運の良くなる対処法
「運のある者は共通点があり、それは有事の対処法である。」
とは、中村天風や勝海舟が言った言葉ですが、
「運の良くなる対処法」とは、如何なる対処法でしょうか?
じつは、中村天風や勝海舟の示すところの対処法というのは、
『六然訓』という行動基準であります。
まさに安岡正篤の座右の銘であり、「名言『六然訓』を知って以来、少しでもそういう境地に身心を
置きたいものと考えて、それとなく心がけてきた。」と語られる「六然」とは、王陽明の残した教えで、
非常に効果絶大らしく、各界の多くの有名人がこの効果を絶賛しています。
その「六然」を書きましょう。
その1 自処超然
自ら処すること超然。これは自分自身に関しては一向物に
囚われないようにすること。 自分を映画の役者と思って自分自身の行動を処することである。
人はよく見ているもので、モノに執着している人は人が離れていく。
モノに執着していな人物には人が集まる。
自分自身を憧れの人物に成ったようにイメージして常に行動することである。
その2 処人藹然
人に処すること藹然。人に接するには春風にように、人を楽しくさせ、
人を心地よくさせるようにすること、これが藹然であります。
このような人物は一目置かれ尊敬されます。
その3 有事斬然
有事には斬然。事あれば斬然。
この斬然というのは、問題が発生したり、やるべき事があれば、
愚図愚図しないで、束ねたものをマサカリで斬るように一気にやること。
そうすれば運が味方します。
その4 無事澄然
無事には澄然。事なきときは水のように澄んだ気でいること。
そうすれば、幸運が巡り来る。
その5 得意澹然
得意には、川の流れや波のようにあっさりしていること。
澹というのは水がゆったりと揺れ動くさまをいう。
従って、得意絶頂のときこそ、波のように振る舞うことが緊要だ。
そうすると足をすくわれることがなく、得意が消えない。
その6 失意泰然
失意の時は泰然自若としていること。
失意の時にはうろたえ、呆然となるのが人間の常だが、だからこそ逆に泰然と構え、
大所高所から眺めてみる。すると必ず死地を脱することができる。
失意で意気消沈したらそこでおしまいだ。
この話は、古くさいように思えて、難しそうに思えるかも知れません。
「人に接する時、優しく接するということか?そんなの前から行っているが
なかなか上手くいかないし効果も無い。いやむしろ逆効果かも?」と思う人も多いと思われる。
しかしながら、私は、「六然」は、「イメージ」の具体的な方法論だと考えると良いと思います。
例えば「ツイている時はどんな対処をしたら良いか?」の答えだと思うのです。
謙遜してると嫌みだしツキも逃げる。かといって無欲でも勝負運が逃げるし、
さらに強欲で必死になっても負けます。もちろん勝ちを自慢するとダメです。
こんな時、六然は「得意の時は波のように振る舞うのが良い」と教えてくれる訳で、
そうすれば「ツキが逃げない」のです。
実際には「波のように振る舞う?」と判らないと思いますが、
「俺は波だ。寄せては返す波だ。」と思えば良いのです。
そう自己イメージしながら勝負するとますますツキが繋がるのであります。
また、「無事の時の対処」とは、これは「日常の対処法」だと思うのです。
毎日、「俺の境地は川のせせらぎの澄んだ水である。」と思って暮らせば、
不運に遭遇しないし、幸運を呼び寄せるということだと思います。
悲しい時や悔しい時は、「俺は山だ。大きな力を宿す山だ。」と思えば良いのです。
他人に接する時は、心の中で「俺は春風だ。暖かい春風だ。」とイメージして接すれば良いし、
自分の行動を考えるときは、憧れの映画の役者をイメージして行動すれば良いのです。
難しく考えず、そのまま「状態をイメージ」すれば良い訳で、
イメージして発する言葉や態度が自然に「理」に叶うという智慧なのです。
古今東西の多くの方が日常生活に「六然」を心がけていますと、
自然の徳が身に付き、気が充実し、その結果として
立身出世、商売繁盛思いのままだそうです。
私も、このような対処を身に付けている者は、
どんな時も負けない運の強い人物に間違いないと思います。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
とは、中村天風や勝海舟が言った言葉ですが、
「運の良くなる対処法」とは、如何なる対処法でしょうか?
