適性とは何か?
「この仕事は僕の適性にあっていないと思うんだよね」とか「自分の適性に合った仕事を探す」とか「俺ってこんなことをする為に就職したんじゃない!」言うのは一般的によく悩む問題である。
この問題について養老孟先生はこう切る。
「自分の適性に合った仕事を探すなんていうのはナンセンスである。」
「仕事とは自分に与えられた社会の隙間を埋める作業に他ならない。」
この話は、以前に養老孟先生の講演で聴いた話である。
聴いたときは「そういうことなんですかぁ?先生」という感じであったが、最近、養老先生の話の深さの一部を納得できたのでBLOGしようと思う。
まず、石ノ森章太郎の書いた「マンガ家入門」でのトキワ荘時代の物語。
ちなみに石ノ森章太郎は漫画家である。仮面ライダーなどの作者である。
トキワ荘というのは、漫画が今ほどメジャーでなかった時代に、当時、カリスマ漫画家であった手塚治虫を慕って若手の漫画家志望者が同居してた下宿のことである。
このトキワ荘に集うメンバー達は、奇しくも次代のスター漫画家が集結していたのである。
藤子不二雄とか赤塚不二夫、つのだじろう、水野英子、園山俊二、ちばてつやもよく出入りしていたそうだ。
といっても当時の彼らは、まったく無名のどこの馬の骨か判らない連中であった。
ただ彼らは、カリスマ手塚に憧れて、自分の漫画を社会に発表しようと、熱い野心と希望に満ちて上京してきたのである。
しかし、実際には社会はそんなに甘くなく、仕事はほとんど無く、たまに出来る仕事も自分の描きたくない漫画もばかりであった。しかも編集者から「つまらないから、ここでラブシーンを入れてください」とか話の内容も勝手に決められていたそうである。
ここで若き漫画家達は2つに分かれる。
「描きたく無いマンガでも仕方なしに描く人」と「自分の描きたいマンガしか描かない人」のまっぷたつに割れる。そして、「自分の描きたいマンガしか描かない人」から「描きたく無いマンガでも仕方なしに描く人」は軽蔑されたそうです。
さて、どちらが結果的に漫画家として成功したでしょうか?
結果を言えば、「描きたくないマンガでも仕方なしに描く人」しか残らなかったのです。
ドクタースランプやドラゴンボールで有名な鳥山明はこう言ってます。
「漫画家の才能の枯渇は絵が崩れるときに始まる」すなわち、沢山 マンガを書いていると、だんだん主人公の顔が変わってくるということです。そうするとスランプになって漫画が描けなくなる。
彼は、その事実に気がつき、漫画家で大成するには、線が崩れてはいけないと考え、毎日、大量の絵をとにかく描き続け、線が崩れないようになった。と言います。
現に、途中で消えた漫画家は、ほとんどが有り余る才能の持ち主であるにもかかわらず、多産に対応できなかった漫画家達です。
短歌の先生と話した時、「毎日 短歌を作ること。それが良い短歌を作る唯一の方法です」と教えられましたが、これも同じ原理のようです。
ようするに、「量は質に変質する」ということでしょう。
才能が無くても、10万枚のイラストを描けば、イラストレーターの才能が出来る ということです。
言葉を変えれば「継続は力に変質する」という筋肉の強化と同じです。
養老先生の話の裏がとれたので自信を持って結論しましょう。
「適性とは、天性よりも経験と訓練によって作られるものである。」
これは真理のようです。
世界一のサックスプレーヤーを目指すミュージシャンの言葉です。
「才能があるかないかなんて俺には関係ないさ、好きだからやるだけだ。努力に勝る天才なしって言うじゃない?」
この問題について養老孟先生はこう切る。
「自分の適性に合った仕事を探すなんていうのはナンセンスである。」
「仕事とは自分に与えられた社会の隙間を埋める作業に他ならない。」
この話は、以前に養老孟先生の講演で聴いた話である。
聴いたときは「そういうことなんですかぁ?先生」という感じであったが、最近、養老先生の話の深さの一部を納得できたのでBLOGしようと思う。
まず、石ノ森章太郎の書いた「マンガ家入門」でのトキワ荘時代の物語。
ちなみに石ノ森章太郎は漫画家である。仮面ライダーなどの作者である。
トキワ荘というのは、漫画が今ほどメジャーでなかった時代に、当時、カリスマ漫画家であった手塚治虫を慕って若手の漫画家志望者が同居してた下宿のことである。
このトキワ荘に集うメンバー達は、奇しくも次代のスター漫画家が集結していたのである。
藤子不二雄とか赤塚不二夫、つのだじろう、水野英子、園山俊二、ちばてつやもよく出入りしていたそうだ。
といっても当時の彼らは、まったく無名のどこの馬の骨か判らない連中であった。
ただ彼らは、カリスマ手塚に憧れて、自分の漫画を社会に発表しようと、熱い野心と希望に満ちて上京してきたのである。
しかし、実際には社会はそんなに甘くなく、仕事はほとんど無く、たまに出来る仕事も自分の描きたくない漫画もばかりであった。しかも編集者から「つまらないから、ここでラブシーンを入れてください」とか話の内容も勝手に決められていたそうである。
ここで若き漫画家達は2つに分かれる。
「描きたく無いマンガでも仕方なしに描く人」と「自分の描きたいマンガしか描かない人」のまっぷたつに割れる。そして、「自分の描きたいマンガしか描かない人」から「描きたく無いマンガでも仕方なしに描く人」は軽蔑されたそうです。
さて、どちらが結果的に漫画家として成功したでしょうか?
