人はなぜ恋するのか?

なぜ人は恋するのでしょう?

この疑問について、カバラの解釈が非常に刺激的なので、
紹介しようと思う。

実は、恋には、大きな真理が隠されているのです。
最初の人類であるアダムが60万の破片に粉々分散した故に、
我々は元に戻ろうと欲して恋をするのです。
いわば恋とは魂の集合欲求である。

よって、恋の願望は非常に強いものです。
もっとも強い願望です。
なぜ恋は死よりも強いのか?
人は恋に焦がれながら恋に罪を感じるのか?
これらの性質こそ罪の発生原因と救済(集合体に帰一する)の鍵が恋に在る証明なのであります。

そもそも、人類に罪が発生した原因、
つまりアダムの魂が60万の魂の破片に分散した原因は恋にある。

なぜなら、エバが神との約束を破り死を覚悟してまで罪を犯したのは、
実は蛇に騙されたのではなく、蛇という名前の悪魔(恋)に誘惑されたのです。
そして、エバは神よりも悪魔の誘惑に負けたのであります。
続いて、アダムも死を覚悟してまでエバに勧められて罪を犯したのもエバへの恋の為である。
この事実より、恋が神の言葉よりも強いというのは明白でありましょう。
だから、人は恋に罪や後ろめたさを感じるのであります。
人間は、恋の為なら、神でも裏切るのです。
だからアダムとエバは顔を隠さず、性器を隠したのです。

しかしながら、
これは、救済も恋によってのみ達成されるという意味でもあるのです。
罪が恋によって生じたのであれば、
救済も恋によって為されるのであります。
なぜなら、死も悲しみも恐れも悪魔も神も恋には勝てないからであります。

それでは、恋とは何か?

その意味を説明する上で、
ブネイ・バルーフ カバラ教育研究所 所長のマイケル・ライトマン博士が作った「魔術師」という話を紹介します。








                           魔術師   


あるとき、偉大で、気高く、人の良い、童話によく書かれている性格すべてを備えた魔術師がおりました。
しかし、その魔術師はあまりにも人が良く、それを誰と分かち合ったらよいか分かりませんでした。
彼には愛情を注げる人も、一緒に遊べる人も、時間を一緒に過ごす人も、
思いを捧げる人もいませんでした。
彼は誰かに必要とされたくもありました。一人ぼっちでいるのはとても悲しいことだからです。

魔術師はどうしたらよいのでしょうか。
魔術師は石を作ろうと思いました。小さいけれどきれいな石を。
おそらくそれが答えなのだろうと思いました。
「私は石を撫でて、傍にいつも何かがあることを感じていよう。
私も石も幸せに暮らせるだろう。だって、一人ぼっちでいるのはとても悲しいことだから。」

魔術師が杖を振ると、
すぐさま欲しいと思っていた通りの石が現われました。

魔術師は石を撫ぜ、抱きしめ、話しかけましたが、石はまったく反応しませんでした。
それは冷たいままで、お返しに何かしてくれることはありませんでした。

魔術師が石に何をしてやっても、石は相変わらず、無感情の物質のままでした。
魔術師はまったく満足しませんでした。
どうして石は反応できないのだろう。
そこで彼はさらに石を作り、そして、岩、丘、山、土地、地球、月、そして銀河の創造を試みました。
しかし、結果はすべて同じでした。何の反応もありませんでした。
彼は悲しく、一人ぼっちでした。

魔術師は悲しくて石の代わりに植物を作ろうと思いました。
美しい花を咲かせる植物です。植物に水をやり、空気や日光を与え、
音楽を聴かせてやろう。これなら、植物は幸せだろう。
そうすれば魔術師も植物も満足するだろう。だって、一人ぼっちでいるのは悲しいことだから。

魔術師が杖を振ると、すぐさま欲しいと思っていた通りの植物が現われました。
魔術師は有頂天で植物の周りで踊りを始めました。
でも、植物は微動だにしませんでした。
魔術師と一緒に踊ろうとも、動きについてこようともしませんでした。
植物は魔術師がしてやる最低限の世話にしか反応しませんでした。
水をやると成長し、水をやらないと枯れてしまいました。
愛情のすべてを注ぎたい、とても人の良い魔術師にとって、
植物は十分なものではありませんでした。
魔術師には他にももっとしてやりたいことがありました。
だって、一人ぼっちでいることはとても悲しいことだから。

そこで魔術師はあらゆる種類の植物を、あらゆる広さで作りました。
畑、森林、果樹園、プランテーション、そして小さい森。
しかし、どれも最初の植物と同じようにしか反応しませんでした。
そして、また魔術師は一人ぼっちで、悲しくしていました。