じつは、中村天風や勝海舟の示すところの対処法というのは、
『六然訓』という行動基準であります。
まさに安岡正篤の座右の銘であり、「名言『六然訓』を知って以来、少しでもそういう境地に身心を
置きたいものと考えて、それとなく心がけてきた。」と語られる「六然」とは、王陽明の残した教えで、
非常に効果絶大らしく、各界の多くの有名人がこの効果を絶賛しています。
その「六然」を書きましょう。
その1 自処超然
自ら処すること超然。これは自分自身に関しては一向物に
囚われないようにすること。 自分を映画の役者と思って自分自身の行動を処することである。
人はよく見ているもので、モノに執着している人は人が離れていく。
モノに執着していな人物には人が集まる。
自分自身を憧れの人物に成ったようにイメージして常に行動することである。
その2 処人藹然
人に処すること藹然。人に接するには春風にように、人を楽しくさせ、
人を心地よくさせるようにすること、これが藹然であります。
このような人物は一目置かれ尊敬されます。
その3 有事斬然
有事には斬然。事あれば斬然。
この斬然というのは、問題が発生したり、やるべき事があれば、
愚図愚図しないで、束ねたものをマサカリで斬るように一気にやること。
そうすれば運が味方します。
その4 無事澄然
無事には澄然。事なきときは水のように澄んだ気でいること。
そうすれば、幸運が巡り来る。
その5 得意澹然
得意には、川の流れや波のようにあっさりしていること。
澹というのは水がゆったりと揺れ動くさまをいう。
従って、得意絶頂のときこそ、波のように振る舞うことが緊要だ。
そうすると足をすくわれることがなく、得意が消えない。
その6 失意泰然
失意の時は泰然自若としていること。
失意の時にはうろたえ、呆然となるのが人間の常だが、だからこそ逆に泰然と構え、
大所高所から眺めてみる。すると必ず死地を脱することができる。
失意で意気消沈したらそこでおしまいだ。
この話は、古くさいように思えて、難しそうに思えるかも知れません。
「人に接する時、優しく接するということか?そんなの前から行っているが
なかなか上手くいかないし効果も無い。いやむしろ逆効果かも?」と思う人も多いと思われる。
しかしながら、私は、「六然」は、「イメージ」の具体的な方法論だと考えると良いと思います。
例えば「ツイている時はどんな対処をしたら良いか?」の答えだと思うのです。
謙遜してると嫌みだしツキも逃げる。かといって無欲でも勝負運が逃げるし、
さらに強欲で必死になっても負けます。もちろん勝ちを自慢するとダメです。
こんな時、六然は「得意の時は波のように振る舞うのが良い」と教えてくれる訳で、
そうすれば「ツキが逃げない」のです。
実際には「波のように振る舞う?」と判らないと思いますが、
「俺は波だ。寄せては返す波だ。」と思えば良いのです。
そう自己イメージしながら勝負するとますますツキが繋がるのであります。
また、「無事の時の対処」とは、これは「日常の対処法」だと思うのです。
毎日、「俺の境地は川のせせらぎの澄んだ水である。」と思って暮らせば、
不運に遭遇しないし、幸運を呼び寄せるということだと思います。
悲しい時や悔しい時は、「俺は山だ。大きな力を宿す山だ。」と思えば良いのです。
他人に接する時は、心の中で「俺は春風だ。暖かい春風だ。」とイメージして接すれば良いし、
自分の行動を考えるときは、憧れの映画の役者をイメージして行動すれば良いのです。
難しく考えず、そのまま「状態をイメージ」すれば良い訳で、
イメージして発する言葉や態度が自然に「理」に叶うという智慧なのです。
古今東西の多くの方が日常生活に「六然」を心がけていますと、
自然の徳が身に付き、気が充実し、その結果として
立身出世、商売繁盛思いのままだそうです。
私も、このような対処を身に付けている者は、
どんな時も負けない運の強い人物に間違いないと思います。
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この記事へのコメント
自分の心の中に、波立たない湖をよくイメージしているんですが、
もしかしてそれも似たようなことでしょうか。
焦ったり、不安になったりすると、心の湖の表面が荒だってないか、
目を閉じてチェックするようにしてます。
意外にも湖面がしーんとしている時は、「大丈夫だよ」という深層からのサインだと思って、
「あら、大丈夫なのかも」とどっしり構えているとうまくいきますね。
他のことも真似してイメージしてみますね。
イメージって本当に大事なのですね!自分自身は情けないくらい物事に右往左往してしまいますが、他人は私に”そんな風には見えない、毅然としている”…みたいなイメージを持ってくださるようで。
そういう評価をいただく度に励みにして、自分自身に言い聞かせてます。
だけど、現実がしんどいものであればあるほど、実行するのは難しいですよね。
一喜一憂しない、とか「人生万事塞翁が馬」というか、、、。
さまざまな出来事や周囲の雑音に惑わされず、
自分がすべきことをし、周囲を和ませ、
普段は穏やかにして、いざというときには毅然として、、、。
全て修行のようにも思えますが、
その修行そのものを心から楽しみたいものです。
ある程度までは楽しんでいられるのですが、
そうでないこともありますので。
それこそ修行の部分なんでしょう、、、。
自分を信じていることが重要かな、と思えるんですが、
いかがでしょう?
