苦労の優先順位を決めることが成功の秘訣
私達は何かしらの選択をする時、
「良いことの優先順位で決定」する場合が多いと思われる。
つまり、「AよりBの方が給料が高い」とか「AよりBの方が仕事が楽」という天秤にかける。
しかし、良いことの優先順位よりも、
「自分に向いた苦労の優先順位」で決めたほうが確実に選択を間違わないということを
お話しましょう。
どんなことでも良いことと悪いことが存在します。
例えば、「AよりBの方が給料が高い」→「だけどノルマが厳しい」とか
「AよりBの方が仕事が楽」→「だけど給料が安い」ように、
必ず、好条件には悪条件が附いてる。
しかし、
私が本当のプロに成りたいのならば、
もしくは選択を間違えたくないのならば、好条件よりも悪条件を吟味して、
「この悪条件のどちらが気にならない?気になるか?」を選択の基準にすべきなのだ。
久しぶりに旧友と逢ったので、懐かしくて近況を聞くと、
彼は独立して事業で成功し金持ちになったのは知っていましたが、今も現役バリバリでした。
その彼が、「成功者は誰しも人に話せない苦労をしてる!」とか
「最近の若い者は我慢が足りない!」と言うのを聞いて苦笑したのです。
じつはその友人は、若い時は大手銀行の銀行員だったのですが、
人に指示されたり使われるのが非常に苦手で、
原因を聞くと私の感覚では余り大したことが無いように思うことで
彼は非常に気にして毎日精神状態が荒れてたのを思い出したからである。
その後、彼は銀行員を辞めて、独立したのであるが、
私の感覚では、サラリーマン時代の苦労よりも、独立後の苦労のほうが大変のように思ったし、
実際にサラリーマンよりも遙かに大変だったと思うのです。
そして彼自身も「非常に苦労をして成功した。」と感じているのです。
そんな粘り強い彼が、なぜ、もっと楽だと思われる銀行員の苦労に耐えられなかったのでしょう?
そこに実は成功の秘密があるのです。
イチローが小学低学年の時から毎日バッティングセンターで練習を数時間していたという
話があったと思います。
その話を聞くと、「天才はすごい努力をしてるんだなぁ」と思いがちですが
私は実は違うのでは無いかと思うのであります。
「凄い努力が苦もなく出来ることを才能と言う」のではないか?と私は思うのです。
「練習を楽しめ!」では無くて、「練習が楽しいと感じる方向に適性がある」と思うのです。
つまり、練習が楽しいからますます上達する訳です。
モーツァルトも小さい時から作曲や楽器の猛練習をしていたらしいですが、
イチローと同じで、才能があるから練習に熱中できるのです。
我慢強いイチローでも、営業マンになって、毎日10件の営業をするのは出来ないかもしれませんし、
猛練習のモーツァルトでも毎日、内職の箱作りは無理だと思うのです。
イチローやモーツァルトが練習が苦痛で無い理由は、
唯一つであり、彼らが努力家では無くて才能があるからなのです。
参照:10000時間の法則
ですから、何が言いたいかと言うと、
お前の根性足りないのは才能が無いからだ!
