日蓮は嘘を言っていません。では私が嘘を言ってるのかというと、私も嘘を言っていません。
実は、「浄土三部経」も「法華経」も同じ人物が翻訳したのです。
その人物は、クマラジュなのですがなぜ彼は法華経に阿弥陀浄土を書かなかったのかと言うと、
敢えて書かなかったのです。
なぜなら、「南無阿弥陀仏」と「南無妙法蓮華経」とどっちなの?
どっちが効果あるの?と思われるでしょう。
答えをいうと、どっちも同じなのです。
残念ながら、実はどっちも本当の救済の真言では無いからです。
では、本当の救済の真言とは何かというと、法華経に書いてあるのです。
法華経に、釈迦は菩提樹の下で悟りを開いたのでなくて、
「南無妙法蓮華経」と唱えたから悟りを開いたのでもなくて、
「南無妙蓮法華経」を聞いたから悟りを開いたとあります。
真言宗でも、釈迦は菩提樹の下で悟りを開いたので無くて、
「大日如来の秘密の教え」を聞いたから悟りを開いたとあります。
菩提樹の下で悟りを開いた(と勘違いした)釈迦は本当の悟りを得ていなかったので
大日如来が熊に姿を変えて釈迦に説法したという話が書かれています。
法華経と真言密教は、釈迦は菩提樹の下で成仏出来なかった点が同じであり、
「何かを聞いて成仏した」ことが同じです。
つまり、どちらも、釈迦は自力や知識の悟りで成仏したのではなく、
まして、自力で「真言」を唱えることで成仏したのでは無い。
「他力」によって成仏したということを言ってるのです。
しかも一瞬に成仏したということです。
つまり「南無妙法蓮華経」とは「他力のシンボル」を示しているに過ぎないのです。
他にも、密教には、金剛菩薩という菩薩がいますが、彼は帝釈天の眷属では無く、
夜叉でありながら、大日如来の教えを聞いた為に、一瞬に釈迦を飛び越して二番手の地位まで上がった。
法華経でも悪魔のダイバダッタが「法華経」を聞いて一瞬に成仏したと書かれています。
この不可思議な話は、成仏は他力でしか出来ないことを示しているのです。
仏教では、十界で境涯のレベルを分類します。
最高位 仏
二番位 菩薩
三番位 縁覚
四番位 声聞
五番位 天上
六番位 人間
七番位 修羅
八番位 畜生
九番位 餓鬼
十番位 地獄
輪廻というのは、縁覚から地獄までを彷徨うことを言います。
菩薩以上は、輪廻から解脱しています。
階級を自力の修行で1段上がるには、大変な修行が必要になります。
法華経には、何十回かの転生を経て、苦行してやっと1段上がれると書いてあります。
しかも、成仏するには、海の中に沈んだ針の穴に糸を通すよりも難しいと書いてある始末。
人間が自力の修行で天上界や声聞界に上がるには、
日蓮や親鸞や法然が言うように、「自力では絶対に無理」なのです。
インドでは、悟りを求めて、一生片足で過ごしたり、座り続ける苦行をする者がありますが
苦行僧や高僧であっても、声聞界に行ける者は極めて少数で、逆に神通力や知識故に高慢に落ちて、
ほとんどは天狗界とか龍界に転生します。
さて、この実情を神は哀れみ、人間界のみに「即身成仏」の機会を作りました。
つまり、人間界で「他力」に遭遇すれば、誰でも4段飛びで「仏」になれるようにしたのです。
つまり、天狗や龍も力が人間の数十倍でありますが、
人間に生まれ、他力に遭遇しないと成仏出来ないのである。
「イエスに帰依してアーメンを唱える」とか「南無妙法蓮華経」とか「南無阿弥陀仏」を唱えれば、
成仏する縁を得られるといったのは、真実を説いているのです。
この恩恵は人間界のみで、人間のみが、一気に天上・声聞・縁覚・菩薩を超えて仏になってしまうのです。
逆に、天上・声聞・縁覚でも人間に生まれないと、成仏出来ないのです。
このシステムに大天使達は怒ったのである。
人間よりも神に近い天使が、人間に生まれないと「他力」に遭遇できないというシステムに天使は怒った。
神は戒律を守れば、天国に生まれるのでは無く、
「他力」にすがらなければ、救われ無いと説いたのです。
さて、悪魔は人間だけに与えられた他力救済という神の計画を阻止する為に、
人間から「信仰」を無くすようにします。理由は、嫉妬ですが、根本は「人間に対する憎しみ」である。
悪魔信仰とは何かというと、悪魔を神のように崇める宗教ではありません。
本当の悪魔信仰は信仰という形が無いのです。ゆえに非常に巧妙です。
