なぜ、好きな人に好かれないのか?
「なぜ、好きな人に好かれないのか?」
これは普遍的で実は重要な問題を含んでいます。
例えば、性欲ならば相手は誰でも良いワケですが、
恋は相手を選ぶのです。
恋と性欲の違いは、この一点であります。
これってよく考えるとじつに不思議だと思いませんか?
いくら恋の状態を脳やホルモンで解析や分析しても、
「なぜ私は君じゃなきゃダメ」なのか?
「なぜ私はあの人に惹かれるのか?」
という疑問は解決できません。
また、「直向きな恋心は相手を動かす」というのは稀で、
多くの場合は、恋する人からは相手にされず、
気のない人からは猛烈なアプローチをされたりします。
なぜでしょう?
そして、この理由が判れば激モテることも出来る筈です。
人はなぜ恋するのか?
恋に共通なのは、
「一緒にいるとワクワクする」という感情の高揚である。
では、感情の高揚はなぜ発生するのか?
ワクワク感の発生理由は、スタイルが良いワケでも、性格が良いワケでもない。
モデルみたいな女性が好きな男が、
本当に好きになったのは小柄な女性だったという話は実は一般的である。
その疑問について私は先のBLOGで、
「最初の人類であるアダムが60万の破片に粉々分散した故に、
我々は元に戻ろうと欲して恋をするのです。
いわば恋とは魂の集合欲求である。」と書きました。
参照:人はなぜ恋するのか?
この理論を拡大すると、もし、私が貴方より、多くのアダムの破片を持っていれば、
つまり、貴方の持っていない破片を私が持っていれば、
貴方は私を欲しいと願う。ワクワクして恋い焦がれるのです。
プラトンが「人はなぜ恋をするのか?」という疑問に対し、
恋する心(エロス)は、それ自体としては美しいものでも醜いものでもなく、
自分の中に何か欠けたものがあることを知って、
それを満たそうとして美しいものを求め、
「美しいもののなかに出産しようとする」ことである。
と「イデア論」の中で言っている。
そして、その欲望にも段階があって、
低いほうから言うと、
まず人の肉体の美しさに惹かれる者。
次に、人間の営みや法のなかにあらわれる魂の美しさに惹かれる者。
最後に、美しい知識、つまり「神的な美そのもの(美のイデア)」を恋する者。
この中でもっとも恋を極めた者(エロスな人物)とは、
究極的には永遠不死なるものとしての「美のイデア」を愛する地点にまで達した者。
即ち、知を愛する哲学者こそ、最も恋の道を究めた者だというのである。
つまり、例えば私が貴方に惹かれ、貴方でなくてはダメだと思うのは、
決して、貴方の美しい肉体に惹かれるワケでは無い。
なぜなら、肉体だけなら他の女性でも良いワケです。
かといって、貴方の優しい性格でも無い。
なぜなら、優しい女性は他にもいるワケです。
恋の理由はじつは判らないのです。
ただ、貴方だから、貴方が好きなのです。
プラトン流に解釈すれば、恋は「哲学」であり、
貴方は、私の必要としている「何か?」を持ってる故に貴方に惹かれるのです。
そして合体して新たな未来を創造しようと欲するのです。
いわば、貴方はワクワクさせてくれるから惹かれるということです。
根本的な要因としての惹かれるという意味は、
原子や電子でも不安定だと安定になろうとして合体するように、
自分を完成しようとして惹かれるということであります。
ですから、
例えば、その人の役割が音楽家であれば、
音楽家として内面を開花させてくれる人に惹かれ、
あの人の役割が政治家であれば、
政治家として内面を開花させてくれる人に惹かれるのです。
内面を開花させてくれるサインは「ワクワク感」であります。
子供を産む女性が、
優秀な子孫を作れる遺伝子を持つ人に惹かれるというのは動物行動学で証明されていますが、
大事なことは、すべての女性が優秀な子孫を作れる遺伝子を持つ人に惹かれるということではなく、
何を望んでいるのかという「欲望」によって惹かれる対象が変化するということであり、
本質は「欲望」である。
そして、進む方向の原動力となるのが「ワクワク感」であります。
そして、人間の究極の欲望というのは、
政治家や音楽家では無く、それらは枝であって幹になる根幹の欲望というのは、
「神になる欲望」であり、それを「自己実現の欲求」とも言います。
自己実現である神に成る欲望が、もっとも本質的で究極の欲望であるのならば、
もっともモテて、人から愛されるのは、神に近い者で無くてはならない。
なぜなら、神に近い者ほど、引力が強いからである。
なぜ好きな人に好かれないのかというと
そもそも、好きな人とは、貴方が持っていない破片を好きな人が持っているから惹かれるのである。
そして、破片を持っている人と一緒にいるとワクワクする。
故に、好きな人に好かれないのは当然だといえましょう。
好きの引力は破片の重力によって決定される万有引力だからである。
恋愛の極意は、好意を伝えることでは無くて、相手の気持ちを惹くことである。
そして気持ちを惹くには、相手の持っていない破片を持つことであり、
それは、強いて言えば、原初のアダムに近い者ほどモテるということである。
そして原初のアダムとはもっとも神に近い者であり、
神に近い者ほど、魂の重量が重く、万有引力の力が強いということである。
twitterはこちら。
エイジの部屋
mixiもやってます。
Eiji
Eijiで検索してください。現住所は岐阜です。
これは普遍的で実は重要な問題を含んでいます。
例えば、性欲ならば相手は誰でも良いワケですが、
恋は相手を選ぶのです。
恋と性欲の違いは、この一点であります。
これってよく考えるとじつに不思議だと思いませんか?