と言いたいのでは有りません。
「成功と苦労は相関関係がある」のは紛れもない事実であり、
それならば、
苦労の好みで目標を選択する
ことこそ賢い選択方法であり、
この基準を採用すれば誰でも我慢強く成功できるのではないかという事です。
つまり、苦労が苦にならなければ、勤務時間や練習時間も長くできるから
間違いなく、底力が付いて必ず成功するに違いないでしょう。
そして、好きよりも我慢できる苦労こそ適性であり、
敢えて、向いていない苦労を選択すべきで無い
し、向いてない苦労が出来なくても落ち込む必要は無い
ということが言いたいのです。
私は昔、ギターの音に魅せられ毎日明け方まで練習をしていました。
気が付くと朝って感じです。
周りに人が「努力家だね~」と褒めてくれましたが、私自身は努力してる感覚は有りませんでした。
単にギターを弾くのが楽しかったのです。
その結果、私はいつのまにか非常にギターが誰よりも上手くなりました。
私は決して努力家では無いのです。
気が向いたことしか熱中できない飽きっぽい性格なのです。
その証拠に、私はピアノの練習は、まったく熱中出来なかったということです。
因って、私はピアノが弾けないのです。
それは確実に練習量の差が原因なのですが、
もっと肝心なことは、練習が苦になるか否か?の差だと思うのです。
「俺は人に頭を下げることは出来ない!」とか「俺は人に頼めない!」という男がいれば、
「金が儲かるのなら頭なんか電信柱にも下げるぞ」という男もいます。
頭を下げられない男は、「頭を下げる苦労」は我慢できないけれども、
「身体が疲れる苦労」は我慢できるかも知れないし、
苦もなく誰にでも頭を下げる男は、「肉体労働」や「職人仕事」は苦痛極まりないかも知れない。
痛いのが我慢出来ない人は、格闘技をやる人は理解できないが
格闘技をする人は、安月給で働くサラリーマンが理解できないでしょう。
どんな仕事にも必ず苦労がありますが、
仕事を選択する場合、好きな仕事を選ぶよりも
付随する苦労が我慢できるか、つまり自分に向いてる苦労かどうかで仕事を決めた方が良いのです。
仕事だけでなく、あらゆる選択に付随する苦痛を想像し、「これくらいの苦痛は我慢できる」と
思える事を選択した方が、間違いなく適切な判断が出来ると思います。
結婚相手の場合でも「外見・頭の良さ・給料」の順番で判断するよりも
この人が病気になっても、どれ位好きでいられるか?の順番を基準にすれば
好きの基準で選択するよりも、離婚率が下がると思います。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
「良いことの優先順位で決定」する場合が多いと思われる。
つまり、「AよりBの方が給料が高い」とか「AよりBの方が仕事が楽」という天秤にかける。
しかし、良いことの優先順位よりも、
「自分に向いた苦労の優先順位」で決めたほうが確実に選択を間違わないということを
お話しましょう。
どんなことでも良いことと悪いことが存在します。
例えば、「AよりBの方が給料が高い」→「だけどノルマが厳しい」とか
「AよりBの方が仕事が楽」→「だけど給料が安い」ように、
必ず、好条件には悪条件が附いてる。
しかし、
私が本当のプロに成りたいのならば、
もしくは選択を間違えたくないのならば、好条件よりも悪条件を吟味して、
「この悪条件のどちらが気にならない?気になるか?」を選択の基準にすべきなのだ。
久しぶりに旧友と逢ったので、懐かしくて近況を聞くと、
彼は独立して事業で成功し金持ちになったのは知っていましたが、今も現役バリバリでした。
その彼が、「成功者は誰しも人に話せない苦労をしてる!」とか
「最近の若い者は我慢が足りない!」と言うのを聞いて苦笑したのです。
じつはその友人は、若い時は大手銀行の銀行員だったのですが、
人に指示されたり使われるのが非常に苦手で、
原因を聞くと私の感覚では余り大したことが無いように思うことで
彼は非常に気にして毎日精神状態が荒れてたのを思い出したからである。
その後、彼は銀行員を辞めて、独立したのであるが、
私の感覚では、サラリーマン時代の苦労よりも、独立後の苦労のほうが大変のように思ったし、
実際にサラリーマンよりも遙かに大変だったと思うのです。
そして彼自身も「非常に苦労をして成功した。」と感じているのです。
そんな粘り強い彼が、なぜ、もっと楽だと思われる銀行員の苦労に耐えられなかったのでしょう?
