つまらない仕事の意義
トヨタやソニーの不況の話を聞いて閃いたことを書きます。
禅宗の曹洞宗を開いた道元が、23才の時に仏教を学ぶ為に宗へ渡った時の話。
道元は、ある日、痩せこけたお寺の料理番が椎茸を干しているのを目にし、
「そんな仕事は若い者にやらせてはどうですか?」と老人に言った。
年老いた料理番は答えた。
「これが私の修行だ」と。
そこで道元は気づいた。
悟りとは座禅を通じて得られるものだと思っていたが、それは違う。
毎日繰り返す仕事の中に悟りがあるのだと。
女の人は朝、ご飯を炊きます。
飯炊きでも50年継続すれば熱さや寒さにも慣れてくる。
そして自分が辛いのを我慢して皆の為に飯を炊く仕事をすれば
人格が完成すると道元は教えています。
道元は「現成公案」という言葉を残しているが、
これは、目の前にある現実の事項に毎日マジメに一生懸命取り組んでいれば
人生最大の目的は達成できる。
即ち、飯炊きでも、掃除でも継続し心を込めれば立派な菩薩行になるわけです。
この「現成公案」こそ道元の思想の柱だと私は思う。
私達は、よく迷うじゃないですか?
「この仕事は社会の為になるのか?」
「自分にしか出来ない仕事がしたい。」とかですね。
「なんで俺ばかりこんな仕事させられるの?」とか、
結構、ワガママや世間知らずに聞こえがちなんですけども、
本人にしてみれば深刻なキツい悩みなんですよ。
確か阪急の創始者である小林一三という人が
「草履取りを命じられたら日本一の草履取りに為れ。
もしも君が日本一の草履取りになったら、
誰も君を草履取りのままにしておかないだろう。」
というようなことを言っています。
つまり、本来、どんな仕事にも貴賤は無くて、
仮に仕事に貴賤があるとするのならば、
それはその仕事に従事する人の仕事に対する心の高さが決めるのではなかろうか?
そして、仕事に意義というものがあるとするのならば、
それは、どれだけ世の中の為になったとかじゃなくて、
自分がどれだけ仕事を通じて成長したかということに尽きるんじゃないか?と。
最近ですけどね。そんなふうに私は考えるのです。
なぜなら、懸命に仕事してもですよ。
世の中の為に成ってると思ってたとしても、自己満足かも知れないし、
誰かにとっては迷惑かも知れない。
どんなことでも絶対的に善なんてあり得ないと思うのよ。
もしかしたら、仕事ばかりしてきたお父さんがね。
死ぬときに、「俺っていったい何をしてきたんだろう。」
ってなるかも知れない。
誰かの為にも自分の為にも成らないのだったら何にもしないほうがましとか、
「人生はすべて無だ。」と悟って、変に懐疑的になったり、
或いは、快楽主義になったりするニヒリズム浸るのも不幸ではないか?
だから、どんな仕事も誰の為でもなくて、結局自分の為にしてるんだと、
だから成功しても失敗しても裏切られても失望せずに、
自分の成長が目的である故に、つまらない仕事なんていうのは無くてね。
つまり。
そう。
仕事の意義は何か?という問題に対し、
私は道元の現成公案の思想が正解のような気がする訳なんだよ。
禅宗の曹洞宗を開いた道元が、23才の時に仏教を学ぶ為に宗へ渡った時の話。
道元は、ある日、痩せこけたお寺の料理番が椎茸を干しているのを目にし、
「そんな仕事は若い者にやらせてはどうですか?」と老人に言った。
年老いた料理番は答えた。
「これが私の修行だ」と。
そこで道元は気づいた。
悟りとは座禅を通じて得られるものだと思っていたが、それは違う。
毎日繰り返す仕事の中に悟りがあるのだと。
女の人は朝、ご飯を炊きます。
飯炊きでも50年継続すれば熱さや寒さにも慣れてくる。
そして自分が辛いのを我慢して皆の為に飯を炊く仕事をすれば
人格が完成すると道元は教えています。
道元は「現成公案」という言葉を残しているが、
これは、目の前にある現実の事項に毎日マジメに一生懸命取り組んでいれば
人生最大の目的は達成できる。
即ち、飯炊きでも、掃除でも継続し心を込めれば立派な菩薩行になるわけです。
この「現成公案」こそ道元の思想の柱だと私は思う。
私達は、よく迷うじゃないですか?