結果を言えば、「描きたくないマンガでも仕方なしに描く人」しか残らなかったのです。
ドクタースランプやドラゴンボールで有名な鳥山明はこう言ってます。
「漫画家の才能の枯渇は絵が崩れるときに始まる」すなわち、沢山 マンガを書いていると、だんだん主人公の顔が変わってくるということです。そうするとスランプになって漫画が描けなくなる。
彼は、その事実に気がつき、漫画家で大成するには、線が崩れてはいけないと考え、毎日、大量の絵をとにかく描き続け、線が崩れないようになった。と言います。
現に、途中で消えた漫画家は、ほとんどが有り余る才能の持ち主であるにもかかわらず、多産に対応できなかった漫画家達です。
短歌の先生と話した時、「毎日 短歌を作ること。それが良い短歌を作る唯一の方法です」と教えられましたが、これも同じ原理のようです。
ようするに、「量は質に変質する」ということでしょう。
才能が無くても、10万枚のイラストを描けば、イラストレーターの才能が出来る ということです。
言葉を変えれば「継続は力に変質する」という筋肉の強化と同じです。
養老先生の話の裏がとれたので自信を持って結論しましょう。
「適性とは、天性よりも経験と訓練によって作られるものである。」
これは真理のようです。
世界一のサックスプレーヤーを目指すミュージシャンの言葉です。
「才能があるかないかなんて俺には関係ないさ、好きだからやるだけだ。努力に勝る天才なしって言うじゃない?」
この記事へのコメント
以前上司が「やりたい仕事をやるために、やらなくてはならないことがある」と言っていました。特にサラリーマンはやりたいことができるとは限らないです。描きたく無いマンガでも仕方なしに描いていても、描きたいことを忘れないことが大事ですね。
大量の正確なデッサン、構図をもとにしたイラストで
気に入ったものはニ作品しかないそうです。
それでも漫画家としてかいていかねばならない。
書きたくないことをかくのが仕事だと思います。
書き続けるしかないんですよね。しみじみ。
鳥山先生が出てきましたので、つい食いつきました。
少年マンガはあまり観なかったのですが
学生のとき、コインランドリーの待ち時間にボロボロの週刊マンガ本を拾い読みし、『ドクタースランプ』に衝撃を受けました。
男性漫画家で、こんなに人物を柔らかく可愛らしく描ける人と出会ったことがなく、線が太く斬新な内容に感心し、洗濯物を持ったまま、速攻その足で書店に行きアラレちゃん購入。
輝かしき人気作家になった鳥山氏ですが
『ドラゴンボール』については、やはり出版社などの意向で、何週にも渡ってダラダラストーリーとなるケースが散見され、楽しみにしている読者そして視聴者を馬鹿にしているようにも感じ、とても残念でした。
テレビなど、1ヶ月に1度だけ観ても内容に進展なく同じ戦いをしているのですからね。
それは、『スラムダンク』でも少し感じました。
そういったジレンマは、どんな世界にもあるのでしょうが
その先生方が第一線で活躍されているのは、やはり基本的に『努力』あっての
ことですので、尊敬しているのです。
んー ちょっと論点がずれましたか
すみません。
奥の深い言葉であると思います>あゆさん
そうそう
りょうちんも毎日 文を書きましょう>りょうちん
やっぱ 美容師なんだ
美容師なんかもカリスマ美容師とか存在しますが、やはり毎日カットの練習するっていいますからね。一日数人しかカットできない美容師では、経営もできない代わりに、きっと技術もよくないのですよ。
うまい美容師って人に合わせてカットしますからね。>akiさん<今度カットしてください。
同感ですね
最近の漫画って人気が出てくると間延びしてつまらなくなりますよね
いちばん 間延びして訳がわからなくなったのは「アストロ球団」という漫画でしたけどね
そういう意味では、「あしたのジョー」は緊張が維持してすごい漫画ですよ
あと手塚の作品群は「ブッタ」以外は間延びしてませんからすごいですよ
でも 聞いた話なんですが、ロシアのドフトエフスキーは原稿料を上げるために物語を長くしていた。といいますからね。
カラマゾフの兄弟の心理描写は そういう理由で成立したらしいですよ>カラスさん
違う違う(;^_^A アセアセ・・・
うふふ
自分の理想、自分の趣味の家の設計ができる機会はめったにないです。
お仕事は大きなベースの部分が好きな分野であることは大切だと思います。その後の細かい部分はこだわらずとにかく続けることなんですね。了解しました!細かい仕事でも嫌がらずこなすようにしようと思います。ありがとうー。
