宗教においてなぜ断食をするのか?
あらゆる宗教において、断食は修行として一般的である。
長い間、私は断食を行う理由は、「食欲を我慢する苦行」であり、「精神の鍛錬」であると考えていたが、仏教の次の一説を読んでからもしかしたら違う理由から断食を行うのかも知れないという疑問が生じた。
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[ブッダのことば―スッタニパータ, No.747]
「およそ苦しみが起こるのは、すべて食料を縁として起こる。諸々の食料が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることもない。」
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ブッダによれば、あらゆる苦しみが食料を縁として起こるという。
それは、たんに健康だけの話ではないようである。
諸々の苦が食料を縁にして生じるようである。
宗教の中に見られる食と罪
食と罪の関係は他の宗教でも多く見られる記述である。
キリスト教では、旧約聖書でイブが堕落したのは、悪魔の蛇に誘惑されて罪の林檎を食べた故である。
いわば、罪は林檎という食材を縁として起こったのである。
また、異説ではあるが、悪魔ベルゼブルが操る罪として「7つの大罪」があり、その一つに「暴食・飽食」があるように、食と罪の記述が見られる。
我が日本神道でも、イザナミが火の神を生んだ際に死んでしまう訳であるが、夫であるイザナギがイザナミを連れ戻しに死後の世界である黄泉へ行く話がある。
黄泉の国に到着したイザナギが「一緒に地上に帰ろう」とイザナミに言うと、イザナミは、
「私はすでに黄泉の食料を食べてしまったので黄泉から出られない体になった」と答える。
この記述から鑑みれば、イザナミは焼けて死んだのではなく、実は、黄泉の食材を食べたゆえに死が確定したといえるのではなかろうか?
罪の結果は死であり、死の果実である罪は口から入るのである。
ゆえに宗教では、現世において罪の食料を食さない手段として、悪魔に誘惑されない自衛手段として断食するのではなかろうか?
エイズと狂牛病の原因
現在において、エイズと狂牛病(BSE)の発生の原因および治療法は不明であるが、ある共通した要因がある。
エイズはもともとはアフリカの風土病であるエボラ出血熱と同じ種類の病ではないかと考えられている。
このエボラ出血熱は、原住民が「猿の脳」を食することによって発生した風土病であると推論されている。
原住民にとって「猿の脳」は贅沢な食べ物であるらしいが、私が見たことのある猿の薫製は、とても薄気味悪い食材である。
またBSEにおいても、従来は牛のエサに入れていなかった「牛骨粉」を飼料にいれた為にBSEが発生したのではないかといわれている。
すなわち、BSEは、牛の飼料に「牛の脳髄」を入れたことによって発生した可能性が極めて高い。
いわば、エイズもBSEも「近親の共食い」によって発生した病であると考えることは決して突飛な発想ではあるまい。
しかし、「近親の共食い」が罪悪ならば、なぜ魚や昆虫は共食いするがが病気にならないのであろうか?
罪の食材
私が考えるに、すべての「食」というのは、食べる者と食べられる物との「共食い」なのだと思う。
たとえば、「牛肉」を食する「私」がいるとしよう。
単純に考えれば、「私」が「牛」の命を搾取しているように思える。
しかし見方を変えれば、「牛」は私の体の一部になって生きるというようにも考えられる。
生命を宗教的な解釈で「物体」と「魂」と分けて考えれば、「物体」の世界では、「私」が「牛」の肉を食するように見えるが、「魂」の世界では、「私」が「牛」の魂を食し、同時に「牛」が「私」の魂を食するように見えるに違いない。
それは、あたかも食べられることによって相手を食べているという異様な光景であろう。
私は食材を「魂」と解釈することによって、罪が口から入るという意味が理解できるような気がする。
もしも、食材に魂があると考えるのならば、本来食材は、「思考する知的な動物は食うべきではない」と思われる。
それは主に、ほ乳類、鳥類、爬虫類が該当すると思われる。
まして人間は人間に近い物は食うべきではない。それは近親相姦と同じ罰を受ける可能性がある。免疫的にも遺伝子が似てる者どうしの結婚は良くない。
近親相姦については、宗教的にも禁止されているが、遺伝的にも近交弱勢と呼ぶように近親姦で子供が生まれた場合、その子供は遺伝的疾患や死産が多い。
同じく人間が人間に近い猿や牛を食すのは、栄養学では立証できない理由で、有害であると考えられる。
同じく、牛に牛肉を食させてはならない。
エイズやBSEこそ、食の近親相姦の罪に対する罰なのかもしれない。
罪の贖罪
イエスが最後の晩餐で「この葡萄酒はわが血であり、このパンはわが肉である」といい、弟子に分け与えたというくだりは興味深い。
いわば、罪の林檎を食した故に堕した人間が、神の血即ちイエスの血肉を食する事よって罪が許されるという原理である。
最後の晩餐でのイエスによる贖罪の原理は、まさにイブ一人から全人類に広がった「罪」が、イエス一人の「生け贄」により全人類が贖罪されるという十字架の原理と本質的には同じであろう。
食材を「物体」と「霊魂」の両方であると考えると、罪を体内に入れる食材があれば罪を贖罪する食材もあっても良いと思う。
では、身体に入った罪を贖罪をしてくれる贖罪の食材は何か?といえば、「思考しない食材」であり、主に鉱物や植物、魚類が該当するのではないかと考える。
故に魚類や昆虫は共食いをするけれども、人間や牛の共食いの結果で発症したエイズやBSEのような「食の罪」による病が発生しないのではなかろうか?