「この仕事は社会の為になるのか?」
「自分にしか出来ない仕事がしたい。」とかですね。
「なんで俺ばかりこんな仕事させられるの?」とか、
結構、ワガママや世間知らずに聞こえがちなんですけども、
本人にしてみれば深刻なキツい悩みなんですよ。
確か阪急の創始者である小林一三という人が
「草履取りを命じられたら日本一の草履取りに為れ。
もしも君が日本一の草履取りになったら、
誰も君を草履取りのままにしておかないだろう。」
というようなことを言っています。
つまり、本来、どんな仕事にも貴賤は無くて、
仮に仕事に貴賤があるとするのならば、
それはその仕事に従事する人の仕事に対する心の高さが決めるのではなかろうか?
そして、仕事に意義というものがあるとするのならば、
それは、どれだけ世の中の為になったとかじゃなくて、
自分がどれだけ仕事を通じて成長したかということに尽きるんじゃないか?と。
最近ですけどね。そんなふうに私は考えるのです。
なぜなら、懸命に仕事してもですよ。
世の中の為に成ってると思ってたとしても、自己満足かも知れないし、
誰かにとっては迷惑かも知れない。
どんなことでも絶対的に善なんてあり得ないと思うのよ。
もしかしたら、仕事ばかりしてきたお父さんがね。
死ぬときに、「俺っていったい何をしてきたんだろう。」
ってなるかも知れない。
誰かの為にも自分の為にも成らないのだったら何にもしないほうがましとか、
「人生はすべて無だ。」と悟って、変に懐疑的になったり、
或いは、快楽主義になったりするニヒリズム浸るのも不幸ではないか?
だから、どんな仕事も誰の為でもなくて、結局自分の為にしてるんだと、
だから成功しても失敗しても裏切られても失望せずに、
自分の成長が目的である故に、つまらない仕事なんていうのは無くてね。
つまり。
そう。
仕事の意義は何か?という問題に対し、
私は道元の現成公案の思想が正解のような気がする訳なんだよ。
この記事へのコメント
ふふふ。仕事で迷いはつきものですよね。
誰かがやるべき仕事というのは、必要な仕事であり、
それが誰であれ、するべき人が必要なのだと思います。
が、、、、問題はですねえ、それは本当に必要な仕事か
ということで、悩む場合かもしれない、と思うのです。
単に自分の経験からなのですから、
それを取り入れたり、それをする必要は、全く無いと
思ってもやらなければならないのか、ということでしょうか。
例えば、霊感商法の実際の売り手たちが業績を上げて、
喜ぶのは幹部たちであり、買った人たちは、、、、、。
そこの見極めさえ間違えなければ、仕事というのは
何かをすることで学べる、というよりも
人間は何かをすることを通してでないと、学べない、
ということなのではないか、と思うのです。
で、意義があると思えない仕事は、とことん、やらない。
これに徹している私ですが、、、、、、、。
ま、いろいろと修行ですからね。。。
何かを継続して達成する
結構大変ですよね~
それがあたわった事なら愚痴を溢さずやり通す
色んな事に繋がるお話でした.。*・☆
『忍耐』を忘れつつある今日この頃、思い出しましたわ♪♪
その話で思い出すには
アングリマーラという僧の話なんですけどね。
この僧は釈迦の弟子なんですけど
弟子のなる前に、アングリマーラは師匠に騙されて100人の人殺しをすれば成仏できると教えられるんですけどね。
つまり誤った教えに導かれた場合の話です。
その100人目がお釈迦様だったわけですけどね。
この話も非常に意味が深いんですよ>カコさん。
そう言って頂けると書いてよかったな~
と思いますぅ>シーラさん
ミロさん。はじめまして。
めちゃうれしいです。ありがとうございます。
こういう方がたまにいらっしゃるのでBLOGはやめられませんね。
オカルトの話もどんどん書こうかな。>ミロさん
継続は力なり・・
念力は年力・・
亀の甲より年の功・・
そういうことです。
あると思います。>yumさん
ゆかさん。こんばんわ。
なにかしらの厳しさを日々の暮らしの中に入れないと
墜落してしまいます。
厳しさはお守りなんでしょうね。
どこかに厳しさのない生活ほど危ないものはないですよ。>ゆかさん