いくら恋の状態を脳やホルモンで解析や分析しても、
「なぜ私は君じゃなきゃダメ」なのか?
「なぜ私はあの人に惹かれるのか?」
という疑問は解決できません。
また、「直向きな恋心は相手を動かす」というのは稀で、
多くの場合は、恋する人からは相手にされず、
気のない人からは猛烈なアプローチをされたりします。
なぜでしょう?
そして、この理由が判れば激モテることも出来る筈です。
人はなぜ恋するのか?
恋に共通なのは、
「一緒にいるとワクワクする」という感情の高揚である。
では、感情の高揚はなぜ発生するのか?
ワクワク感の発生理由は、スタイルが良いワケでも、性格が良いワケでもない。
モデルみたいな女性が好きな男が、
本当に好きになったのは小柄な女性だったという話は実は一般的である。
その疑問について私は先のBLOGで、
「最初の人類であるアダムが60万の破片に粉々分散した故に、
我々は元に戻ろうと欲して恋をするのです。
いわば恋とは魂の集合欲求である。」と書きました。
参照:人はなぜ恋するのか?
この理論を拡大すると、もし、私が貴方より、多くのアダムの破片を持っていれば、
つまり、貴方の持っていない破片を私が持っていれば、
貴方は私を欲しいと願う。ワクワクして恋い焦がれるのです。
プラトンが「人はなぜ恋をするのか?」という疑問に対し、
恋する心(エロス)は、それ自体としては美しいものでも醜いものでもなく、
自分の中に何か欠けたものがあることを知って、
それを満たそうとして美しいものを求め、
「美しいもののなかに出産しようとする」ことである。
と「イデア論」の中で言っている。
そして、その欲望にも段階があって、
低いほうから言うと、
まず人の肉体の美しさに惹かれる者。
次に、人間の営みや法のなかにあらわれる魂の美しさに惹かれる者。
最後に、美しい知識、つまり「神的な美そのもの(美のイデア)」を恋する者。
この中でもっとも恋を極めた者(エロスな人物)とは、
究極的には永遠不死なるものとしての「美のイデア」を愛する地点にまで達した者。
即ち、知を愛する哲学者こそ、最も恋の道を究めた者だというのである。
つまり、例えば私が貴方に惹かれ、貴方でなくてはダメだと思うのは、
決して、貴方の美しい肉体に惹かれるワケでは無い。
なぜなら、肉体だけなら他の女性でも良いワケです。
かといって、貴方の優しい性格でも無い。
なぜなら、優しい女性は他にもいるワケです。
恋の理由はじつは判らないのです。
ただ、貴方だから、貴方が好きなのです。
プラトン流に解釈すれば、恋は「哲学」であり、
貴方は、私の必要としている「何か?」を持ってる故に貴方に惹かれるのです。
そして合体して新たな未来を創造しようと欲するのです。
いわば、貴方はワクワクさせてくれるから惹かれるということです。
根本的な要因としての惹かれるという意味は、
原子や電子でも不安定だと安定になろうとして合体するように、
自分を完成しようとして惹かれるということであります。
ですから、
例えば、その人の役割が音楽家であれば、
音楽家として内面を開花させてくれる人に惹かれ、
あの人の役割が政治家であれば、
政治家として内面を開花させてくれる人に惹かれるのです。
内面を開花させてくれるサインは「ワクワク感」であります。
子供を産む女性が、
優秀な子孫を作れる遺伝子を持つ人に惹かれるというのは動物行動学で証明されていますが、
大事なことは、すべての女性が優秀な子孫を作れる遺伝子を持つ人に惹かれるということではなく、
何を望んでいるのかという「欲望」によって惹かれる対象が変化するということであり、
本質は「欲望」である。
そして、進む方向の原動力となるのが「ワクワク感」であります。
そして、人間の究極の欲望というのは、
政治家や音楽家では無く、それらは枝であって幹になる根幹の欲望というのは、
「神になる欲望」であり、それを「自己実現の欲求」とも言います。
自己実現である神に成る欲望が、もっとも本質的で究極の欲望であるのならば、
もっともモテて、人から愛されるのは、神に近い者で無くてはならない。
なぜなら、神に近い者ほど、引力が強いからである。
なぜ好きな人に好かれないのかというと
そもそも、好きな人とは、貴方が持っていない破片を好きな人が持っているから惹かれるのである。
そして、破片を持っている人と一緒にいるとワクワクする。
故に、好きな人に好かれないのは当然だといえましょう。
好きの引力は破片の重力によって決定される万有引力だからである。
恋愛の極意は、好意を伝えることでは無くて、相手の気持ちを惹くことである。
そして気持ちを惹くには、相手の持っていない破片を持つことであり、
それは、強いて言えば、原初のアダムに近い者ほどモテるということである。
そして原初のアダムとはもっとも神に近い者であり、
神に近い者ほど、魂の重量が重く、万有引力の力が強いということである。
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エイジの部屋
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この記事へのコメント
ケミストリー、ですよね、まさに。
なぜその人なのか、、、、これは謎ですが、
タイミング、行動範囲という要素を加味しながらも、
何かが惹きつける。。。。。
問題は、、、恋愛と、生活の場である結婚は、
もしかしたら違うかも、、、というあたりでしょうか?