食の基本
最後に東洋医学における「正しい食」について書こうと思う。
漢方において「食は自分の身体から形が遠い物を食べ、自分の生まれた土地の近辺の食材を食するのが良い」とされる。
それは、食料として、四つ足の豚よりも二本足の鳥が良いという意味であり、二本足の鳥よりも足のない魚の方が良いという意味である。
また、季節の旬な野菜を日本の土で育った物を食べなさい。という意味である。
追伸
清楚でハイソな美人妻とブラジル人達が大須界隈で噂しているサンタママ様より素敵なBlogBannerを頂きましたわ♪
今年も又金粉ショーに出るのかしら?![](https://blog.seesaa.jp/images_w/emoji/07_bomb_a.gif)
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長い間、私は断食を行う理由は、「食欲を我慢する苦行」であり、「精神の鍛錬」であると考えていたが、仏教の次の一説を読んでからもしかしたら違う理由から断食を行うのかも知れないという疑問が生じた。
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「およそ苦しみが起こるのは、すべて食料を縁として起こる。諸々の食料が消滅するならば、もはや苦しみの生ずることもない。」
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ブッダによれば、あらゆる苦しみが食料を縁として起こるという。
それは、たんに健康だけの話ではないようである。
諸々の苦が食料を縁にして生じるようである。
宗教の中に見られる食と罪
食と罪の関係は他の宗教でも多く見られる記述である。
キリスト教では、旧約聖書でイブが堕落したのは、悪魔の蛇に誘惑されて罪の林檎を食べた故である。
いわば、罪は林檎という食材を縁として起こったのである。
また、異説ではあるが、悪魔ベルゼブルが操る罪として「7つの大罪」があり、その一つに「暴食・飽食」があるように、食と罪の記述が見られる。
我が日本神道でも、イザナミが火の神を生んだ際に死んでしまう訳であるが、夫であるイザナギがイザナミを連れ戻しに死後の世界である黄泉へ行く話がある。
黄泉の国に到着したイザナギが「一緒に地上に帰ろう」とイザナミに言うと、イザナミは、
「私はすでに黄泉の食料を食べてしまったので黄泉から出られない体になった」と答える。
この記述から鑑みれば、イザナミは焼けて死んだのではなく、実は、黄泉の食材を食べたゆえに死が確定したといえるのではなかろうか?
罪の結果は死であり、死の果実である罪は口から入るのである。
ゆえに宗教では、現世において罪の食料を食さない手段として、悪魔に誘惑されない自衛手段として断食するのではなかろうか?
エイズと狂牛病の原因
現在において、エイズと狂牛病(BSE)の発生の原因および治療法は不明であるが、ある共通した要因がある。
エイズはもともとはアフリカの風土病であるエボラ出血熱と同じ種類の病ではないかと考えられている。
このエボラ出血熱は、原住民が「猿の脳」を食することによって発生した風土病であると推論されている。
原住民にとって「猿の脳」は贅沢な食べ物であるらしいが、私が見たことのある猿の薫製は、とても薄気味悪い食材である。
またBSEにおいても、従来は牛のエサに入れていなかった「牛骨粉」を飼料にいれた為にBSEが発生したのではないかといわれている。
すなわち、BSEは、牛の飼料に「牛の脳髄」を入れたことによって発生した可能性が極めて高い。
いわば、エイズもBSEも「近親の共食い」によって発生した病であると考えることは決して突飛な発想ではあるまい。
しかし、「近親の共食い」が罪悪ならば、なぜ魚や昆虫は共食いするがが病気にならないのであろうか?