ピアノの先生などとかたっていても、私は天才ではない。
つまり練習しなければ私だって出来ない事が山ほどある。
忘れちゃっていたりね。
生徒のかず分の曲を練習するには暇も時間も無い。(昔のことね)
でも生徒はそれだけを必死に練習してくる。
と、時に私よりもいい演奏をすることがあるのです。
それだけ彼らが「量」をこなしてくるってことですよね~。
続けるって偉大なんだと改めて思いました。
適性よりも好きか嫌いか?が重要なんですよね
僕も最近 この話の深さがわかったんですよ>NORIさん
「量は質に変質する」というのは、なにかを極める道だと思うのですよね
以前 池田満寿夫が「画家論」みたいな話をしてましたが、結局 量産に耐えうる体力がないとスキルアップしないらしいです。しかも孤独な量産に耐えうる作業を継続できることこそが画家の適性だと言います。その話を読んだ時、僕は画家の適性がないんだと思ったんですよ>ヒロシさん
るりさんの場合も。現在のおかれている状況は、自分を見つめなおすチャンスだと思うのですよね。薄い氷の上を楽々走れ!と言いますけど、あまり無理したら逆に速度が落ちますからね。楽々ということが大事だと考える訳です>るりさん
うーむ意味深な笑い
やはり小悪魔や。>akiさん
スーさんはまさに量産ではないですか?
広い意味で考えれば、家庭と仕事の両立の努力こそが、スーさんの仕事の力量に変質すると思うのですよ>スーさん
まさにピアニストなんかは、「量は質に変質する」ですよね
そのためには、やはり練習を継続する動機付けが大事だと思うのだよ
僕がゴルフの練習をはじめたときはわからなかったことで今わかることがあるのだよ。
それは、練習する前に、ちゃんと基本を教えてもらうということですよね
基本ができてない勝手流はやはり限界があるようですし、上達しないのですよね>海流ママ
でもこれの難しいところはその「基礎」を教えられている時にはその大事さがわかりにくいってこと。
そんな事はいいから先を教えろっみたいな人は簡単に沈没しますね。
素直に聞く人は先々花開く。
スーさんの携わる建築のように土台がきちんとしていなけりゃ何塗った繰ったってダメなのよね~。
「これが好き!これを弾きたい!」っていう情熱は人を何倍にも成長させるよ。
この子のレベルじゃ無理かな~って曲でもやっちゃうからね~。
「好き」のパワーは侮れないっす。
算数なんかも自分で考えて解く訓練をしないと解けなくなります
自分で考えるというのはすごく効率の悪いように思えるのですけど
結局、小学生からの算数の土台が出来ていないので高校にいくと解けなくなるのです。
中学までは暗記で解けますけどね
基礎ってほんとに大事でありますね
分数がわかっていませんでしたから…
結局高校行ったって算数がわからなきゃなんもできないのよね~~
でもね、面白いもんで彼の仕事は車のエンジニア。物理とか出てくるわけですよ!よく試験前に方程式を説明しましたなぁ。算数嫌いの彼は未だに算数に追いかけられている訳です♪
確実に答えがあるという明快さには心惹かれます
しかし、実際の人生には明快な答えがないですよね
自分の中で消化できないと肥やしに出来ないタイプなので、方程式も何故こういう方程式になるのか?を理解できないと覚えられない。
が、それがわかると絶対忘れない…って感じでした。
私にはただ覚えるって出来ないのよね~。
人生に答えがあったら…平和なのでしょうか?不幸なのでしょうか?
そんなもんあるわけ無いね~~~
算数では解けませぬ
チビチビサイズの海流兄弟も大根を見習って欲しいもんです
でもママもパパもミニサイズだからな~
期待は出来め~~っ
あ、私はミニって言うのは身長だけだかんなぁ~
海流どんはビックサイズだら
今回のblogの論点が違います。
私が言いたいのは
ちょっとやってみただけで天性を決めたり
性格で天性だと思い込んだりですね。
つまり勝手に「天性を決める」ことが無駄であるということで、
努力している結果として自分の天性が現れてくるということが言いたいのです。
従って円天のなみ会長の話は今回の内容とは違う話と思いますよ。>ななしの権兵衛さん。
絵描きの才能についての記述、
同感です。
学生時代美術科で落ちこぼれだった私。
デッサンの採点ではいつもビリにランクインしておりました。
でも10年以上経って、
絵描きや美術教師を続けているのはクラスの1割程度でした。
結局好きで
続けることに勝るものはないですね。
諦めたらそこでゲームセットです。
学歴よりも継続だし、
会社で出世するもの学歴よりも継続です。
つまり
成功は情熱に比例するということだと思います。