なんか立派な人だと、気が抜けないしなあ。。。。
なるほどッ!と思わず唸ってなんだかウキウキして来ちゃいました。
結婚した友達の数人から、
「わたしって、たぶん誰とでも結婚生活をうまくやっていけるんだと思う。そんな気がする。たまたま結婚して!って言われたから、今の夫の配偶者になったけれど、別にこの人じゃなきゃイヤだ!というのは、全くない。ただのタイミング」と言うのを聞いたことがあります。
そういう発言をする彼女たちは、
確かに無欲です。
淡々と生きて(いるように、私には見え)ます。
だから配偶者に対する欲求もあまりないのかも。
かといって彼女たちが離婚したり、家庭内別居かというとシアワセそうに生きてますしね。
ん~。
やっぱり人に惹かれるのもワクワクか…。
今まで人生ナメてたような気がします。もっと自分の心に正直にワクワクしてる?ワクワクする?って問いかけながら生きていきたいと思います。
エイジさん、ありがとうございました。
魂の量を増やす?魂を健全に保つ?
為には、明日のことを思いわず、心を常に陽気にすることを心掛けるのが大事なんでしょうか?
俺の好みの女性にない破片が全て自分にあったらモテモテで選びたい放題でいいライフだろうなー。
どうもありがとうございました。
いつも楽しく拝見しております。
今回の記事、とてつもなく納得です。
何故彼に惹かれるのかが明確なりました。
そういう事だったんですね!
いや~実に面白いですね。
最高です。
これからも楽しみにしています。
今回は2回目のコメントです。
神性への到達に、私は例えば芸術を通して、、、もあると思っていました。
「芸術家になること」という社会での役割ではなく、芸術が神に至る手段の
一つである、、というように。
男女の愛もそのようなものの一つであり、一般の人にとって最も可能性の高い手段とも思っていました。エイジさんの説では、恋愛(アダムとイブが楽園を追放されたことに起因する)が唯一?最高?のものということなんでしょうか?
自分に欠けているものを求める、、、となると、欠けているものの多い人は、多くの人に惹かれる、、、、ということになるような気もするのですが、どんなものなんでしょうか?とすると、多くを持っている人は、惹かれる相手が限定的なような気も。。。。
結合から創造という意味からは同じであり、
仏教では特定の人に惹かれたり結婚するのを縁と言いますね。>カコさん。
敏感な人も鈍感な人も存在しますが
結婚とか恋愛は偶然では無く、
必ずなにかしらの縁によって惹かれ決定してると思います。>ゆりぴょんさん。
もちろん。悲観せず、陽気に生きることも魂の量を増やすことになります。
特に神道では、「心の穢れ」を無くすことが神に近づくには最も大事と考えているようです。>たぷさん。
万有引力の法則は魂の質量に比例しますから
魂が重ければ初対面でも関係ありません。モテモテです。>gogoさん。
オーラも魂の量に関係するでしょうね。>まるーりさん。
惹かれるのは憧れと似ていますが、
自分に無いけど欲しいから憧れるのです。>ちささん。
階段を上がっていくようなモノで、徐々に近づいていくのです。
ですから、多くを持っているというよりも今階段をひとつ上がるのに
これが必要だと惹かれ、必要でなくなると惹かれなくなるのです。
アダムのすべての欠片は実は自力では全部揃いません。
恋(ワクワク)を繋いでいくと目的に達成するのです。>カコさん。
今、必要な
中学生の頃から
友達からおじいさんと結婚するよ!ハチミツは。って言われていたんですけど、実際、五十代・六十代の方々から可愛がられる傾向です。年下の人に恋をするのが多かったんですが、
最近、ロマンスグレーな方々が好きです…
好みがある時から変わって来ました。
これって、やはり友達の予言通り、おじいさんと結婚する傾向に向かってるんでしょうか、、、
よく判りませんが結婚したら予言が当たったと言えるでしょう。
この話は象徴としての寓話であり、
肉体でいえば結婚ですが、魂でいえば神との結合でしょう。
それと、今まで特になんとも思ってなかったのに、何かのキッカケで好きになるってのは、破片だとかは関係あるんですか?