本当の悪魔の特徴は、「生命や成長」よりも「知識や理論」を重要視しますので、
「科学的」とか「自由・平等」という「正論」を語ります。
けっして、スピリチュアルな話はしません。どちらかと言うと、
スピリチュアルは迷信であるという立場を取ります。
科学的なことや先進的なことが正しいという立場を取ります。
一例として、「共産主義」は、悪魔信仰であります。
共産主義は、自由・平等・博愛をテーマにしますが、
共産主義の底に流れるのは、「人間愛」では無く、「人間嫌い」であることを見抜く必要があります。
共産主義は、神の働きを非難し嘲笑する宗教で、この宗教が蔓延すれば
宗教、家族、権威、伝統、愛国心、親子関係、男女の関係を徐々に破壊します。
そして最期には、神と人間の繋がりを決定的に分断するのが目的なのです。
そもそも、平等とか公平のプロパガンダは非常に美しい響きを持つ悪魔のワナと知る必要があります。
自然界に平等も公平もないのです。大きくなる草もあれば、あまり大きくならない草もある。
種が目一杯大きくなれることこそ、公平であり平等であって、大きさは決めることが出来ないのである。
それを無理矢理形に嵌めて、従わない者を抹殺するのが共産主義でいう「平等」なのです。
共産主義が原因で殺された人間の数は最低でも1億人を超えているそうです。
確かに、歴史上人類は戦争で多くの犠牲者を出しましたが、戦争とは、他民族との利害戦争である。
戦争によって、家族愛や同胞愛が無くなることは在りません。
しかしながら、共産主義による死者の大部分は自国の国民、同じコミュニティの隣人であり、家族なのです。
この事実から、非人道性や残虐性においては群を抜いていると言わざるを得ない。
つまり、唯物的思想が極論まで発達させた共産主義によって、人間を残酷に出来るのである。
共産主義は、人類史上、最も危険で、もっとも成功した悪魔信仰である。
この嘘みたいな話は、悪魔が存在するのが真実ならば、この話も真実であります。
なぜなら、ルシファーが悪魔になった理由は、人間にのみ「他力成仏」が与えれ、
天使には与えれなかったことに不満を抱いた為であるからである。
即ち、悪魔の存在を信ずることは、他力による救済が真実であることを信ずることに他ならないのです。
そして、もっとも根本的な問題は、他力がどこに存在し、私達が如何に他力に遭遇するかが大事なのですが、
先の悪魔論で考察しましたように、恐らく他力が存在する場所が日本であると私は思います。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
、
この記事へのコメント
現代の日本においてとても重要なことを仰られているように感じました。
どうしたら、悪魔のはびこっている世の中が変わるのか?、考え続けています。
ただ、最初は良かったのに、いつの間にか悪魔にミスリードさせられてしまうスピな人を沢山見てきたので、エイジさんこそは、、と思っています♪
他力は、谷口雅春氏も神にお任せすることを書かれていますよね。他力の存在の場所が日本という詳細を知りたいです。
スピ系の方は悪霊にミスリードされてしまいますが原因は同じで、
イロの乱れです。>ひなさん
他力の存在が日本にあるというのは、
日本にユダヤ系の救世主が産まれる(産まれた)ということです>咲子さん
己の中に神が存在する、とスピリチュアルでも宗教でも言われてたりしますが(自力本願)やはり他力本願ですか?(己の外の力が何らかの働きをする)他力だと自分は何も出来ない、と感じてしまいそうなのですが。
それから身の回りに起こる現象はすべて自分自身の思考(無意識下での)の結果…と言われますが、無意識だから意識でコントロールするのは難しいですよね。(それが出来れば苦労しないわ、という感じで。)そこに他力の神の考えをどう導入したらいいのでしょうか。
おはようございます。
「自力が高まって他力と出会う」、それは引き寄せなのかも♪
それが、というべきかもしれませんが。。。
その接点を作るもの、、、、そこがポイントですねえ。
次元が変わる瞬間、とも言えますね。(以前の記事でも書いて下さいました。)
そのときの大きなエネルギー。
転換、変化の合図かもしれまえんねえ。
転換といっても、融合でもありますね。
下地があってのことだから。
フェニックスってその象徴何だろうか?