罪の食材
私が考えるに、すべての「食」というのは、食べる者と食べられる物との「共食い」なのだと思う。
たとえば、「牛肉」を食する「私」がいるとしよう。
単純に考えれば、「私」が「牛」の命を搾取しているように思える。
しかし見方を変えれば、「牛」は私の体の一部になって生きるというようにも考えられる。
生命を宗教的な解釈で「物体」と「魂」と分けて考えれば、「物体」の世界では、「私」が「牛」の肉を食するように見えるが、「魂」の世界では、「私」が「牛」の魂を食し、同時に「牛」が「私」の魂を食するように見えるに違いない。
それは、あたかも食べられることによって相手を食べているという異様な光景であろう。
私は食材を「魂」と解釈することによって、罪が口から入るという意味が理解できるような気がする。
もしも、食材に魂があると考えるのならば、本来食材は、「思考する知的な動物は食うべきではない」と思われる。
それは主に、ほ乳類、鳥類、爬虫類が該当すると思われる。
まして人間は人間に近い物は食うべきではない。それは近親相姦と同じ罰を受ける可能性がある。免疫的にも遺伝子が似てる者どうしの結婚は良くない。
近親相姦については、宗教的にも禁止されているが、遺伝的にも近交弱勢と呼ぶように近親姦で子供が生まれた場合、その子供は遺伝的疾患や死産が多い。
同じく人間が人間に近い猿や牛を食すのは、栄養学では立証できない理由で、有害であると考えられる。
同じく、牛に牛肉を食させてはならない。
エイズやBSEこそ、食の近親相姦の罪に対する罰なのかもしれない。
罪の贖罪
イエスが最後の晩餐で「この葡萄酒はわが血であり、このパンはわが肉である」といい、弟子に分け与えたというくだりは興味深い。
いわば、罪の林檎を食した故に堕した人間が、神の血即ちイエスの血肉を食する事よって罪が許されるという原理である。
最後の晩餐でのイエスによる贖罪の原理は、まさにイブ一人から全人類に広がった「罪」が、イエス一人の「生け贄」により全人類が贖罪されるという十字架の原理と本質的には同じであろう。
食材を「物体」と「霊魂」の両方であると考えると、罪を体内に入れる食材があれば罪を贖罪する食材もあっても良いと思う。
では、身体に入った罪を贖罪をしてくれる贖罪の食材は何か?といえば、「思考しない食材」であり、主に鉱物や植物、魚類が該当するのではないかと考える。
故に魚類や昆虫は共食いをするけれども、人間や牛の共食いの結果で発症したエイズやBSEのような「食の罪」による病が発生しないのではなかろうか?
食の基本
最後に東洋医学における「正しい食」について書こうと思う。
漢方において「食は自分の身体から形が遠い物を食べ、自分の生まれた土地の近辺の食材を食するのが良い」とされる。
それは、食料として、四つ足の豚よりも二本足の鳥が良いという意味であり、二本足の鳥よりも足のない魚の方が良いという意味である。
また、季節の旬な野菜を日本の土で育った物を食べなさい。という意味である。
追伸
清楚でハイソな美人妻とブラジル人達が大須界隈で噂しているサンタママ様より素敵なBlogBannerを頂きましたわ♪
今年も又金粉ショーに出るのかしら?
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この記事へのコメント
エイズをエイジと読み間違えていたようです。
エイジさんもとあるブログで「脱皮」して大人気ですわね(笑)
もし鳥が来てあの「エイジ君」を食べたならそれは「罪」になるのでしょうか?
「エイジ君」は鳥の一部となって大空を駆け巡るのでしょうか?
子供がいつも何気なく食べているものの正体(生きている姿)を知ったとき、「人間とは他のものの命を貰って生きているのだから残さずありがたくいただこうね」と話します。
でも水族館でアジの群れを見て「美味しそう」と言うのはどうかと思うよ…うちの次男・・・。
たまに断片的に聞いてはおりましたが、あらためて納得しました。
他宗教については知りませんが
体育の必修で座禅の時間がありまして
「煩悩を捨て、心を無にしなさい」と指導されるのですが
早く終わりたい、昼学食で何を食うかなぁ、など頭の中は煩悩ばかりでモンモンとしておりました。
真の精神修行をするに、煩悩は抹殺すべき悪であるとすれば
万人生まれてから死ぬまで支配され全ての行動の起源となる欲は食欲であって、よって全ての葛藤も食欲から生まれるといえるのでしょう。
なんて考えたら、腹がへりました。 や~めた
先「イヌや猫、蛇、亀、サルは霊性が高い生き物だからたべても
毒にこそなれ、益にはなりませんよ。だからたべちゃだめよ」
ど「はーーい(普通、食べないぞ・・・)」
でも食い物から煩悩が起こるというゴーダマ・ブッダの
お話も頷けます。食い気に関してはきりがないですものね。
案外、点滴がいちばん人類に適してたりして。
先日話題になった水野南北先生もおなじようなことを
いってはりましたし。
(ps)気功のはなしをして半年後にSARS騒ぎが。
これも細菌っていうより、種に近いものを食ったが
故の体調不全だとも考えられますよね。いくらワクチン
つくっても根本からかえないとだめ。
バナーに漢気を感じます。硬派だ。
脱皮しているとあるブログの人間です(笑)。
うーん(ーー゛)。山椒が丸裸になり、
昆虫は考えが無いのかと思ってしまう今日この頃です。
魚も仲間が釣らているのにまた釣られてしまう所からすると、
思考が無いんでしょうかね(^_^;)。
しかし、エボラ出血熱もエイズも、
文化人類学者が持ち込んだと言う話もあるので、
人類はその存在そのものが罪なのかとも考えてしまいます。
地球からの審判が下るのはいつなんだろうか?