その時、まさにその『物事にとらわれてはいけない』という話を話してくれました。
私も無意識に生活の中でいろんな物事にとらわれているので、今回のこの記事は、最近神主さんが話してくれた話とシンクロしていて、タイミングもシンクロしててびっくりしました。
最近やっと気付いたんですが、自分には感謝心が足りなかったと。
今ではもう事あるごとにありがたいと心の中で呟いています。
実際、ありがたいと思うと心が爽やかになるんですよね。
これプラス呼吸法を駆使して自分の良心に恥じないよう努力を重ねたいと思います。
自分で書いていてもすごく大変そうですが(笑)
兎に角頑張ります。
言語では難しいです>しゃーしゃんさん
シンドイっていうのもなかなか面白いもので、
我慢できる辛さと我慢できない辛さには個人差があるってことです。>Janeさん
どのみち人生は苦痛であるのならば
苦痛を楽しむ術が大事でしょうね>カコさん
有事における対処法こそ、ブレがないものですね>葉月さん
今回の話は実は瞑想法であります。
毎日一瞬でも心地良い瞑想が出来れば良いと思います>ごまあざらしさん
健康的な家庭環境に育っていないから私は不健康な歪んだ心だと自覚しているので、旦那と仲良くやっていかなくてはと心しめなおすのですが、別れたい方向にいってしまいます。
こういう不健全な家庭環境に育っている人間は、自分はついてないとネガティブになります。先祖からくるのか奥底からくる不運さというか。
ついている人って、私の周りでよくみるのは、明るくて笑顔が多く、何かに執着していないような気がします。いい空気をかもし出していますね。こういう人は家庭環境が健康的だったのでしょう。
だから私なりに、明るい家庭にしようと試行錯誤して色々やってみるのですが、旦那と価値観が合わないのかいつも旦那に怒られます。ケンカになってしまうんですよ。息子の前でケンカは今は我慢しているので、寝てから怒鳴りあいです。
天から雨が降るように愛されることが自然で、個を否定されず自然に生きていった人は、ついているのだと私は考えているのですが。
私も咲子さんと似たような境遇です。己の定めみたいなものに縛られてきました。
でも、最近知ったのです。(まだ顕在意識で、ですが)それを選んだのは自分自身だったんだと。人間、いろんな状況で生まれて生きていますが、理不尽、不平等ですよね、世の中。それでもそれぞれの人にとっての選択の結果なんですよね、おそらく。
言葉足らずで申し訳ないです。
そしてエイジさん☆確かに人によって感じ方、捉え方はそれぞれですよね。
私のアリ地獄に返信くださいましてありがとうございますm(__)m
ここに書き込んでふと思ったのですが、親、祖父母、先祖に対して怒りがあります。この怒りが自分をネガティブ、卑屈にしているのではないかと。この怒りはどう癒し、どうやって忘れたらいいのだろう。
私がアンラッキーなことがあった時は、神棚に手をあわせてお願いした時と、墓参りに行った後に起こります。これがなぜだか気持ち悪い謎です。
>私がアンラッキーなことがあった時は、
>神棚に手をあわせてお願いした時と、墓参りに行った後に起こります。
ここまで特定できてるだけでも凄いかも!
神棚に「お願い事」ではなく⇒「感謝」とかにしてみると
どうでしょうか?
部外者が口出ししてすみません。
助けになるかわからないのですが
最近見つけた 伊勢ー白山 道というブログが何かヒントを与えてくれる気がします。
ただ結構ディープなブログなので信じる信じないは
咲子さん次第です。
私の嘆きに返信いただき感謝ですm(__)m
人に平澤興さんの感謝の書籍を勧めておいて、感謝が足りなかったと反省しています(^^;)
ごまあらしさん♪
私のおたけびに反応していただきありがとうございますm(__)m
白山のブログは以前読んだことがあります。有名ですよね。また読んでみます。神棚、墓参りは私の感謝が足りないからというご指摘、こうやってコメントできているちょっとした余裕に感謝かなと思っています。