今回のブログも読みごたえがありますね。
自力では救われないというのが何か少し悲しくもありますが、ただその他力に出会うには自己研鑽がやはり必要な気がします。
それとも、自分からなにもせずただ祈っているだけでも他力と出会えるのでしょうか?
そうすると自己向上のモチベーションが少し下がりそうだ・・。(笑)
ありがとうございます。
ブログの記述は、
NYの会計事務所で5年勤務させてもらった時の、自分の経験と一致します。
悪魔は、弁護士、会計士、銀行などの金融関係、巨額のお金と、権力が集まるところにいる。普段の生活で、出会うことは、あまり、無い。
しかも、それらは、普通にお金儲けをするのでは嫌だ。
他人を、高金利などで、いたぶりながら、
静かに、相手の人生を破壊するような、ワナに、はめながら、
もがき苦しむ姿を楽しみながら、
お金儲けをしたい。
悪魔だから。
非常に知能が高く、
鋭く、
冷酷
一方で、劣等感と、虚栄心が強い。
下記映画は、それを知っている人が作っていると思う。
現代の悪魔は、ウォール街の弁護士に化ける。
この映画に登場する、弁護士事務所が所在する、巨大な緑色のガラス張りのビルで、
この映画のチョウド撮影時期に、バイトさせてもらったのも
偶然で面白い。
「コンスタンティン」がお好きなようなので、この映画も興味を持たれると思います。
米映画 ディアボロス/ 悪魔の扉
原題 デビルズ アボケイト
出演 キアヌ・リーブス、アル・パチーノ、シャーリーズ・セロン、コニーニールセン
予告映像(英語のみ)
https://www.youtube.com/watch?v=IBxD1qZnJzw
法華経の長者窮子の話のように、他力といっても高価故に求めても貰えないというよりも
向こう側から与えたいのに信用できないから貰わないのが実情だと思います>カコさん
そこらへんが難しいのですが親鸞の「歎異抄」をお奨めします。>ごまあざらしさん。
快楽殺人の犯人やサイコパスは白人が多いらしいですね。
警察でも残酷な事件だと白人と特定するそうです。
ディアボロスは見ましたよ。コンスタンティンもそうですけど、
悪魔映画を作る人は、かなりの悪魔通ですよね>yasさん
繋ぐもの、というのは信じることなんですね
昔、NYにいた時、タイムズスクエアー近く、ブロードウエイの51丁目、
タイムズスクエアー教会へ、時々行きました。
この教会は、日曜のミサが、テレビ中継もされている有名な教会。
私は、特に、キリスト教徒ということも無いが、
訳も無く、ふらふらと、入って、時々、座っていました。
教会にも色々あるが、
"効いている教会"と、
”効いていない教会”があります。
この教会は、”効いている”教会だった
大きな礼拝堂の真ん中、高い天井から、
巨大なつつのように、光?エネルギ?
何か、ハッキリわからないが、強い光のようなものを感じました。
両足のアキレス腱が、ビリビリくる。
電気マッサージ?
岩盤浴?
のような感じで、時々、行きました。
礼拝堂の隅、石柱や彫刻の影に、
黒いものが、うごめくのが、分かった。
教会にも、そういうものが、来るんだナと思った。
悪魔だって、救われたい奴はいるのだな、と思った。
悪魔だって、神に愛されたい奴はいる。
悪魔は神を憎んでいるのではない。
これは字の意味から想像するに、【天の声が聞こえる階層】なのでしょうか。
人間界にもたまに【天の声が聞こえる人】がいたりしますが、それは前世と何か関係があったりするのかなあと、ちょっと思いました。
信じる者と書いて、儲けるということです>カコさん
面白い!
効いてる教会と効いてない教会というのは
すごく判りますね。>yasuhiro asaiさん
仏教で言う声聴界とは、
神界です。日本の神々やヒンズー教の神々の多くは声聴界です。>葉月さん