そこに実は成功の秘密があるのです。
イチローが小学低学年の時から毎日バッティングセンターで練習を数時間していたという
話があったと思います。
その話を聞くと、「天才はすごい努力をしてるんだなぁ」と思いがちですが
私は実は違うのでは無いかと思うのであります。
「凄い努力が苦もなく出来ることを才能と言う」のではないか?と私は思うのです。
「練習を楽しめ!」では無くて、「練習が楽しいと感じる方向に適性がある」と思うのです。
つまり、練習が楽しいからますます上達する訳です。
モーツァルトも小さい時から作曲や楽器の猛練習をしていたらしいですが、
イチローと同じで、才能があるから練習に熱中できるのです。
我慢強いイチローでも、営業マンになって、毎日10件の営業をするのは出来ないかもしれませんし、
猛練習のモーツァルトでも毎日、内職の箱作りは無理だと思うのです。
イチローやモーツァルトが練習が苦痛で無い理由は、
唯一つであり、彼らが努力家では無くて才能があるからなのです。
参照:10000時間の法則
ですから、何が言いたいかと言うと、
お前の根性足りないのは才能が無いからだ!
と言いたいのでは有りません。
「成功と苦労は相関関係がある」のは紛れもない事実であり、
それならば、
苦労の好みで目標を選択する
ことこそ賢い選択方法であり、
この基準を採用すれば誰でも我慢強く成功できるのではないかという事です。
つまり、苦労が苦にならなければ、勤務時間や練習時間も長くできるから
間違いなく、底力が付いて必ず成功するに違いないでしょう。
そして、好きよりも我慢できる苦労こそ適性であり、
敢えて、向いていない苦労を選択すべきで無い
し、向いてない苦労が出来なくても落ち込む必要は無い
ということが言いたいのです。
私は昔、ギターの音に魅せられ毎日明け方まで練習をしていました。
気が付くと朝って感じです。
周りに人が「努力家だね~」と褒めてくれましたが、私自身は努力してる感覚は有りませんでした。
単にギターを弾くのが楽しかったのです。
その結果、私はいつのまにか非常にギターが誰よりも上手くなりました。
私は決して努力家では無いのです。
気が向いたことしか熱中できない飽きっぽい性格なのです。
その証拠に、私はピアノの練習は、まったく熱中出来なかったということです。
因って、私はピアノが弾けないのです。
それは確実に練習量の差が原因なのですが、
もっと肝心なことは、練習が苦になるか否か?の差だと思うのです。
「俺は人に頭を下げることは出来ない!」とか「俺は人に頼めない!」という男がいれば、
「金が儲かるのなら頭なんか電信柱にも下げるぞ」という男もいます。
頭を下げられない男は、「頭を下げる苦労」は我慢できないけれども、
「身体が疲れる苦労」は我慢できるかも知れないし、
苦もなく誰にでも頭を下げる男は、「肉体労働」や「職人仕事」は苦痛極まりないかも知れない。
痛いのが我慢出来ない人は、格闘技をやる人は理解できないが
格闘技をする人は、安月給で働くサラリーマンが理解できないでしょう。
どんな仕事にも必ず苦労がありますが、
仕事を選択する場合、好きな仕事を選ぶよりも
付随する苦労が我慢できるか、つまり自分に向いてる苦労かどうかで仕事を決めた方が良いのです。
仕事だけでなく、あらゆる選択に付随する苦痛を想像し、「これくらいの苦痛は我慢できる」と
思える事を選択した方が、間違いなく適切な判断が出来ると思います。
結婚相手の場合でも「外見・頭の良さ・給料」の順番で判断するよりも
この人が病気になっても、どれ位好きでいられるか?の順番を基準にすれば
好きの基準で選択するよりも、離婚率が下がると思います。
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エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
この記事へのコメント
そうなんですよね。適性ってありますよ。
職業は好きなことから選ぶべきでしょう。
将棋の羽生さんが、「仕事とはずっと続けること」
というようなことを言っていたのを思い出します。