エイジさんのお説、まさに同感です。生きるために一生懸命する仕事に貴賎などあろうはずもありません。どんなに尊いと言われる仕事でもつまらなそうに従事する人もあれば、多くの人が面倒くさがるような職業でも心をこめて勤めあげる方もおられます。
毎日たくさんの派遣労働者が契約を打ち切られるなど、不況によって生活を脅かされています。政治は迅速な対応をしているのでしょうか?人ひとりの大切な仕事が簡単に奪われてしまっている現状が、「ふーん、景気悪いからねぇ」で済まされてしまうとすれば、日本は決して生活しやすい先進国とは言えないですね。世のため人のため云々以前に食っていかねばなりませんし…。
ブログは訪問させて頂いてましたが、コメントは超おひさしぶりです。
今回もためになるお話、有難うございます。
継続は力なり・・・まさしくその通りですね。
その継続力がもっとあれば、
わたしの現在も随分違ったものになっていたかもしれませんね
今、忍耐という言葉、昔に比べて、あまり聞かなくなったような気がします。
忍耐の後に何が見えるか?ということで、
先行き不透明な困難な時代がゆえに、
忍耐の意義が薄れてきたのだと思うのですが、
逆に、基本的生活水準が上がり、
「人間力」が弱まってきたように思います。
体を使って、実体験することが少なくなり、体験無しで、知識は簡単に増やせますからねえ。
そういう意味では、
貧しさや、困難は、大きな恵みなのでしょうね。
(ブログアップの継続力も無いアタシです)
その「食っていくために仕事をする。」という場合に
道元の言葉が生きてくると思うのですよね。
今の世の中、好きな事をえらんで生計を立てるのは難しいですよね。
だけど、どんな仕事でも意義はあるのだという考えは生きる智恵でもあると思う次第です。>薫の君さん
KISHIKOさん。おひさしぶりです。
そーなんですよ。
いわゆる社長タイプと本物の社長さんでは
「人間力」が違う故に「迫力」が違うんですよ。
松下幸之助が言ってましたが
社長さんは赤いション便をした回数で力が変わると言ってますからね。
苦労というのも損じゃなくて
目に見えない念力のような力を与えてくれるようです。>KISHIKOさん
毎日同じことを繰り返してるようで、ずっとこれが続くのか?とも思う。
しかし、その中に自分の親が自分にしてくれいた当たり前だと思っていたことに感謝します。
自分が親になって初めて心から親をありがたいと思えた。
親が積み重ねた日々がちゃんと私の中にも積み重なれていたんですね。
単調でも平凡でも、何十年かけてしか伝わらないこともある。
続けることでちゃんと意味があるものになる。
だから私も、何十年後かに子供に伝わればいいなと思います。
・・・なんかズレてた?アホpepeでした♪
いつも成るほどぉ・・と思いながら読ませていただいております。
道元の現成公案の思想であれば、耐えるとか迷う事もなく
今日の自分を否定せず明日へ進ませることができますね~。
どうせ働くなら自分のしたい事。と思う私だけれども、
望んで始めた憧れの仕事の中にも、
したくない事はいっぱい含まれてて、
だまされたあああああああああああああああああなんて
思いますっる♪
だがしかし!!
道元?の現成公案?思想で頑張りまっする><はっする
ただ、この記事読んでると、
忍耐力ない人=大人になれない。
みたいなイメージ。
私忍耐ないわぁあああああ大人になれないいいいぃぃ
助けてエイジの偉い人(。ノωヽ。)
親が積み重ねた日々がちゃんと私の中にも積み重なれていた。
という点が素晴らしいと思います。
このような真剣でも目に見えない行為は必ず大きな力となって
形になるもので、それも祖先から子孫まで代々繋がっていくのでしょうね。
がんばって母乳やってください。>PEPEさん。
そうなんですよ。
「なんで僕ばっかり・・みたいな」
「私だけいつも損してる・・みたいな。」
ということでも
心を込めて行えば、きっと何か意味があって
そのうちそれは大きな力になってくると道元は言っておるのでしょう。>みどりさん
ちなみに、私も訳わからず元気玉を押してみました。
望んで始めた憧れの仕事の中にも、
したくない事はいっぱい含まれてて・・
っていうとこが真実なんだよね。
このしたくない=価値がない
ということではない、いや
したくない=価値がある
のかもしれません。
とにかく、いやいやでもね。
ポジティブにやっちゃいなよ。>こねこ。さん