魔術師は考えあぐねました。
どうしたらよいのだろう。
そうだ、動物をつくろう!
どんな動物がいいだろうか。
犬はどうだろう。そうだ、いつも一緒にいてくれるかわいい小犬がいいだろう。
魔術師が犬を散歩に連れていくと、
犬は飛んだり、跳ねたり、踊ったりしながら一緒に走ってくれるだろう。
魔術師が宮殿に帰ってくると、犬はとても喜んで、飛び付くように出迎えてくれるだろう。
魔術師も犬も幸せなことだろう。
だって一人ぼっちでいるのはとても悲しいことだから。

魔術師が杖を振ると、すぐさま欲しいと思っていた通りの犬が現われました。
魔術師は犬の世話をし、えさをやり、水を与え、
やさしく撫でてやりました。また、一緒に走り、洗ってやり、散歩にも連れて行きました。
しかし、犬の愛情はどこにいても飼い主のものにはかなわわないことが分かりました。
魔術師は犬と上手に遊んでやっても、魔術師が行く所にはどこにでも連れてやっても、
犬が何も返してくれられないことを悲しく思いました。
犬は魔術師がしてやったことを感謝できず、
魔術師が何を考え望んでいるのか、何を求めているのか、
どれだけ犬のために苦労しているかも理解できないので、
魔術師の本当の友人にはなれませんでした。
しかし、これは魔術師が望んだことです。
魔術師は他の動物も作りました。魚、鳥、哺乳類。でもすべて無駄でした。
どの動物も彼を理解することはできませんでした。
こんなに一人ぼっちでいるのはとても悲しいことでした。


魔術師は座り込んで考えました。
そして、本当の友人は、魔術師を探し求め、心底必要としてくれ、
魔術師のような人で、魔術師と同じ位愛し、理解してくれる、
魔術師に似ているパートナーでなければならないことに気づきました。

パートナー?本当の友人?
それなら、その人は魔術師の傍にいて、魔術師が与えるものを理解し、
感謝し、その代わりにすべてを与えてくれる人でなければなりません。
魔術師は愛し、愛されたくもあったのです。
これなら、魔術師もその人も幸せだろう。
だって、一人ぼっちでいるのはとても悲しいことだから。


そうして魔術師は人を創造することを考えました。
人なら本当の友人になってくれられる!
人なら魔術師のような人になれる、ただ助けが必要なだけだ。
これなら二人とも幸せに暮らせるだろう。
だって一人ぼっちでいるのはとても悲しいことだから。

しかし、二人が幸せに暮らすには、
人にまず魔術師なしで、一人ぼっちで悲しい経験をしてもらわなければなりません。

魔術師は再度杖を振って、遠くに人を作りました。
人は周りの石、植物、丘、畑、月、雨、風、
そして美しいもので満ち溢れコンピュータやフットボールまであるこの世界で幸せで、
何の不自由も感じなかったため、
この世界すべてを作った魔術師がいることを感じることはできませんでした。

一方、魔術師はあいかわらず悲しく、一人ぼっちでした。
しかし人は彼を創造し、愛し、待ち望み、
「一人ぼっちでいるのはとても悲しいことだから、二人一緒なら幸せに暮らせる」
と言った魔術師がいることを知りませんでした。

人はコンピュータやフットボールに至るまであらゆるものを与えられて満足し、
魔術師の存在に気づきませんでした。

そんな人がどうして魔術師を探し出し、
知り合い、仲良くなり、愛し、友人になり、
「君なしで一人ぼっちでいるのはとても悲しいことだから、
二人一緒に幸せに暮らそう」と魔術師に言ってあげることができたでしょうか。




人は近くにあるものしか知らず、
周りの人達に従って行動し、
周りと同じことを話し、
周りが欲するものを欲しがり、人の感情を害することなく、
コンピュータやフットボールのプレゼントを上手に要求していました。
一人ぼっちの悲しい魔術師がいることをどうして知ることができたでしょうか。

しかし、魔術師は人が良く、いつも人を探し求めていました。
時が熟した時、魔術師は杖を振って、
人の心に静かに静かに呼びかけました。

人は自分が何かを探し求めていることに気づきましたが、
「君なしで一人ぼっちでいるのはとても悲しいことだから、
二人一緒に幸せに暮らそう」と呼びかけているのが魔術師であることには気づきません。

魔術師がもう一度杖を振ると、
人は魔術師を感じました。
そして人は魔術師のことを心に描き、
「魔術師なしで、一人ぼっちでいるのはとても悲しいことだから
二人一緒に暮らすと幸せだろうなあ」と考えるようになりました。