それは、天才と言われていた彼が、苦労した時のこと。
好きだった将棋で負けて、初めて「仕事とは」と
考えたのかな~と思いました。
好きだから、大変なことも乗り越えられる。
さらにパワーアップできる、ということでしょう。
これって、結婚相手も同じなんでしょうね。。。。
そうなんですよね。色んな苦痛を伴う努力の種類がありそれを続けられるのは才能があるからですよね。
例えば勉強。息子はどんなにしんどくても勉強し続けられます。”勉強好きじゃない”と言いますが。
娘は勉強嫌いです。理解出来ないからますますやらなくなる。それでも周りがみんなやるから仕方なくやっている。でも伸びない。彼女の才能は勉強以外にあるのでしょう。
私は主婦が苦痛です。一度自分はどんな苦痛に適性があるのか考えてみます。
一度コールセンターで働いていた時期は、精神的ボディブローを食らいまくった為に軽く鬱になり ましたが、辞めてから、
それとは関係ない仕事に 就いてからは、給料は多少下がりましたが気持ちは【この仕事が好きで就いている】と思いながら働けています。
苦労の好みというのは今まで思いつかなかったですね。
勉強になります。
ただこれはまだこちらに選択権がある場合ですよね。
例えば突然親が倒れていきなり寝たきり状態になるなど
誰にでも起こりうる状況で苦労の好みが言えない時は
やはりそういう中でも感謝する事が大事な気がします。
普段から小さなことでも感謝しておかないと
不幸のどん底のような場面で身動きが取れなくなりそうな気がします。
(介護は全然不幸のどん底ではないですけど。)
また、グループ面接などの時には北斗七星を胸ポケットに入れて臨みたいと思います。
いくら好きでも我慢できなかったら嫌いってことです。>カコさん
主婦が苦痛って女性は案外多いみたいですよ。
なにか適性があるのでしょう。>Janeさん
判断に迷ったら、
好きの優先順位よりも嫌いの優先順位で決定したほうが良いということです>葉月さん
選択権が無い理不尽な苦労を試練と呼ぶのでしょう。
自分自身を見直し鍛える機会かもしれませんね>ごまあざらしさん。
特に就職こそ、安定志向では無く、
我慢できる優先順位で決めた方が後悔しませんよ>たぷさん
苦労の好み、合点がいきました。
私、結婚をする前、「この人は嫌いになれないな」と思って結婚に踏み切ったんです。自分では「何と後ろ向きな決断だ」と思ったのですが、なるほど今回の記事で納得です。
そして家事が好きになれません。パート仕事に出ている方が生きがいを感じられます。それでもいいのかな、と今は思います。
パート仕事+家庭の維持若しくは家事+家庭無しといういうように
条件の+-を総量比較することです>ヨシエさん
ありがとうございます。嬉しいです>涼さん
このお話を読んで納得しました。
結婚するなら、もし、相手が事故などで障害になったり、顔がつぶれても好きでいられる人と結婚したいと自分は思っていました。
この考えを同性の友人に話すと色んな反応がありますが。。。
これからもブログ楽しみに読ませて頂きますね。
誰がなんと言おうと、
そのままの相手が好きで居られるかが結婚では大事ですね>一期一会さん
昔、「我慢できないほど嫌いなことが無い」というのは、日常的に接するものには一番大事、と思いました。仕事のことでそう考えて仕事を変えました。そして「結婚もそうだな」と思いました。仕事も結婚相手も、「すごく好き」であるよりも、マイナスや切らないな部分が無い方が、長期間、毎日接するうえでは大事だと思ったのです。たとえるなら、「ごはんと味噌汁」に対して「レバ刺し」と思ったわけです。「すごく好き」と感じるけれど「毎日では食傷気味」となる「好き」ではダメかも、、、というのは、結婚相手でしょう。仕事は「食傷気味」となる、というよりは「好きだけれども、能力以上に要求されるのがつらい」ということにもなるかな?自分とのバランスも大事ですね。一つ気になるのは「成長して、その相手やその仕事がちょうど良い相手は仕事になる」ということもあるのだな」ということです。長期となるとそういう面も出てきますね。自分の変化、、、そこだけは難しいのかもしれないなあ。。。。