と、思いつつ来週は釣りに行こうかなと思ってたりします。
かつて交通手段が未発達の頃は誰しも、その土地土地の旬の食物を食べていたんですものね。体を十分動かして健康に生きてた。自然の中で、自然を畏怖しつつ感謝してましたね^^私?・・・どうだろ??
でも,マルコだと,44日間荒野にいたとあるだけで(1.13),断食したとは,書かれていません。
きっと,荒野にいたイエスのもとに,けものたちが,食料を届けに来たに違いないと思います。
大酒飲みで,女好きなイエスに,断食は,似合いません。
でも~
まぁ どっちも似たようなもんでしょう。>アッシーさん
なに。今年は金粉やらんとですか?
ブラジル人が悲しみますよ。
あんなに可愛らしいエイジ君なのに、なして皆さん暴言を吐いているのか?理解に苦しみます。
鳥に食われないように毎日神様にお願いしてるんですけどね。>サンタママさん
人間の生存が食にあるわけですから、この世を悪いという視点であれば、生存を継続させる食は煩悩の元であるのは確かでありましょう。
しかし、もしそうならば仏法に会うこともできない訳ですから、どうもそれだけではないような気がする次第である>かなさん
霊性の高い物はやはり食すべきでないのですね。
やはり、ご指摘のとおり種の共食いによる病だと思われますが、これは栄養学では証明できないのですね。
なぜなら、肉はたんぱく質であり、分解されればアミノ酸ですからね。
この問題は、臓器移植を考えるうえでも重要なことだと考える次第です>どーまる様<サンタママさんは美しい奥様ですが、蚊取り線香と団扇が似合うかは不明です
しかし、まるまる太って鳥に食われないように注意してください。
もしエイジ君が鳥に食われたら大変ですよ。
世界中の女性が泣きますからね>しまじろうさん
そういえば、千のお母さんとお父さんがあの世の食べ物を食べたら「豚」になってしまいましたね。(BLOGに書くべきだった)
確かに、非常に示唆的な内容であります。
食事の前の「頂きます」という言葉の意味は深いですよね。>みどりさん
イエスが修行したという事実は一切ないですよね。
っていうか、聖人は修行したりしないではじめから聖人なんですよね。
やはり、どうなんですか?
イエスは酒と女好きなんでしょうかね?>bara様
飢餓にさらされていた文明以前のヒトには備わっていた感覚が
栄養がゆきわたるようになって鈍感になって、生きる意味が曖昧になっているようです。
イスラム教の厳格なムスリムは今でも、断食をします。
形骸化した断食は、「ひもじい思いをしているヒトの気持ちを理解できるように、疑似体験をする」なんて偽善的な理由を平気でこじつけていますが、実際に厳しい断食をすると、睡眠も浅くなり、意識が朦朧としてきて、そのうちとても研ぎ澄まされたピュアな単純な明晰なものの見方が出てくるようです。
社会の一員として生活していると、したくてもなかなかできませんね。
休暇が取れて金銭的にも都合がつけば、断食道場に行ってみたい。
これは、体調がほんとによくなるらしい。
また、山篭りの修業もしてみたい。意識が朦朧としてきたとき、いろんな妖怪が現れるらしい。ヒトの意識の構造って、どうなってるんだろうなぁ。
私もぜひやってみたいです。
妖怪・・・見てみたいっす。
やはりなにか神秘体験には断食は不可欠なのでしょうね。
食欲。睡眠欲。性欲の中枢が同じ脳の部位という点からもなにかありそうであります。>五紋様
食べ物も食べず、水もほとんど飲まず、光だけで何十年も生きている
人がいるんだそうですね?
定かではありませんね。
ジャムパンだけで生きているイギリスの少年は確かに存在するようです。>ゑひもするさん
色んな理由が浮かんで、困りました。人それぞれ、と言ったらお話が終わってしましますね(・・;)
私はお肉は食べられません。食べなくたって生きていけます。
高村光太郎さんは「宮沢賢治は玄米四合と、何て言ったけど肉を食わなきゃアメリカに勝てねぇ。」と話したとか。それが現実だったかもしれませんが、そのあたり、非暴力のガンジーさんのお考えを尊敬します。あまちゃんって言われるかな。やはりそれぞれなんでしょうね。
食は本当に大事です。>ゑひもさん