魔術師がさらにもう一度杖を振ると、
人は友愛に溢れた魔法の塔があること、
その中で魔術師が彼を待っていて、
そこでしか二人は幸せに暮らせないだろうということを感じました。
だって、一人ぼっちでいるのはとても悲しいことだから。

しかし、その塔は何処にあるのだろう。
どうしたら到達できるのだろう。
どの道を行けばよいのだろう。
人は途方に暮れ、
混乱して自分に問いかけました。

どうしたら魔術師に会えるのだろう。

彼は杖の振りを心に感じ続け、眠れません。
彼は魔術師と巨大な塔が心に焼き付いて、
食べることもできません。
これは非常に欲しているものが見つけられず、
一人ぼっちで悲しい時に起こることです。

しかし、人が魔術師のように、
賢明で、偉大で、気高く、人の良い、愛情の深い友人になるためには、
杖の一振りでは十分ではありませんでした。
人は自分で奇跡を起こすことを学ばねばなりませんでした。

そこで、魔術師は、ひそかに、巧みに、やさしく、人を傷つけないように、
人を最も偉大な最古の魔法の書「ゾハールの書」に導き、
巨大な塔への行き方を教えました。
人はすぐにでも魔術師、友人に合い、
「一人ぼっちでいるのはとても悲しいことだから二人一緒に幸せに暮らそう」
と伝えたい一心で「ゾハールの書」を学びました。

しかし、塔の周りには高い壁があり、
多くの見張りが彼を追い払い、
魔術師と二人一緒に幸せに暮らすのを妨害します。
人は絶望し、魔術師は鍵のかかった門の奥にある塔に隠れてしまいました。
壁は高く、見張りは堅く、何者も通しません。
どうなるのでしょうか。
一人ぼっちでいるのは悲しいけれど、
どうしたら二人一緒に幸せに暮らせるのでしょうか。


最も絶望して目覚めた時、人はいつも突然杖の振りを感じました。
人はそれに励まされて、もう一度壁に挑戦し、
なんとしても見張りを跳ね除けのけようと試みました。
門を破り、塔に到達し、梯子の横木を登り、魔術師に会いたい。
しかし、人が前進し、塔と魔術師に近づけば近づくほど、
見張りもさらに用心深く、さらに強く、さらに手堅くなり、手加減なく彼をおびえさせます。

しかし、人はその度に勇敢に、たくましく、賢くなっていきます。
人はあらゆる技を自分で学び、魔術師にしか発明できないものを発明します。
押し戻される度に人は魔術師をさらに欲するようになり、
魔術師の愛をさらに深く感じ、
魔術師と二人一緒に暮らすことをこの世の何よりも望むようになり、
魔術師の顔を見たくなります。

この世界でありとあらゆるものを与えられていても、
魔術師なしでは寂しく、魔術師と二人一緒にいることが一番の幸せだから。


そうして、魔術師なしではもう耐えられなくなった時、
塔の門が開き、魔術師、彼の魔術師が人の前に駆けてきて言いました。
「一人ぼっちでいるのはとても悲しいことだから、二人一緒に幸せに暮らそう。」

それから二人は信用し合い、
分かり合える友人になり、
二人の間にはそれ以上のすばらしい喜びは永遠に無限にありませんでした。
二人は一緒にいるととても幸せで、
一人ぼっちでいることがどれほど悲しいことだったかを思い出すことは一時もありませんでした。



この物語の要点は、
まず神(魔術師)が人を恋して、人に恋されることを望んだので
人が魔術師を恋したっていうことです。

つまり、私達が一体化の欲望を生じるのも崇高な魂の意志なのでありますが、
それは、神の意志があって、私達が望むってことです。

しかしながら、魂の統一の実現は、神からの一方的なアプローチでは達成できず、
私達の自由意志が崇高な魂と一体化したいという欲望(恋)を生じないと実現しない。
という点も重要である。

私達が異性に恋をするのも、子供を愛するのも、
近所の人と仲良くしたいのも、いわば愛し愛されたい願望のすべては、
崇高な魂と一体化したいという願望を沸き起こす神の願望から生じているのです。

マズローは欲求が5段階を経ると言っています。

それは、
1.生理的欲求(Physiological needs)
2.安全の欲求(Safety needs)
3.所属と愛の欲求(Social needs / Love and belonging)
4.承認(尊重)の欲求(Esteem)
5.自己実現の欲求(Self-actualization)

最後の自己実現の欲求(Self-actualization)こそ、
私は「魔術師との一体欲望」に等しいものであると思うのだ。
そして、自己実現とは、神と自分との一体感であり、
それは激しい恋心に等しい感情によって達成できるのである。



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この記事へのコメント

カコ
2013年05月10日 00:06
エイジさん、こんばんは~。

素敵な記事をありがとうございます。
究極の恋は、自己実現ですね。
その位の広がりを、自分と相手の精神、心、活動、対人関係に
もたらすようなものであれば、最高ですよね。
エイジさんは、やさしいなあ。
ポン
2013年05月10日 00:37
本来は清浄な心である恋愛感情も不倫とか肉欲として嫌な気持ちがするのはなぜなのかという疑問が解けました。
なお
2013年05月11日 11:04
魔術師はまどろっこしいまねをせずに
欲した時に人を身近につくればよかったのに
なお
2013年05月11日 11:12
ごめんなさい。無粋な書き込みをしてしまいました。
エイジさん、ステキなお話をありがとうございます。
ゆりぴょん
2013年05月11日 13:13
こんにちは☆

私を必要としてくれる人に出会いたいと強烈に願ったら、ボコッと本当に現れました。

ただ…
え???
というくらいに私の心が拒否反応を起こすんです。
その人の私を思う気持ちがあまりにもピンと外れだから。そして相手から私に強烈な好きオーラがで過ぎていて、私はそこから逃げ出したいから。耐えられないのは、自分が相手の気持ちに応えられないからなのかな?と勝手に分析してますが、
エイジさんのブログを拝見して、私の何かに相手が強烈に反応してその感情を表現してくれるのは、ありがたいことなんだなと少しだけ思いました。
少なくとも相手の心に、私はなんらかの影響を与えられたんだなと…。

話は飛びますが、
私に対するその人の対応が、第三者の女子から見たら、優しいないい人だなとその男の人を見直したとの事でした。
ややこしいのですが、
その男の人は、私が尊敬する大好きな男の人に対する接し方が可愛らしいなと思ったとのことで、
なんだか、全然ピントがズレてる皆さん…と思ったのでした。つまり、一方通行でみんなの思いが相手に向かっているから。

ちなみにここ最近の騒動に私が疲れていっぱいいっぱいになっていたら、私の尊敬する大好きな人から、ヨシヨシと頭を撫でられました。
何も語らず言わずともこちらの心情が察知できるだなんて、
やっぱすげぇ…と、心がだいぶ楽になりました。

愛し愛されての形がいちばん本当に素晴らしいというのと、
人が恋に落ちる理由って、人それぞれなんだなと、改めて思い知らされました。
2013年05月15日 20:40
プラトンは、恋する心(エロス)は、
それ自体としては美しいものでも醜いものでもなく、
自分の中に何か欠けたものがあることを知って、
それを満たそうとして美しいものを求め、
美しいもののなかに出産しようとすることだそうです。>カコさん。

聖書の罪は間違いなく「色欲から発生した」と思います。>ぽんさん。

確かにw>なおさん。

ゆりぴょんさんを必要とする人は、欠けてる何かを貴方が持ってるからで、
貴方が好きになれないのは、欠けてる何かを彼が持ってないからです。
従って、なにかをいっぱい持ってる人はモテるってっことですね。>ゆりぴょんさん。
2013年05月27日 04:13
愛は冷めるんですか?
恋愛も結婚も続いても4年くらいだと何かで読んだことがありますが、この記事に照らし合わせるとどう説明がつくのでしょうか?
それに離婚や付き合っては別れてを繰り返す男女もいるじゃないですか、こういう事についてもどう思われますか?
2013年05月30日 19:30
愛は冷めるかもしれませんが愛を求める欲望はなくならないということに
意味があると思います。>誠さん。
2013年06月04日 20:38
どうして冷めるかもしれないのにそれでも求め続けるのでしょうか
2013年06月04日 21:42
誰にも必要とされず、一人ぼっちでいるのはとても悲しいことだからです。
名無し
2013年06月05日 19:39
この話は本当なんですか?
マイケルって博士(人間)がつくった話なんでしょ?
2013年06月05日 21:58
マイケルが作った話ではなく、カバラの教えを簡単にまとめたものです。
名無し
2013年07月14日 11:58
この話に出てくる[ゾハールの書(光輝の書)]を読んでるのですが、全く理解できません・・・
もちろん日本語で訳してあるのですが、文章とかなんというか脈絡がないというか・・・とにかく書いてあることが訳分からないんです。理解できない。。。
もっとわかりやすく書いてあるものは無いのでしょうか?
それともまだ私の魂が理解出来るレベルまで達していないということなんでしょうか?
2013年07月16日 20:14
そうですね。
ゾハールの書は難しいです。
名無し
2013年08月22日 02:22
アダムとイヴって本当に居たんでしょうか。。。
ななし
2016年09月12日 19:53
恋の原因はアダムなのか魔術師なのかよくわからなかったな…?

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